賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(8)中部編(その1)

114、ゼンマイ煮モン(新潟)

雪国・越後の中でもより雪の深い魚沼地方の山菜の味は格別だ。そのなかでもゼンマイは“山菜の王様”的存在。ゼンマイ料理の代表といえば“ゼンマイ煮モン(ゼンマイの煮物)”だ。まずはアク抜きして天日で乾燥させたゼンマイを戻し、それをニンジンやコンニャク、シイタケ、車麸、身欠きニシンとともにを醤油味で煮たものである。やわらかく、ふっくらと煮上がったゼンマイは、ほかの具の味をたっぷりと吸い込み、絶妙の味わい。雪の降らない地方のゼンマイだと、こうはいかない。

115、笹団子(新潟)

今では新潟県の全県的な名物になっているが、もとはといえば平野部の蒲原地方から山間部の魚沼地方にかけての一帯で、端午の節句につくられるハレの日の食べ物だった。笹団子は粳米(うるちまい)と糯米(もちごめ)を粉にひいて混ぜ、それにゆでたヨモギを加えてこね、団子にする。1晩寝かせた団子の中にあんを入れ、俵の形にまとめ、笹の葉でつつみ、イグサやスゲでしばり、30分ほど蒸籠(せいろ)で蒸して出来上がる。なお、笹団子は普段の日でもつくられたが、そのときは上質の米ではなく、屑米が使われた。

116、のっぺい汁(新潟)

越後の正月料理に欠かせないのが、この“のっぺい汁”だ。場所によっては“のっぺ”とか“だいかい”、“こにもん”といっている。のっぺい汁にはサケとサトイモが欠かせない。越後では正月魚といえばサケだが、おもしろいことに親不知を境にして越中(富山県)以南になるとブリになる。のっぺい汁はこのサケとサトイモにダイコン、ニンジン、コンニャクなどを加え、大鍋で煮込んだ澄まし汁である。正月以外のハレの日にもつくられる。新潟市内などの郷土料理店では名物料理になっている。

117、菊の三杯酢(新潟)

新潟県では菊料理が盛んにつくられるが、一般的なのは菊の三杯酢。菊の花びらをゆでて水にさらし、それを三杯酢にしたもの。そのほか菊のてんぷら、菊御飯、菊をつかったあえ物と、その種類は多彩だ。菊には鑑賞用菊と食用菊があるが、越後路を旅していて目につくのは、家まわりで栽培されている食用菊。初夏から秋にかけては黄色い菊を食用にし、秋が深まってくると赤紫色の菊を食用にする。「かきのもと」という赤紫色の菊が最上とされている。

118、八珍柿(新潟)

種無し柿の八珍柿(はっちんがき)は佐渡の名産だ。佐渡には昔から七不思議があった。さらにもうひとつ、8番目の不思議ということで、“八珍柿”と呼ばれるようになった。“おけさ柿”の名前が今は一般的だが、全く種の無い柿は、当時としてはきわめて珍しいものだった。八珍柿の原木は県内新津市の古田にある。それが佐渡に入って本格的につくられるようになった。羽茂の杉田清という農業技術者がその栽培を広めた。昭和初期のことである。八珍柿は渋柿だが、干し柿にすることはあまりない。焼酎を使ってさわし柿にし、渋を抜いて食用にする。

119、がじ煮(新潟)

三面川はサケののぼる川として知られているが、その河口の村上はまさに“鮭の町”。江戸時代後期、日本では初めて、ここでサケの増殖事業に成功した。村上の鮭料理といったら数えきれないほどで、なんと100を越えるという。がじ煮もそのひとつ。サケの身、ナワタ(内臓)、ハラコ(イクラ)と一緒に糸コンニャクやシイタケ、ネギなどを入れた具だくさんの煮物である。村上のよく知られた鮭料理というと川煮だ。生の雄ザケを内蔵もそのままにブツ切りにし、味噌味で煮たものである。

120、けんさん焼き(新潟)

