賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの食文化研究所:第11回 長浜編

 (『ツーリングGO!GO!』2003年6月号 所収)

 琵琶湖の「ふなずし」(なれずし)を食べようと、近江(滋賀県)の長浜に向かった。 ところで「すし」といえば誰でもが知っている食品だ。今の時代だとすぐに握りずしを思い浮かべるが、その語源は「酸し(すし)」で、すっぱいを意味する「酸い」からきている。

「なれずし」は日本のすしの原型で、麹や酢を用いずに、自然発酵によって酸味を出している。そのなれずしを代表するのが琵琶湖のふなずしなのだ。

「ふなずし」はすしとはいっても、新鮮なネタをすし飯の上にのせた握りずしとはまったく違う。長い日数をかけて自然発酵させたもので、ひと言でいえば魚肉の漬物。そんな日本最古のすしが未だに消えることなく、琵琶湖の沿岸に残っている。

 スズキジェベル250GPSバージョンで東京から東名→名神→北陸道と一気に走り、長浜ICで高速を下りる。

 長浜は琵琶湖畔の城下町。まずは湖畔の道を走る。湖岸には小波が寄せ、まるでシーサイドラインを走っているかのような気分になる。そして長浜城の天守閣に登った。

 目の前に広がる面積671平方キロ、周囲188キロの日本一の大湖、琵琶湖を眺めていると、よくいわれる「湖国(ここく)」の言葉がググッと胸に迫ってくる。琵琶湖あっての近江の国なのである。

 琵琶湖には「ふなずし」の食材となるフナをはじめウナギ、コイ、アユ、マス、ハス、エビ類など多種類の魚介類が生息しているので、滋賀県の内水面漁業での漁獲量は他県を圧倒して桁外れに大きい。そのため近江では昔から琵琶湖の魚介類を材料にした料理が発達している。

 豊臣秀吉と石田三成の出会いの像が立つ長浜駅前を出発点にし、古い家並みが残る北国街道をプラプラ歩いた。

 そこで「ふなずし」の看板をみつけ、郷土料理店の「翼果楼」に入った。北国街道の歴史が伝わってくるかのような店構え。さっそく目当てのふなずしを注文した。

 ほどなく数切れのふなずしが、皿に盛られて出てきた。においがきつい。

 店の主人は「このにおいがいやだといって、食べられない人もけっこういますよ」といった。だが、きついにおいとはうらはらに、味の方はまさに絶品だ。年数のたった高級チ-ズといった趣。ひと切れ、口に入れた瞬間、ぼくは「熱燗の酒が欲しい!」と思った。「ふなずし」は酒の肴には最高だ。熱燗の日本酒のかわりに、熱いお茶を飲みながらふなずしを食べた。さらに椀にふなずしを入れ、熱い湯をそそいで吸い物にし、ご飯の上にのせて茶漬けにもした。なんともいえない深みのある味わいだ。

 ぼくはふなずしの味に心底、満足した。魚肉を発酵させることによって、「味がこうまで変わるものなのか…」といった魔術を見るような驚きを感じ、食文化の神髄に触れるような思いがした。

 ふなずしの材料となるフナはゲンゴローブナ(源五郎鮒)とニゴロブナ(煮頃鮒)だが偏平な形をしたゲンゴロウブナよりも、丸みを帯びてふっくらとしたニゴロウブナの方がはるかに味がよく上等。

 ふなずしに使うニゴロブナは2月から3月に獲る寒ブナで、琵琶湖に浮かぶ竹富島の北側、奥琵琶湖で獲れるものが最上だという。このように季節と場所を選んで獲ったニゴロブナのうち、生後3、4年の卵を持ったメスをふなずしにする。

「すし」を漢字で書くと「鮓」と「鮨」。「鮓」はなれずしの系統で、「鮨」は握りずしの系統といえる。東京のすし屋の看板は「鮨」だが、大阪のすし屋の看板では「鮓」をよく見かける。東日本は圧倒的に握りずしだが、西日本では多くのなれずしの系統のすしがあることによる。なお「寿司」は単なる当て字である。

 古代からあった「なれずし」を出発点にして、日本の「すし文化」は時代とともに大発展した。江戸時代の中期には、酢飯に江戸前の新鮮なネタをのせる「握りずし」が誕生した。

 我々が今、ふつうにすしといってる「握りずし」は、その長い歴史から見ればほんの新参者でしかない。「なれずし」系統のすしの方がはるかに長い歴史を持っている。コラムでふれたように半年とか1年をかけて熟成させるスローフードの「なれずし」とはまさに対極のファーストフードが「握りずし」なのである。

 すしはインドシナが発祥の地。稲の伝播とともに日本に伝わった。その本家本元のインドシナでは今でも「なれずし」である。それにひきかえ日本は「なれずし」を元にして次々と日本風のすしを生み出していった。

 そこに日本人の「食」へのこだわり、探究心の旺盛さを見る。海を越えて日本に入ってきたものを日本風なものつくり替えてしまう、日本人特有の能力の高さを「すし」にも見てとることができる。

 これが琵琶湖の「ふなずし」を食べて感じた一番のおもしろさだった。

■コラム■

「ふなずし」のつくり方は次のようなもの。

 獲りたてのフナのうろこを包丁でこそぎ、針金状の細長い棒を口から入れ、卵を傷つけないようにして内蔵を引っかけて取り出す。熟練を要する作業だ。そのあとフナの口から腹がふくれるまで塩を詰める。そのフナを底に塩を敷いた桶に並べ、その上に塩をかぶせまたフナを並べ…と交互に繰り返し、一番上に落としぶたをして重しをかける。

 まさにフナの塩漬け。

 3ヵ月以上たったところで、フナをよく水洗いし、水を張った桶にひと晩つけて塩抜きをする。

 塩漬けの次は飯漬けだ。

 やや硬めに炊いた飯に塩を混ぜ、それを桶に敷きつめ、その上にエラをとったところから飯を詰め込んだフナを並べる。その上に飯をかぶせ、塩漬けときと同じように、フナ、飯、フナ…と交互に重ね、落としぶたをして重しをかける。3ヵ月以上おいておくと、食べられるようになる。このようにふなずしというのは、半年とか1年という長い時間をかけてやっと食べられるようになる。