秘湯めぐりの峠越え:第8回 花山峠編(宮城・秋田)
(『遊ROAD』1993年12月号 所収)
仙台藩花山村寒湯番所
東京出発は午前11時。国道254号(川越街道)を行き、和光ICから東京外環道に入る。そして川口JCTから東北道へ。
抜けるような青空のもと、250ccのツーリング用バイク、スズキDJEBEL250XCを走らせる。東北道を北へ。目指すのは、宮城・秋田県境の花山峠だ。
埼玉県内の蓮田SAから、『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら、花山峠下の温湯温泉「佐藤旅館」に電話を入れる。
紅葉の季節なので、「無理かな‥‥」と、思いつつ電話したのだが、うまく部屋が取れた。これでひと安心だ。
ぼくの宿選びというのは、いつもこの調子で、出たとこ勝負。事前に決めることはまずない。それだけに、全国各地の主な温泉宿がのっている『全国温泉宿泊情報』は、ぼくの旅には欠かせない1冊になっている。
「6時から夕食なので、それまでには来て下さいね」
といわれ、DJEBELのスピードを上げ、東北道をひた走る。
那須連峰を見ながら、関東から東北に入る。
安達太良山、吾妻山、蔵王山と、東北の名山を眺めながら高速道を走る。DJEBELのハンドルを握りながら、うれしくなってしまうほどだ。
16時30分、築館IC着。ICから国道4号を走り、今回の峠越えの出発点となる築館の町に入っていく。
築館から、国道398号で花山峠に向かっていく。
前方には、夕日を浴びて紫色に染まる奥羽山脈の山々が連なっている。
「これから、あの山並みを越えていくのだ!」
一迫町を通り、花山村に入る。栗駒山から流れ出る一迫川をせき止めた花山湖が、キラキラと金粉をまき散らしたかのように光り輝いている。
一迫川の渓流に沿って走り、17時30分、温湯温泉に到着。花山峠周辺の秘湯群の玄関口に位置する、これまた秘湯の温泉だ。
“1000年の名湯”をキャッチフレーズにしている温湯温泉は、江戸時代には寒湯と書かれていたという。湯温の低い温泉であったのだろう。
その寒湯に伊達藩は、奥羽山脈の花山越えの街道を警護する番所を置いた。それは国境警備の伊達藩28番所のひとつであった。
寒湯が温湯に変わるのは明治以降のことだという。温泉の湯温が上がったのだろうか。温湯には、当時のままに、伊達藩の番所の建物が残されている。豪壮な構えの役宅と門。国指定の史跡に指定され、現在では資料館になっている。
温湯温泉は、そのような花山峠を抑える要衝の地でもあった。
どこも秘湯の花山三湯
温湯温泉の「佐藤旅館」に着くと、
「それ、温泉だ!」
と、大浴場に行く。
湯につかって体を伸ばしていると、東京から450キロ走ってきた疲れも、スーッと抜けていく。
「芳の湯」という大岩風呂の大浴場は、入口こそ男女別々だが中で一緒になる混浴の湯。湯に入っているのは自分一人だが、混浴というだけで、なんとはなしに気分が浮き浮きしてくる。
つづいて、男女別の「御番所風呂」という露天風呂に入る。秋の日は落ちるのが早い。夕焼けの残照が消え、すっかり暗くなった山々を見ながら湯につかった。
夕食は二の膳のつくご馳走。ヤマメの塩焼きやゼンマイの煮物、ヤマゴボウのあえ物、キクの酢の物、キノコ料理などに山里の味覚を感じとるのだった。
夕食後は、時間をかけて、「芳の湯」と「御番所風呂」に入る。
「御番所風呂」では、空にまたたく星を見上げながら、湯につかる。体が火照り、湯から上がったときの、ひやっと冷たい夜風に吹かれる気持ちのよさといったらなかった。
「おー、極楽、極楽!」
翌朝、目をさますとすぐに、「芳の湯」と「御番所風呂」に入った。そのあと朝食をしっかりと食べてから出発。昨夜の満天の星空がうそのように天気が崩れ、風が強く、黒雲が空を覆っている。台風が太平洋岸を北上しているとのことだ。
ところで、花山峠下の花山村には、温湯温泉のほかに湯ノ倉温泉、湯浜温泉があって、「花山三湯」と呼ばれているが、どこもとっておきの秘湯だ。