おにぎりを金網の上で両面ともに焼き、その上に味噌を塗って焼いたもの。ご馳走をいっぱいに食べたあとのけんさん焼きがうまい。それをもう1度焼き、茶碗に入れ、熱い番茶を注いで食べることもある。なぜ“けんさん”なのか、語源は不明だが、献上品の残りを献残(けんさ)といい、そこからきているという説もある。語源はともかく、残って冷たくなったご飯のおいしい食べ方がけんさん焼き。庶民の知恵をここに見る。日本一のうまい米処の新潟米だけあってこの味は格別。ご馳走のあとでも2、3個は軽く食べられる。

121、アユの塩焼き(新潟)

信濃川支流の魚野川は上越国境の谷川連峰から流れ出す川だが、“魚野川のアユ”といえば釣人の間ではきわめて有名。アユの解禁ともなると、東京方面からもどっと釣り人がやってきて、おとりアユを使った友釣りでにぎわう。ここで取れる天然アユの味は最高だ。その料理法はなんといっても塩焼きがいい。味の善し悪しはひとえに焼き方にかかってくるが、竹串に刺したアユを炭火の近火で焼くのが一番。浦佐と堀之内にはヤナがあり、アユ料理を食べられる。

122、アユ酒(新潟)

アユの塩焼きを肴にキューッと冷たいビールを飲むのもうまいが、塩焼きしたアユに、酒処新潟の地酒を熱燗にし、それを注いで飲むアユ酒が輪をかけてうまい。酒にアユの香りが深くしみこみ、たまらない味わいだ。アユ解禁直後の若アユのアユ酒は若草の萌えるような匂いが酒に漂い、処女を連想させる若干、固い味。それが落ちアユの季節のアユ酒になると、とろりとした脂分が酒に浮かび、熟女を連想させる濃厚な味わいになる。どちらを好むかは人それぞれというもの。なお、養殖のアユを使ったアユ酒はうまくない。

123、ホタルイカの刺し身(富山)

ホタルイカ漁の本場、富山湾の滑川漁港では、ホタルイカ漁の漁船に乗せてもらった。早朝、4時の出港。海岸近くの“ホタルイカ定置”と呼ばれる専用の定置網でとる。網にかかっているホタルイカはその名の通り、ホタルのようにピカピカ光っている。港に戻ると漁師さんの家の招かれ、とれたばかりにホタルイカの刺し身を肴に、朝から酒宴になった。このホタルイカの刺し身は抜群のうまさ。手を抜き取り、切り開いた身が皿に同心円状に並べられ、中央には目玉のついたままの手が盛ってある。この手が特別にうまい。店では“龍宮ソーメン”の名で出される滑川の名物料理だ。

124、ホタルイカの桜煮(富山)

沸騰した湯の中に塩を入れ、とれたばかりのホタルイカを入れてゆでたもの。桜煮の名前の通りの桜色にふっくらとゆで上がったホタルイカを口にふくむと、やわらかな卵がプチュッと舌の上に飛び出してくる。ちなみに富山湾岸に近寄ってくるホタルイカの大半は雌で、定置網にかかるのも当然、雌ということになる。刺し身にするときは、この卵は取り除く。このほかのホタルイカ料理というと佃煮や酢味噌あえ、砂糖、酒、醤油などで煮つめた含め煮、塩辛などがある。

125、タラ汁(富山)

新潟県境の親不知、子不知に近い越中宮崎の国道8号沿いには、“名物タラ汁”の看板を掲げた店が何軒かある。ここではバイクを停めて越中の名物料理を食べていこう! タラ汁は、タラの頭をとり、内臓を取り出し、タラコと肝を別にしたタラをぶつ切りにし、コンブでダシをとった汁に味噌で煮込み、ネギをいれただけの素朴な汁。ところが、これがうまいんだ。脂ののった富山湾産のタラの白身と越中味噌が混じり合い、絶妙の味をつくり出している。

126、ブリのアラ炊き(富山)

信州では正月魚のブリを“飛騨ブリ”と呼んでいる。北アルプスの安房峠や野麦峠を越えて飛騨から入ってくるブリを指したもの。もちろん山国の飛騨ではブリはとれるはずがない。富山湾のブリが飛騨高山の問屋を経由して信州に入ったときに“飛騨ブリ”になる。ちなみに飛騨では“越中ブリ”と呼び、越中では本場の氷見をとって“氷見ブリ”と呼ぶ。ブリは刺し身にしたり塩焼き、照り焼きなどにするが、一番、郷土料理らしいのはブリのアラ炊きだ。ブリのアラとダイコンを味噌(または醤油)と酒で味つけし、コトコトと煮込んだものである。

