賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選んだ「ニッポン郷土料理」(7)関西編(その2)

93、サバずし(京都)

京都人は昔から祭りや祝い事があるたびに、サバずしをつくってきた。そのサバというのは、若狭でとれたサバで、京都から若狭に通じる街道は「鯖街道」といわれるほどだ。日本海の浜でひと塩されたサバが峠を越えて京都に着くころには、“サバずし”には絶好の塩のなじみ具合になっていた。このような若狭のサバを3枚におろし、たて塩をし、酢に通し、棒状にしたすし飯の上にサバをのせる。それを昆布で巻き、竹の皮で包み込んだものだ。

94、いも棒(京都)

祇園の八坂神社裏の円山公園には「平野屋本家」と「平野屋本店」があるが、ともにいも棒を名物にしている。いも棒はエビイモと棒ダラを炊き合わせたもので、エビイモというのは京都特産のサトイモの一種で、形がエビに似ているところからその名がある。エビイモと棒ダラの取り合わせが、いかにも京都らしい。京都の大原から途中峠を越えて越前の敦賀に通じる越前街道は「とと(魚)街道」と呼ばれていた。北国産のタラは干してカチンカチンにした棒ダラとなって、敦賀から京都に運ばれた。

95、ニシンそば(京都)

「京都に来たなあ!」と、しみじみと実感するのは、このニシンそばをすすっているときだ。そばの上に、長時間かけて甘辛く、やわらかく煮た身欠きニシンがのっている。身欠きニシン特有の味が汁にしみ出し、やわらかくなった身欠きニシンとそばの取り合わせが何ともいえない。身欠きニシンというのは頭と尾、内蔵を取り去り、2つに裂いて干したものだが、北海の産物である。それが日本海航路の北前船で敦賀港に送られ、前項の棒ダラと同じように京都に運ばれた。今でも敦賀にはニシン倉が残っている。京都は昔から日本海と密接に結びついた町だった。

96、普茶料理(京都)

京都といえば精進料理。その一系統が普茶料理。宇治の京滋バイパス宇治東IC近くに万福寺があるが、そこの名物料理になっている。江戸時代に隠元(インゲン豆の名の由来にもなっている中国の禅僧)によって伝えられた中国風の宴会料理だ。胡麻豆腐や巻繊(けんちん)は普茶料理から日本の精進料理の中に入っていった。万福寺や門前の「白雲庵」で食べられる。

97、湯豆腐(京都)

京都の寺めぐりでなんとも楽しいのは、そこならではの名物料理とからめられることだ。石庭で名高い竜安寺では、鏡容池を見渡す茶屋で湯豆腐を食べた。京都の料理というと、見かけばかりで量が少ないといったイメージがあるが、ここの湯豆腐は2人で食べてちょうどいいくらいのボリューム。鍋には豆腐のほかに白菜、人参、ミツバ、シイタケ、山イモ、粟麸、花麩が入っていた。豆腐は禅僧が中国から持ちかえったもので、もともとは寺の食べ物。それが町に出た。ということで、星の数ほど寺のある京都で豆腐料理が盛んなのは当然といえる。湯豆腐でとくに有名なのは南禅寺の湯豆腐専門店「奥丹」だ。

98、湯波(京都)

京都でのおすすめは、錦小路の錦市場歩きだ。京都第一の繁華街、新京極から入っていく。ここはまさに京都の台所。狭い通りの両側に魚屋、八百屋、乾物屋、肉屋、惣菜屋…と、食料品店が140軒あまりも並んでいる。その中に京料理には欠かせない湯波と生麩をつくる店もある。湯波の原料は大豆。豆乳をつくり、それを煮立てると表面に薄い膜が張る。それをさっと引き上げたものが生湯波だ。これがうまい。生湯波を1枚1枚乾燥させたものが湯波になる。湯波は酢の物、あえ物、五目飯、汁の具‥と、京都の名物料理には必ず入っている。

99、生麩(京都)

京料理に色どりを添える生麩の原料は小麦粉だ。小麦粉のなかでも、中力粉や強力粉が使われる。そのつくり方はといえば、小麦粉に水を加え、少量の塩を混ぜてこねると次第に粘り気が出てくる。それに水を加えながらもむと、水に溶ける成分や澱粉が流れだし、粘り気の強い小麦のたんぱく質だけが残る。それがグルテン。つまませてもらうと、チューインガムのかたまりのようなものだ。グルテンを水でよく洗い、様々な形にして色づけしたのが生麩である。

100、千枚漬(京都)

京都はまさに漬物の町。新京極や河原町通りのみやげ物店をのぞくと、きらびやかな光りを浴びた千枚漬やすぐき漬、しば漬などの漬物が、主役の座に座っている。そのうちの千枚漬の材料は京野菜の聖護院カブラだ。それを千枚漬の名前の通りの薄切りにし、塩漬けにする。そのあとで昆布や酢、砂糖、味醂を入れて漬けなおす。それぞれの味が隠し味となって混ざりあう。言葉をかえれば、どの味ひとつをとっても、突出して強く出てはいけないのだ。そのあたりに、微妙な味に全神経を集中させる京都の食文化を見る。