そのうちまず、湯ノ倉温泉に行く。一迫川沿いの林道を走る。その途中では、白糸ノ滝に寄り道する。道路わきの駐車場にDJEBELを止め、つり橋を渡り、落ち葉の敷きつめられた山道を登り、さらに沢沿いの道を歩く。30分ほど歩いて着いた白糸ノ滝は高さ45メートルの、名前どおりの優美な滝だ。
さて、湯ノ倉温泉である。温湯温泉から林道を4キロほど走り、駐車場にDJEBELを止め、山道を歩く。今度は20分ほど歩き、ひと山越えたところ、一迫川の河畔に一軒宿の「湯栄館」(入浴料400円)がある。ここでの圧巻は、渦を巻いて流れる一迫川のすぐわきにある渓流大露天風呂。湯につかりながら、目の前の渓流を眺め、まわりの山々の紅葉を眺める。秘湯気分満点だ。
湯ノ倉温泉の渓流大露天風呂は混浴の湯だが、自分一人で奥羽山脈の自然と一体になって湯につかっていると、中年のカップルがやってきた。
「水着の方は、入らないで下さい」
の注意書きどおり、スラッとした細身の女性はさほどの抵抗感も見せずに、裸になって湯に入った。つづいて若いカップルがやってきた。20歳ぐらいの女性は恥ずかしさを顔に浮かべ、もじもじしていたが、ついに入らずじまい。期待していたのに‥‥。
湯ノ倉温泉から温湯温泉に戻ると、国道398号で花山峠に向かう。
鋭いカーブの連続する峠道を登り、稜線に出る。栗駒山から流れ出る一迫川と、鬼首温泉郷から鳴子温泉へと流れていく江合川の分水嶺になっている稜線だ。アップダウンをくり返す稜線上の道を走り湯浜峠に着く。目の前には標高1628メートルの栗駒山。流れの速い雲が、栗駒山の山頂から中腹にかけて、次から次へと横切っていく。
栗駒山周辺は東北でも有数の紅葉の名所で、峠の駐車場にはずらりと車が止まり、大勢の人たちが紅葉狩りを楽しんでいた。
湯浜峠を下ると、一迫川の源流地帯。そこに一軒宿の湯浜温泉がある。
国道わきの駐車場にDJEBELを止め、谷間へと下って歩く。一迫川を渡り、10分ほどで湯浜温泉の「三浦旅館」(入浴料400円)に着く。男女別の内風呂に入ったが、隣合った女湯が簡単にのぞけるところが山の湯らしくていい。
湯ノ倉温泉にしても湯浜温泉にしても、“ランプの温泉宿”で知られているが、
「今度はぜひとも泊まり来たいな!」
と、思わせるような温泉宿だった。
奥羽山脈の花山峠越え
「花山三湯」の温湯温泉、湯ノ倉温泉、湯浜温泉と、秘湯群を存分に堪能し、いよいよ、奥羽山脈の花山峠に向かっていく。峠下の湯浜温泉から花山峠までは2キロほどの距離。峠に到着すると、キノコ狩りの車が何台も止まっていた。
宮城県花山村と秋田県皆瀬村境の花山峠は、奥羽山脈の峠で、栗駒山の南西麓に位置している。
峠を境にして、花山村側の一迫川は二迫川、三迫川を合わせて迫川となり、旧北上川に合流して太平洋に流れ出る。
皆瀬村側の皆瀬川は雄物川に合流し、日本海に流れ出ていく。
花山峠は東北を奥州と羽州に二分する峠であり、また本州を太平洋側と日本海側に二分する中央分水嶺の峠にもなっている。
ところで、ここまで、“花山峠”と何度もくり返して使ってきた峠名だが、じつはこの峠には名前がついていない。峠下には江戸時代に関所(番所)まで置かれたほどの街道の峠なのに‥‥。
旧街道は温湯温泉から湯ノ倉温泉、湯浜温泉と一迫川沿いに登り、そして峠を越えていたのだが、時代が変わると、この峠道は衰退してしまう。近年になって国道が開通すると温湯温泉からいったん稜線上に登り、湯浜峠を越え、それからもう一度、奥羽山脈の峠を越えるようになったのだ。
そのため、この奥羽山脈の峠への、峠としての意識が薄くなり、名無しの峠になってしまったのだろうと推測する。
だが、“峠のカソリ”としては、何としても峠名が欲しい。
ということで、旧街道の“花山越え”にちなんで“花山峠”とさせてもらったのだ。
花山峠を越え、秋田県に入ると、天気はガラリと変わる。黒雲は消え去り、青空が広がっている。冷たい風もパタッとやみ、透き通るような秋の日差しが射し込めている。
峠というのは、このようにドラマチックなものなのだ。
天然の大湯滝!