127、ますずし(富山)

富山駅のますずしはぼくの大好物。国道8号などで富山を通るときは、必ず富山駅に立ち寄り、それを買って食べるほど。このますずしはいい伝えによると、江戸時代中期の享保2年(1717)、富山藩士の吉村新八が考案したことになっている。吉村新八は三代目藩主の前田利与に献上したところ、藩主はたいそう気に入り、富山藩は幕府への献上品にした。ますずしの日もちのよさがそれを可能にしたといえる。ときの徳川八代将軍吉宗はますずしを好み、それ以降、富山の名産品になったのだという。

128、イカの黒づくり(富山)

富山名産のイカの黒づくりは冬場のもの。9月から11月にかけて富山湾でとれるスルメイカが材料で、肝臓と墨袋とともに漬け込んだ塩辛である。同じ塩辛でも、肝臓だけで、墨袋を使わない塩辛を赤づくりと呼んで区別している。スルメイカの水揚量の多い氷見、四方、新湊、魚津などがイカの黒づくりの中心になっている。なお、富山湾のイカ漁船は夜に出漁し(スルメイカの漁は1年中やっている。とくに夏と冬が盛ん)、集魚灯をつけて釣るので、漁火の灯る富山湾は見ものである。

129、越中バイ(富山)

バイ貝は巻き貝の一種だが、富山湾特産のバイ貝は特別に“越中バイ”と呼ばれ、ホタルイカと並ぶ富山湾の味覚になっている。越中バイは普通のバイ貝に比べると殻が薄く、灰色がかっており、糸を巻きつけたような筋がある。越中バイは沖の泥海に生息している。“バイダモ”と呼ぶ籠の中にカニや魚の頭などの餌を入れて沈めておくと、貪欲な性質の越中バイは餌を求めてその中に入り込んでくる。越中バイは殻もろとも焼きあげ、楊枝で巻きとるようにして食べるが、大きなものだと刺し身や酢の物にもする。

130、細工かまぼこ(富山)

かまぼこの名産地といえば、仙台や小田原、萩、仙崎、宇和島などが上げられるが、富山が他産地と違うのは、食べるのがもったいなくなるほど豪華な、色とりどりの細工かまぼこをつくっていることだ。鯛や鶴、亀、菊、富士山など、めでたい形につくられる細工かまぼこは、だ円形の竹籠などに盛られ、結婚式の披露宴の席などに出される。このような細工かまぼこをつくる店は魚津や滑川、岩瀬、四方、新湊などの富山湾岸の町に多いが、とくに氷見には多い。

131、かぶらずし(石川)

塩ブリの切り身をカブラと一緒に麹で漬け込んだなれずしで、金沢の正月料理には欠かせない。ブリは冬にとれる寒ブリで、かぶらずしの食べごろになる40日ぐらい前に薄切りにし、塩漬けにしておく。これをカブラと一緒に麹で漬ける本漬けに入るのは、食べごろになる15日ほど前のことである。金沢に行ったら、金沢第一の市場、近江町市場を歩くことをおすすめする。八百屋や魚屋、乾物屋、肉屋など200軒以上もの店々がびっしり軒を並べているが、ここではより安くうまいかぶらずしを買える。

132、甘エビ(石川)

金沢の近江市場を歩いていて一番目につくのは甘エビだ。金沢に来ると、誰もが一度は口にする甘エビが、無造作に山盛りになっている。とれたばかりの甘エビは濃い桜色で、目にも鮮やかな色彩。市場内にはすし屋がある。そこで甘エビの刺し身と握りずしを食べたが、口の中でとろけそう。甘エビは口あたりがやわらかく、ほんのりとした甘さがなんともいえない。

133、大根ずし(石川)

ダイコンを縦に割り、さらに横に3つ切りにし、身欠きニシンを水につけてやわらかくしたものと合わせ、麹で漬けたなれずしである。大根ずしは金沢だけでなく、北陸の広い範囲でつくられている。同じくなれずしのかぶらずしが正月料理には欠かせないハレの日の食べ物の色彩が強いのに比べると、この大根ずしは普段の日の食べ物で、ぐっと庶民的なものになる。身欠きニシンを塩糠に漬けてつくるにしんずしもある。これも普段の日の食べ物だ。

