日本食べある記(7)伊那の馬肉料理
(『市政』1991年7月号 所収)
馬刺に代表される馬肉料理の本場といえば、これはもう信州の伊那谷である。
「馬肉料理を食べよう」
と、伊那谷の中心・伊那市に向かった。
東京・新宿駅西口の高速バスターミナルからは、伊那、駒ヶ根、飯田と、伊那谷の主要都市に高速バスが出ている。これがすこぶる便利で、伊那経由駒ヶ根へ、飯田へ、1時間にほぼ1本出ている。
私の乗った駒ヶ根行高速バスは、中央高速を突っ走り、甲府の双葉サービスエリアで休憩したあと、一気に甲州から信州へと入っていく。車窓からのながめがすばらしい。左手には鳳凰三山から駒ヶ岳(甲斐駒)へとつづく南アルプスの山々、右手には主峰赤岳を中心とする八ヶ岳の連峰を一望できるのだ。
中央高速道路の最高地点を通過すると、諏訪盆地へと下る。諏訪湖畔まで来ると、対岸には上諏訪から下諏訪、岡谷へとつづく町並みをながめ、そして、諏訪湖から流れる唯一の川、天竜川の谷間を走り抜けていく。この天竜川こそ、良くも悪くも、伊那地方の“母なる流れ”である。
高速バスが止まる最初の停留所は“中央道辰野”。伊那谷の北の玄関口ともいえる辰野まで来ると、天竜川の谷間を抜け出、風景はぐっと開ける。右手に中央アルプスの山々、左手には前方の伊那山地、後方の南アルプスの山々が連なり、その間を天竜川が流れている。
辰野を過ぎると、伊那谷はさらに幅広くなり、広々とした盆地の風景に変わる。“伊那谷”という響きからは、両側に崖がそそり立つ幅狭い谷間を連想するが、実際には信州の他の盆地、“佐久平”や“善光寺平”と同じように“伊那平”のほうがはるかにぴったりするほどの広さである。
駒ヶ根行きの高速バスは、伊那インターチェンジでいったん中央高速道路を降り、伊那の市街地に入っていく。東京・新宿を発って3時間20分後のことで、
「(東京から)伊那谷が近くなったなあ!」
と、感動に似た実感を覚える。新宿駅からの中央線の“特急あずさ”で岡谷まで行き、飯田線に乗り換えて伊那市駅に行くよりも速いのである。
駅前に宿をとって、さっそく、伊那の町を歩きまわる。町を見るには、自分の足でテクテク歩くのにかぎる。天竜川右岸に細長く延びる町並みの中央を、三河に通じる三州街道(国道153号)が貫いている。中心街の入舟町では、権兵衛峠を越えて木曽谷に通じる権兵衛街道と、天竜川を渡って城下町高遠から杖突峠を越えて諏訪盆地に通じる杖突街道の両街道が、三州街道と交差している。伊那市は、伊那谷の交通の要衝であり、伊那谷の十字路になっている。
さすがに馬肉料理の本場だけあって、伊那の町を歩いて目につくのは、馬肉である。伊那といえば馬肉といわれるくらいだから、精肉店でも、スーパーでも、馬肉は幅をきかせている。店先をのぞいたかぎりでは、馬肉→豚肉→鶏肉→牛肉といった順の、肉の重要度のように見受けられた。
伊那市駅に近い精肉店のショーケースをのぞくと、馬肉が種類別にきれいに並べられている。馬刺し用、馬最上肉、馬上肉、馬中肉と。それら馬肉は、同じショーケースに並べられた他の肉、豚ロース、豚もも、豚肩、和牛ももよりも、より広いスペースをとっていた。
精肉店の主人に、伊那谷の馬肉について話を聞いた。
「伊那では、昔は、どこの家でも農耕馬を飼っていましたね。現役を退いた農耕馬をつぶして、食用にしていたのです。それだから、伊那での馬肉を食べる習慣というのは、そうとう古いはずです。
「ところが、そんな使い古した農耕馬の肉ですからね、馬肉といえば固い肉と決まっていて、鶏肉よりも安かったくらいですよ。
「今では、農家といっても、どこも農耕馬を飼っていません。農耕馬に代わって耕うん機やトラクターとなったのですが、馬肉を食べる習慣だけはしっかりと残りました。
「それで今では、伊那の馬肉といっても、大半は北海道産。伊那の馬喰さん(家畜商)がトラックで10頭、20頭と運んできたのを見て、生きた馬を1頭、まるごと買って、さばいていますよ。馬は品薄状態が続いていますからね、馬肉はどうしても高くなってしまいます。本当は、伊那産、木曽産の馬のほうがいいんですけど。とくに木曽産の馬肉は、味が最高です。
「伊那の人たちは、それは馬肉が好きです。すき焼きといえば牛肉ではなくて馬肉だし、馬刺しは大好物です。東京や名古屋、大阪に出ていっている伊那の人が故郷に帰ってくると、まず食べるのは馬刺しですね。
