韓国食べ歩き:第24回
(『あるくみるきく』1987年1月号 所収)
甕器づくりの村
光州(クワンジュ)には、神崎さんが懇意にしている徐一相さんがいる。
日本で生まれ、日本で育ち、終戦とともに故国の韓国に戻ってきた徐さんは60歳。日本語が達者だ。私たちは徐さんの車、現代(ヒュンダイ)のポニーに乗せてもらい、光州の周辺を案内してもらった。
まず最初は韓国でも最大級の竹細工市が立つタンヤンへ。大露天市で売られている笊や籠類を見てまわった。
次に、韓国のよく知られた古典、『春香伝』の舞台になった南原(ナムウォン)へ。
南原郊外の窯場を見学し、町中の市場を歩いたが、南原からは智異(チリ)山を間近に眺めた。
その次に、朝鮮半島南側の多島海に近い康津(カンジン)に行った。
康津の町からは多島海に面したオンギ(甕器)をつくっている村を訪ねた。
戸数30戸ほどの焼き物の村にも、近年の韓国人の生活ぶりの変化が大きく影響していた。
ほんの10年、20年前まではどの家でもキムチや味噌、醤油、塩辛などをオンギ(甕器)で漬けたり、仕込んだりしていた。それが急速にオンギからプラスチック容器に変わり、また、都市部では味噌、醤油、塩辛をつくる家が減った。そのため、かつてはこの村のほとんどすべてがオンギづくりをしていたものが、今(1986年)ではわずか3戸に減っていた。
遠浅の海には済州(チェジュ)島まで、オンギを運ぶ帆船が錨を降ろしていた。
朽ちかけた帆船を見ていると、
「これでほんとうに済州島まで行けるのだろうか…」
と気の毒になるほど。
時代の荒波にもまれ、まさに波間に消えようとしている焼き物の村を象徴しているかのようだった。
最後に木浦(モッポ)に行った。
木浦近くの霊岩(ヨンアム)では、日本のカラスミにそっくりなウーラン(魚卵)をつくっていた。スゴン(ボラ)の卵巣を原料にしたもので、韓国でも高価なもの。またこのあたりでは、ウルメイワシからつくる魚醤油のウージャン(魚醤)を使っている。
港町の木浦は坂の多い町で、日本の長崎に似ている。旧市街と新市街に分れているが、新市街は韓国の経済成長に合わせるかのように、郊外へ、郊外へと急速に膨張していた。