134、ゴリのから揚げ(石川)

ゴリというのは金沢市内を流れる犀川や浅野川の清流にすむカジカ科の小魚で、ゴリ料理といえば金沢の名物料理になっている。ぼくは金沢の料理屋でゴリ料理を食べてみたが、から揚げが一番うまかった。ゴリのから揚げというのは、生きたゴリの頭を包丁の背でコンコンとたたいて仮死状態にし、片栗粉を薄くまぶして素早く揚げたもの。そのほかゴリ汁やゴリの佃煮などがある。ゴリ料理は加賀料理の一品としても欠かせない。

135、じぶ煮(石川)

金沢の名物料理のじぶ煮だが、その語源ははっきりとはしない。漢字で書くと“治部煮”となり、江戸期の加賀藩時代に治部さんという人がつくり出した料理だという説もある。このじぶ煮は片栗粉をまぶして煮るという独特の料理法。それを“じぶ椀”と呼ばれる底の浅い広口の椀に盛る。四季それぞれのじぶ煮があって具が違ってくるが、冬だとカモ肉、豆腐、シメジ、セリ、春だと若鶏、春菊、筍、シイタケ、夏だと生ガキ、焼きネギ、湯葉、サトイモ、秋だと若鶏、粟麸、マツタケ、ユリ根、ミツバなどを入れる。

136、栃餅(石川)

白山麓の白峰には3軒の栃餅屋があり、一年中、栃餅をつくっている。白峰の名物餅になっており、国道157号を通る旅行者や白山登山の帰りの客、冬のスキー客などが好んで買って帰る。アク抜きした栃の実を糯米(もちごめ)と一緒に蒸し、蒸し上がったところで臼に入れ、搗いたものが栃餅だが、中にあんを入れたり、あんでまぶしたりもする。搗きたての栃餅はうす茶色をし、黒っぽい点々が入って見栄えはよくないが、なんともいえない香ばしさがある。一度口にすると、二度と忘れられない山里の味覚になる。

137、いしるの貝焼き(石川)

“いしる”というのは秋田の“しょっつる”と同じ魚醤油(ぎょしょうゆ)で、イワシもしくはイカからつくられている。輪島の朝市などでもびんに入ったいしるが売られている。このいしるの貝焼きというのは、ホタテガイの殻を鍋にし、いしるを調味料にして魚介類や野菜類、豆腐、シイタケなどを煮たもの。いしるのコクが材料の持つ味をグッと引き立てる。“いしる”は“いしり”ともいわれるが、場所によってはイワシからつくる魚醤油をいしる、イカからつくる魚醤油をいしりと呼び分けているところもある。

138、越前ガニ(福井)

これはもう、北陸の冬の味覚の王者といっていい。越前ガニはズワイガニのことで、山陰では松葉ガニ、隣の石川県ではズワイガニと呼んでいるが、“越前ガニ”と名前が変わるだけで、値段もグッとはね上がる。もちろん味がよけいに良いからだ。越前ガニの解禁は11月の中旬で、それ以降に国道305号で越前海岸を走ったらいい。国道沿いには“越前ガニ”の看板が目につくが、店先の大釜で越前ガニをゆでている光景をよく見かける。越前ガニの一番うまい食べ方はゆでがに。思わずかぶりついてしまう。

139、精進料理(福井)

曹洞宗の大本山、永平寺は、日本の禅道場の中心になっているだけでなく、日本の精進料理の中心にもなっている。これは開山した道元禅師の料理をつくるときの心構え、喜心、老心、大心の三心の教えが今も脈々と受け継がれているからだ。永平寺の来賓用の精進料理というと、本膳に二ノ膳がつく。本膳は一汁四菜、もしくは五菜、二ノ膳は一汁三菜、もしくは四菜で、もちろん食材はすべて植物性のものである。この永平寺の来客用の精進料理に類するものが門前の店で食べられる。永平寺参拝のあとはぜひとも食べよう!