「ふだんの家庭料理でも、煮つけにはよく馬肉を使います。とくにゴボウとのとり合わせがいいので、ゴボウの煮つけといったら、伊那では馬肉です。昔は土用の丑の日といえば、ウナギの代わりに馬肉を食べる人が多かったくらいです」
「さて、馬肉料理を食べよう!」
と、馬肉料理の食べ歩きをはじめた。
焼肉料理店の前を通ると、店の主人がプラスチックのケースに臓もつを入れ、それにザーザー水をかけながら、イモ洗い棒でイモを洗うように、交差したX字型の棒を使って臓もつをたんねんに洗っていた。臓もつは、切り開いた馬の大腸と小腸だった。
洗い終わったあと、それをマナイタの上に乗せ、表面を包丁でこそいで脂分を取り除く。そのあとで、臓もつを細かく切り刻み、ふたたびプラスチックのケースに入れ、2、3時間流れ水に打たせるのだという。
それを材料にした馬肉料理が「おたぐり」で、馬肉料理食べ歩きの第1弾だ。
馬の大腸、小腸はとびきり長いものだが、それをたぐり寄せ、たぐり寄せしながらとり出すところから、馬の臓もつ料理が「おたぐり」になったという。
「おたぐり」は、さきほどの材料の、馬の臓もつのぶつ切りを、長時間煮込んだもの。まず最初は4、5時間、水煮する。それから味噌味で煮込むのである。馬の臓もつと、信州味噌のとり合わせは絶妙だ。このようにして、長時間煮込んだ「おたぐり」なので、臓もつ特有のくさみはまったくなく、ギトついた脂分もなく、さらっと淡白な味わいで、一皿くらいペロッと食べられる。
この焼肉店では、もう一品、「伊那桜」を食べた。分厚い馬肉のたたき風ステーキ。
馬肉は桜色をしているところから桜肉ともいわれるが、具体的に、つまり生きものとしての馬を連想してしまう馬肉といわずに、それを桜肉というあたりに、日本人の肉に対する感覚を強く感じる。猪肉を牡丹肉、猪鍋を牡丹鍋というのも、同じ発想からきているのだろう。
翌日は、昼食に桜鍋を食べた。馬肉を桜肉というといったが、桜肉の鍋料理だから桜鍋になる。
桜鍋とは、馬肉のすき焼きのこと。肉は最上のロースを薄切りにしたもの。もも肉を使うこともあるという。
醤油に味噌、酒を少々合わせて下地をつくり、その中に馬肉とネギ、ハクサイ、シュンギク、しらたき、豆腐を入れる。見た目の色どりも鮮やかな桜鍋だが、「おたぐり」と同じように、馬肉と下地の味噌味が、ことのほかよく合っていた。
底冷えする、長く厳しい伊那谷の冬にはぴったりの鍋料理で、桜鍋を食べると腹の底から体が温まると、伊那の人たちは言っている。
そして、夕食に食べたのが、馬刺しだ。
薄切りのロースを生のままショウガ醤油につけて食べるのだが、くせのない、なんともさわやかな味で、いくらでも口の中に入ってしまう。故郷を離れた伊那人の、一番恋しがる味が馬刺しだということも、本場の馬刺しを口にしてみると、なるほどと素直にうなずける。
海から遠い伊那谷では、つい一昔前までは、海魚の刺身を食べることなどほとんどなかった。その時代にあって馬刺しは、今以上に貴重なものであったことだろう。
馬刺しといえば、伊那谷のみならず、隣の諏訪盆地でもよく食べられるが、信州以外では東北各地や熊本の郷土料理になっている。私は白河や熊本でも馬刺しを食べたことがあるが、本場のすごさとでもいうのだろうか、それらに比べ、伊那の馬刺しはやはり一味、どこか違うのである。
料理店の人が言っていた。
「馬刺しのよさは、いくら食べてもお腹にもたれない、このさわやかな味わいですよ。低カロリー、低脂肪、高タンパク、高グリコーゲン。これが馬肉の大きな特徴。ですから、カロリー過多、コレステロール過多の現代人には最適な肉ですね。」
こうして、ひととおりの馬肉料理を食べ終え、夜の伊那の町を歩き、天竜川の河畔を歩いた。そして、宿に戻り、部屋で缶ビールを飲んだ。つまみは桜節である。これがまたうまい。酒の肴にはぴったりなのだ。桜節というのは、馬のもも肉の燻製で、それをかじりながら飲むビールの味わいは、格別なものだった。
こうして、伊那の馬肉料理を食べつくし、東京に戻ったが、妻へのみやげに、スーパーマーケットで買った馬肉の佃煮と、馬肉のハムを持って帰った。
最初から最後まで、馬肉づくしの伊那の旅だった。