花山峠の秋田県側は、宮城県側よりもはるかに急勾配の峠道。急カーブが連続する急坂を一気に下っていく。
栗駒峠に通じる栗駒有料との分岐点を過ぎると大湯温泉だ。
ここでは「阿部旅館」(入浴料250円)の湯に入ったが、河畔に建つ木造の湯小屋には風情がある。目の前の河原からは、100度近い熱湯が噴き出し、もうもうと蒸気がたちこめている。
大湯温泉から皆瀬川沿いに下っていくと、次は、小安峡温泉だ。
花山峠周辺では最大の温泉地で、10軒ほどの温泉旅館がある。ここでは公衆温泉浴場(入浴料300円)の湯に入った。小安峡温泉は宮城県側の温湯温泉に似ていて、佐竹藩は小安番所をここに置いていた。花山越えで花山村に通じる街道と、文字越えで文字村に通じる街道、秋田藩と仙台藩を結ぶ2本の街道を警護する関所であった。
小安峡温泉を流れる皆瀬川は、斧でストンと断ち割ったかのよう深い峡谷をつくり、その峡谷が小安峡と呼ばれている。台地上から谷間へ、石段で下っていくと、熱湯が蒸気とともに噴き出している。それが“大噴湯”で、ものすごい眺めだ。
小安峡温泉で昼食にする。食堂に入り、名物の稲庭うどんを注文する。出てきた稲庭うどんを見たとき、
「えー、これがうどんなの?」
と、びっくり。素麺にそっくりなのだ。それもそのはずで、稲庭うどんは、素麺と同じように手で引っ張って延ばした手延べ麺で、それを乾燥させた乾麺なのだ。この稲庭うどんは、皆瀬川沿いの稲川町稲庭でつくられるうどんで、その起源は古く、江戸時代の初期までさかのぼるという。秋田藩の御用達で、幕府への献上物とされてきた。
小安峡温泉を出発。国道398号を左折し、木地山高原温泉「秋田いこいの村」(入浴料300円)に立ち寄ったあと、泥湯温泉に行く。「豊明館」(入浴料300円)の湯に入ったが、泥湯の名前どおり、粘土を溶かしたような湯の色だ。
泥湯温泉の駐車場にDJEBELを止め、恐山、立山と並ぶ“日本三大地獄”の川原毛地獄を歩く。一木一草もない荒涼とした世界の川原毛地獄を抜け出ると、見上げるほどに大きい地蔵の建つ広場に出、そこから川原毛大湯滝へと山道を下っていく。
川原毛大湯滝は、北海道のカムイワッカの湯滝の本州版といったところで、湯の川が高さ20メートルほどの、2本の滝となって流れ落ちている。その滝壺が絶好の、天然の露天風呂になっている。湯滝に打たれ、湯につかり、湯三昧をしたが、自然のつくりだした温泉のすごさに圧倒されてしまう。
泥湯温泉に戻り、国道13号へ。湯沢市内に入り、JR奥羽本線の湯沢駅前に出、そこを花山峠越えのゴールにするのだった。