賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第46回 ドーバヤジット

 トルコ東部、イランとの国境に近いドーバヤジットでは、午前中は町中をプラプラ歩いた。楽しい町歩きだった。

 町には活気があふれている。

 魚屋には鮮魚が並んでいる。トルコでは魚がよく食べられる。八百屋の店先に並ぶトマトは色鮮やか。うまそうなトマトだ。巨大なキャベツを山積みにした店もある。パン屋では焼きあがったパンをカマドから取り出していた。

 町には人々の生活の匂いが濃くが漂っていた。

 ドーバヤジットはクルド人の町。

 トルコとイラン、イラクの3国にまたがって住むクルド人は国を持たない民族。周辺のシリアやアゼルバイジャンなどにも住んでいる。クルド人の人口は2500万~3000万といわれ、独自の国家を持たない世界最大の民族になっている。

 それらクルド人の半数がトルコに住んでいる。 

 トルコはクルド人が国境を越えて連携し、「クルドスタン」として独立する動きを非常に恐れている。国境周辺でのトルコ軍とクルド人組織の争いは絶えない。

 ドーバヤジットは表面的には平静を保っているが、警察署には装甲車が置かれ、ものものしい雰囲気。町外れの軍の基地では、おびただしい数の戦車がこれみよがしに並べられている。砲身はドーバヤジットの町の方に向いている。

 ひとたび騒乱が起きたら、すぐさま出動できる態勢だ。幹線道路の検問所の脇にも装甲車や戦車が配置されていた。

 町のロカタン(食堂)で昼食。羊肉料理を食べた。羊肉にはライスやポテト、ナス、ピーマン、青トウガラシなどが添えられている。

 午後は山上の宮殿「イサク・パシャ・サライ(宮殿)」に行く。

 ここは17世紀の後半に建設された。トルコの最高額紙幣、100リラ札の図案はこの宮殿を描いたもの。

 シルクロード交易の拠点で、山賊の親玉のようなパシャ(土候)が行き来する隊商から通行税ごときものを取っていた。

「イサク・パシャ・サライ」は、この地を支配していたクルド人のイサク・パシャによって1685年に建設がはじまった。宮殿の工事には100年近い歳月を要し、完成したのは1784年。イサク・パシャの孫、メフメッド・パシャの時代だ。

 宮殿内にはハーレムやハマム(浴場)、イサク・パシャの墓、牢獄などがあり、なんと366もの部屋数があるという。

 宮殿からの眺めは絶景だ。ドーバヤジットの町並みを一望のもとに見下ろす。

 目の前の岩肌には2700年前に造られたという要塞の跡が残っている。この地は昔からの東西交流路の要衝の地だった。

 朝はきれいに見えたアララト山(5165m)だったが、天気は崩れ、雲に隠れてしまった。

「神はノアと方舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。神が風を地の上に吹かせたので、水は退いた。また淵の源と天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。それで水はしだいに地の上からひいて、150日の後には水が減り、方舟は7月17日にアララト山の上にとどまった。水はしだいに減って、10月になり、10月1日に山の頂が現れた」

旧約聖書』にあるように、アララト山は「ノアの方舟」伝説の山なのだ。

「イサク・パシャ・サライ」からドーバヤジットの町に戻ると、再度、町を歩いた。

 夕食は町のレストラン。

 ライスつきのニジマス料理を食べ、トルコの地酒の「ラキ」を飲んだ。

魚屋には鮮魚が並ぶ

魚屋には鮮魚が並ぶ

パン屋ではパンが焼きあがった

パン屋ではパンが焼きあがった

山上の宮殿「イサク・パシャ・サライ」

山上の宮殿「イサク・パシャ・サライ

「イサク・パシャ・サライ」からはドーバヤジットの町並みを一望!

「イサク・パシャ・サライ」からはドーバヤジットの町並みを一望!