101、神社の名物餅(京都)

京都の神社めぐりで楽しいのは、それぞれの神社特有の名物餅を食べられることだ。上加茂神社の名物餅はやき餅。門前の茶屋で白餅、草餅の2種を食べたが、薄い餅皮に粒あんを包み、鉄板で両面を焼いたもの。今宮神社の名物餅はあぶり餅で、竹串に刺した小さな餅をこげめがつくほどに炭火で焼いたもの。北野天満宮の名物餅は長五郎餅。薄く延ばした餅にこしあんを包み込んだもので、甘味の強いあんが茶によくあう。ここにはもうひとつの名物餅、栗餅もある。これら京都の名物餅はすべて長い歴史に培われたものだ。

102、京都銘菓(京都)

京都といえば和菓子の本場。日本中を探しても、京都以上に銘菓の多い町はない。その中でも代表選手といえばこの八ッ橋。井筒八ッ橋、聖護院八ッ橋がある。生八ッ橋もある。修学旅行で京都に行ったことのある人なら、きっとみやげで八ッ橋を買って帰ったことだろう。そのほか「長政」「豆富」「船はやし」の五色豆、「河道屋」「丸太町かわみち屋」のそばぼうろう、「亀屋良永」の御池せんべい、「長久堂」のきぬた、「平安殿本舗」の平安殿とまさに百花繚乱。「尾張屋」のそば餅、「鶴屋吉信」の柚餅、「三条若狭屋」の祇園稚児餅と、京都には餅菓子も数多くある。

103、タケノコ料理(京都)

竹には様々な種類があるが、京都でいうところのタケノコとはモウソウチク(孟宗竹)のタケノコのことである。これが北陸や東北になると、タケノコといえば細いネマガリダケのタケノコのことになる。このあたりの地域差が見えてくるのが日本を旅するおもしろさ。タケノコ大好きの京都人にふさわしく、京都には老舗のタケノコ料理専門店があるほどで、そこではタケノコの刺し身、タケノコの田楽、タケノコの天ぷらといったタケノコ料理のフルコースを賞味できる。家庭料理でも、春先のタケノコご飯は欠かせない。

104、関東煮(大阪)

大阪で関東煮(かんとだき)といったらおでんのこと。その同じ関東煮が中京圏になると“かんとうに”になる。大阪・妙見山上の茶店で食べた関東煮にはたまご、だいこん、ちくわ、ごぼうてん、こんにゃく、あつあげの6品が入っていた。体の芯まで冷え込む妙見山上を吹き抜ける風に吹かれたあとで食べる関東煮はまた格別だ。東京でもそうだが、木枯らしに吹かれると、無性に屋台のおでんを食べたくなる。大阪の関東煮の具に欠かせないのがコロとサエズリ。コロは鯨の脂肪のついた皮を煎り、それを水につけてふやかしたもの。サエズリは鯨の舌。今ではそのかわりにスジを使っているところが多い。

105、かやく飯(大阪)

かやく飯の“かやく”は、“火薬”ではなく“加薬”で、飯に炊き込む具のことである。その具というのはゴボウ、ニンジン、油揚、コンニャクなどで、加薬を細かく刻んで混ぜ、醤油で味つけして炊き上げる。このかやく飯のすごさは、おかずがいらないことだ。大阪人らしい合理的、経済的な食べ物。安くてうまくて量の多いのが大阪の食の基本だ。

106、お好み焼き(大阪)

大阪といえばお好み焼き。ということで、関東人のカソリ、なにはともあれ、大阪に着くとすぐに通天閣を目指した。大阪らしい食べ物のお好み焼きを大阪の匂いがプンプンする通天閣の周辺で食べたかったのだ。「狐狐(ここ)」というお好み焼きの専門店に入る。メニューを見てびっくり。ぶた玉、いか玉、あさり玉、牛肉玉、ほたて玉やそれらをミックスした玉、さらにはスジ肉とコンニャクの入ったスジコン玉、ベーコン、チーズ入りの洋風玉もある。こんなにも多種多様のお好み焼きがあるとは知らなかった‥。で、メニューの一番上にあるぶた玉を頼んだが、鉄板の上でジューッと焼き上がったぶた玉にソースを塗って、かつおぶしと青のりをたっぷりふりかけて食べる味は、まさに大阪そのもの。

107、バッテラ(大阪)

