カソリの食文化研究所:第12回 富山編
(『ツーリングGO!GO!』2003年7月号 所収)
ぼくは富山のますずしが大好きだ。
国道8号で日本海沿いに走ると、条件反射的に富山駅まで行って「ますずし」の駅弁を買ってしまう。
これぞ、まさにパブロフの法則。
富山駅の「ますずし」は日本一の駅弁だと、自信を持っていえる。
「ますずしを食べたい!」
の一心で、スズキジェベル250GPSバージョンを走らせ、富山に行った。
富山駅でますずしを買い、それを持って市内を流れる神通川の堤防上へ。富山平野の向こうには立山連峰。衝立のように立ちふさがる残雪の山々が目の中に飛び込んでくる。
いかにも「これが富山!」という風景を見せている。
バイクを停めると、その脇でますずしを食べる。円形の容器の上下に竹を2本ずつ渡しそれを太めの輪ゴムで留めている。昔は山藤のツルを使ってしばったという。
ますずしは味はもとより、見た目にも美しい。
輪ゴムを外し、押さえつけている竹をとり、蓋を開けたときの見映えのよさは感動ものだ。ますずしを包み込む笹の緑、マスの切り身の薄紅色、日本の米どころの富山平野でつくられる越中米の白さと、その配色が絶妙で、思わず食欲がそそられる。
「日本人は目で食べる」が実感できる。
さっそく、ひと切れ、口に入れる。
「う~ん」と思わず声が出てしまう。
ちょうどいい具合になれたマスとすし飯の取り合わせは、ドンピシャのタイミングで食べごろなのだ。
ますずし用のマスは、もともとは富山平野を流れる神通川のマスが使われていた。
神通川のマスは秋に産卵し、ふ化してから1年半は神通川で生育する。その後、日本海に下り、1年間は海で生息し、初夏になると再び神通川に戻ってくる。
この時期のマスが旬で脂が乗っていて一番美味だという。したがって、ますずしも本来は5月から7月にかけて食べるものとされてきた。が、近年はますずし人気もあって、各地で捕れた冷凍マスを使っているので、1年中、食べられるようになっている。
ますずしのつくり方は次のようなものだ。
まずマスを3枚におろし、皮をはぎ、骨をとり除き、それを幅6センチぐらいの横切りにして酢に漬ける。
その一方で、炊きあげたご飯に酢、塩、砂糖などで味つけしてすし飯をつくっておく。 次に木製の直径20センチほどの円形の容器に笹の葉を敷き、すし飯を盛り、その上にマスの切り身を扇をくるりと回したような円形に並べる。
それを笹の葉でくるみ、蓋をし、重しをかける。
こうして2、3日もすると食べごろになる。
ますずしにほのかな香りをつけ、防腐の役目も果している笹は、立山連峰の山笹だ。
夏の土用のころにとり、それを天日で干して保存しておく。使うときに熱湯に通すと、青々とした鮮やかな色彩が戻ってくる。
富山のますずしは、言い伝えによると、江戸時代の中期に吉村新八という富山藩士が考案したという。
富山藩主はその味がすっかり気に入り、幕府への献上品にした。すると時の8代将軍、徳川吉宗もたいそうその味を好み、それ以来、富山の名産品になったという。
とはいっても、ますずしは、それよりもはるかに古い時代からつくられていた。
神通川にはマスだけでなく、アユやコイ、フナ、ウグイなどの川魚が豊富に生息していた。この地方では、古くからそれらの川魚を利用して、なれずしをつくっていた。
そのなれずしのますずしが、酢を使うことによって、早ずしのますずしに変わっていったのだ。
「ますずし」はうまいだけでなく、それを食べていると、日本の食文化が見えてくる。