140、若狭ガレイ(福井)

体長25センチほどの小ぶりなカレイの若狭ガレイはササガレイのこと。この一夜干しは名所東尋坊のみやげもの店の目玉商品になっている。九頭竜川河口の三国の宿で泊まったとき、朝食に若狭ガレイの一夜干しの焼き魚がでた。そのうまさといったらなく、朝からおおいに食がすすんだ。ところで京都から途中峠を越えて琵琶湖畔に出、敦賀に至る越前街道は、別名トト(魚)街道。越前の浜でひと塩された若狭ガレイはトト街道で京都に運ばれたが、京都に着くころには塩が魚になじみ最高の味のよさになったという。

141、へしこ(福井)

魚の糠漬けのことを福井県では“へしこ”という。魚はイワシ、サバ、イカ、コウナゴなどを使うが、なかでもイワシ、サバが一般的になっている。隣の石川県になるとイワシが多くなり、それを“こんかいわし”といっている。京都では“へしこ”で、言葉の上からも福井と京都は近い。へしこは米糠を落としてから焼き、それをご飯のおかずにして食べるのが一般的。さきほどの東尋坊のみやげもの店では、若狭ガレイの一夜干しと並んでイワシやサバのへしこが目につく。

142、浜焼きサバ(福井)

若狭から越前にかけてのサバの旬は5月から6月で、一番脂がのってうまい。だが、この季節のサバは傷みやすいので、取り立てのピチピチしたサバを竹串に刺し、漁師の納屋の炉の周りに立て、強い炭火で一気に焼きあげ、浜焼きサバにした。昔はこれを籠に入れ、福井県内はもとより、遠く京都まで売りに出した。ところで京都から周山を通って小浜に至る若狭街道は別名サバ(鯖)街道。まさに京都にサバをもたらす街道だった。

143、小鯛のささ漬け(福井)

若狭名物の小鯛のささ漬けだが、今ではその人気は高く、若狭のみならず越前のみやげもの店にも並ぶ。東京や大阪でさえ買える。だが、もともとは若狭の小浜の名物で、長い間、小浜の市内だけで売られるみやげものだった。ささ漬け用の小ダイは小浜ではレンコダイと呼ばれているが、マダイとは違う種類で、大きくはならない。米酢に浸してつくる際に、防腐のために笹を入れるのでささ漬けと呼ばれている。この小鯛のささ漬けの一番の魅力は、すぐに食べられること。これを肴にして飲む酒はうまい!

144、花ラッキョウ(福井)

九頭竜川河口の町、三国から新保橋を渡った対岸の三里浜の一帯は、日本一のラッキョウの産地。日本海に沿った東西12キロの砂丘地帯で栽培されている。10月中旬から11月にかけては赤紫色のラッキョウの花が、三里浜の砂地一面に咲き誇る。ここのラッキョウの特徴は1年堀りをしないで、2年堀り、3年堀りをしていること。1年堀りのラッキョウは粒が大きく、やわらかくなるが、三里浜のように2年堀り、もしくは3年堀りすると分けつするので粒が小さくなり、固くなる。それが越前名物の花ラッキョウだ。

145、里庄のサトイモ(福井)

福井県の名産。大野盆地の旧里庄村でつくられるサトイモのことで、イモは小粒だが、身が引きしまっており、どんな料理に使っても煮くずれしないと、地元の人たちは自慢している。奥越地方の中心、大野は朝市の立つ町として知られているが、ここの目玉はなんといっても里庄のサトイモである。この里庄のサトイモを使った大野特有の料理には、醤油で煮たあと木ノ芽味噌をつけて火であぶったサトイモ田楽やサトイモ赤飯、芋ぼた餅などがある。

146、ぼっかけ(福井)

温かいご飯が何よりの冬の間によく食されるが、このぼっかけというのは、ご飯に熱い豆腐汁をかけたもので、“ぶっかけ飯”からきたのだろう。丼飯の上に、昆布のダシ汁の中で煮立てた豆腐を汁ごとかけ、その上に醤油をふりかけた大根おろしと刻んだネギ、花かつおをのせ、かきまぜて食べる。ところによっては豆腐汁ではなく、ごぼう汁をかける。ゴボウとニンジンをせん切りにし、それに糸こんにゃく、油揚を加えて煮た汁を醤油で味つけし、それをご飯にかけ、上に刻んだネギをのせる。