大阪の安くてうまい食べ物の代表選手がこのバッテラだ。ぼくの大好物。バッテラを宿の部屋に持ちかえり、それをつまにカンビールを飲むというのが、正統的関西ツーリングの仕方!? 材料となるサバは紀州、四国沖でとれたもの。このあたりが京都のサバずしとは違う。大阪と京都というのは近いようでいて、その実、ものすごく遠い。まるで別世界なのだ。それはさておき、バッテラだが、これは押しずしでバッテラ専用の押し型に入れてつくる。そのため箱ずしともいわれる。

108、きつね(大阪)

大阪では“きつね”といえばうどんに決まっている。東京でいうところの、そばの上に油揚ののった“きつねそば”は大阪では“たぬき”になる。だが、大阪人は東京人と違って、そばよりもはるかにうどんを好むので、きつねは食べても、たぬきを食べることはあまりない。東京でいうところの、揚げ玉ののった“たぬきうどん”や“たぬきそば”は、大阪にはない。きつねの汁がこれまた東京とは大違い。うす口醤油を使っているので、澄んだ、透明感のある汁。大阪人は東京人が好む濃い口醤油でまっ黒になった汁を顔をしかめていやがる。このようにうどんひとつをとってみても、大阪と東京の違いは大きい。このような違い(これが文化なのだ!)を自分の目で見る、確かめるのが旅のおもしろさなのだ。

109、うな丼(大阪)

大阪と東京の東西比較というのは最高におもしろい。前項のうどん同様、うなぎも大阪と東京ではずいぶん違う。大阪ではうなぎを料理するときには腹開きにするが、東京では背開きだ。大阪にあって東京にないのは“まむし”。食堂のメニューで初めて“まむし”を見たとき、ほんとうにウナギのかわりにマムシを使っているものだとばかり思っていた。すぐさま注文したが、それはうな丼。ただひとつ違うのは、丼飯の上にうなぎをのせ、さらにその上からご飯をまぶしてあることだ。“まぶす”から“まむし”に転訛したのだという。

110、但馬牛のステーキ(兵庫)

関西三大和牛の、神戸牛、近江牛、松阪牛の元はといえば、すべてが但馬牛だ。但馬牛の子牛を神戸近くの三田で育てたのが神戸牛、近江で育てたのが近江牛、松阪で育てたのが松阪牛になる。ということで、何でも「元」を食べてみたいカソリ、国道9号を京都から走ったときは「但馬に入ったらステーキ!」と口の中で唱え、兵庫県に入ってすぐの町、和田山のレストランでさっそく但馬牛のステーキを賞味した。正直いって但馬牛の肉がとびきりうまいとは思わなかったが、神戸牛のステーキに比べると値段が格段に安かった。

111、豚まん(兵庫)

神戸の南京町は横浜、長崎と並ぶ日本三大中華街。その入口には新しく長安門が出来たし、店数も増え、阪神大震災以前よりもはるかに今のほうが賑わっている。中国人のパワーはたいしたものだ。ここの名物はなんといっても「老祥記」の豚まん。ここの豚まんを買い求める人たちで長い列ができている。神戸人にいわせると、「老祥記」の豚まんは日本一ということになる。豚まんは肉まんのことだが、神戸では誰が何といおうと豚まんなのだ。「老祥記」の列がなかなか短くならないで、近くの店で豚まんとちまき、胡麻団子、油条を買い、それを長安門の下に座り込んで食べた。しばし中国の風に吹かれ、中国大陸を放浪しているかのような気分をも味わえた。

112、くぎ煮(兵庫)

くぎ煮というのはイカナゴの佃煮のこと。関西人の大好物で、本場の神戸(須磨浦)から明石にかけての海岸地帯のみならず、大阪の食堂や丹波、十津川といった山間の地の食堂に入っても、このくぎ煮が1品のおかずとして実によく出てくる。イカナゴは春を告げる魚で、2月、3月になると須磨浦のイカナゴ漁が盛んになる。そのイカナゴを醤油、砂糖、ショウガで煮て佃煮にしたものがくぎ煮だが、でき上がった形がくぎのような形をしているところからくぎ煮の名前がある。

113、カニすき(兵庫)

冬から早春にかけては、山陰海岸の香住町温泉はカニ一色だ。柴山漁港近くの温泉民宿「たかはしや」に泊まったのだが、湯から上がると、膳にはカニすきが用意されていた。カニすきとはカニ鍋のこと。大皿に野菜類やしらたきなどと一緒に松葉ガニがまるごと1匹ドーンと乗っている。まずカニ味噌を肴にビールを飲んだあと、たんぷり肉のついた脚をさっとゆで、三杯酢につけて食べる。次にゆでないで、生で食べる。さらに宿のおかみさんに頼んで焼いてもらう。ゆでてよし、生でもよし、焼いてもよしの松葉ガニ。最後に鍋の中にご飯を入れてカニ雑炊にした。カニの味がたっぷりしみ出た汁なので、文句なしにうまい。「あ~、生きててよかった!」