賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(6)関西編(その1)

75、鮒ずし(滋賀)

琵琶湖産のニゴロウブナやゲンゴロウブナを使った鮒ずしは、現存するすしの中では日本最古のものといわれている。塩漬けにした鮒をさらに飯(い)ずしにしたもので、できあがるまでに、何ヵ月もの日数がかかる。独特の臭いがあるので、食べられない人もいるが、ぼくにとっては大好物。酒の肴には最適だ。

今ではすしというと、江戸前に握りずしを思い浮かべる人も多いが、握ったすし飯の上に新鮮な江戸前の具をのせた握りずしは、長いすしの歴史からみたらほんの新参者でしかない。すしというのはインドシナの山岳地帯で生まれたといわれるが、本来は山のもので、川魚や獣肉を長い期間、飯に漬け込んで発酵させた食べ物なのである。一言でいえば川魚や獣肉の漬物だ。

つまり鮒ずしはすしの原型で、なれずしの類になる。気の短い江戸っ子は本来のすしとは似ても似つかない握りずしをつくったのである。で、琵琶湖近くの町々に行ったら、ぜひとも鮒ずしの店を探して食べてみよう。決して安くはないが、鮒ずしは食の文化財といっていいほどのものなのだ。

76、シジミ飯(滋賀)

琵琶湖は日本一の大湖だが、フナやコイ、アユ、ウナギ、エビ類、貝類など多種類の魚介類が生息している。そんな琵琶湖のおかげで滋賀県の内水面の漁獲量は他府県に比べると、桁外れに大きい。まさに滋賀県が“湖国”といわれる所以である。そのため琵琶湖周辺の地方では、琵琶湖産の魚介類を材料にした料理が発達している。

シジミもそのひとつ。琵琶湖南岸の名刹、石山寺の門前にはシジミ飯を名物にしている店がある。琵琶湖から流れ出る瀬田川でとれるシジミを使っているとのことで、この“瀬田シジミ”は身の大きさと味のよさで知られている。瀬田シジミを材料にし、一人前の鉄釜で炊き上げた“炊き込み飯”がシジミ飯だ。

77、鴨すき(滋賀)

琵琶湖に飛来する鴨の種類は多いが、最も美味なのはこの地方で“青首”と呼ばれているマガモの雄である。鴨すきの具にはハクサイやネギ、セリ、シイタケ、エノキダケ、焼き豆腐、シラタキなどを入れる。鴨肉とこれら具の取り合わせがいい。この鴨すきは湖国の冬を代表する味覚だが、宿などでせっかく名物料理の鴨すきを出してもらっても、鴨肉だとわからないままに食べてしまってはもったいない。鴨肉は上質の牛肉にも似ているからだ。鴨すきのほかには鉄板焼き、丸焼き、狩場焼きなどの料理法がある。

78、近江牛のすき焼き(滋賀)

近江牛は神戸牛、松坂牛と並ぶ関西圏の“三大牛肉”だが、ひとつおもしろいのは、大阪人は神戸牛のほうが上等だといい、京都人は近江牛のほうが上等だといいていることだ。だが、近江牛にしても神戸牛や松坂牛にしても、もとはすべて黒毛和牛の但馬牛で、それを近江牛だと滋賀県で、神戸牛だと神戸に近い三田で、松坂牛だと松坂で大きく育てたものである。

近江牛の産地は湖東平野で、とくに日野を中心とする蒲生野(がもうの)が主産地になっている。この近江牛を使った料理でもっともポピュラーなのはすき焼きだ。専門店もあるが、家庭料理でもよく食べられる。すき焼きはなにかのときのご馳走で、客人が来るとすき焼きでもてなすことが多い。内陸県の滋賀県だから、海魚よりも牛肉という理由もあるだろう。

79、近江牛の味噌漬け(滋賀)

近江牛の味噌漬けは土産物や贈り物としても人気が高いが、上質のロースを白味噌の西京味噌で漬け込んだものである。ふだんでは、めったに口にできないような贅沢な味わいだが、土産物や贈答用に売られているものだけでなく、家庭でもつくられる。1枚150グラムぐらいのロースを半日くらい西京味噌に漬けると肉に味がしみ込み、それをさっと焼いて食べる。この肉と白味噌の取り合わせが絶妙なのだ。

80、日野菜漬け(滋賀)

日野菜はその名のとおり、湖東の日野町で生まれた野菜。信州の野沢菜のようなものである。日野菜はアブラナ科でダイコンに似ているが、土の上に出ている首の部分は赤菜ともいわれるように赤紫色をしている。秋に種をまき、晩秋から初冬にかけて収穫する。日野菜漬けは収穫した菜を天日で干し、塩で下漬けにしたあと糠漬けにしたもので、滋賀県を代表する漬物になっている。

81、三輪そうめん(奈良)

桜井市の三輪(みわ)は、日本最古の神社ともいわれる大神(おおみわ)神社の鳥居前町だ。ここが日本のそうめん発祥の地。宝亀年間(770~781年)に、大神神社の神主が小麦の栽培をおおいに奨励したとのことで、それがそうめんづくりにつながっていく。この三輪そうめんが河内そうめん、播州そうめん、小豆島そうめんなど日本の主なそうめんの源流になっている。

三輪そうめんは小麦粉をこねた団子を切って油でのばし、“油がえし”、“ほそめ”、“こより”の3工程を経て、次第に細くし、それを乾燥させたもの。大神神社の背後の三輪山から流れ出る清流と奈良盆地の冬の風加減が良質のそうめんをつくり出している。

三輪そうめんといえば、日本中に出荷され、高級品のイメージが定着しているが、ぜひとも現地まで行って本場のそうめんを食べてみよう。きっと食文化の神髄をも合わせて賞味できることだろう。

82、柿の葉ずし(奈良)

吉野地方には柿の木が多い。祭りや祝いのときによく柿の葉ずしをつくるが、柿の木が多いこの地方ならではの料理といえる。この柿の葉ずしの材料は塩サバで、昔は熊野灘から吉野地方まで馬の背で運ばれた。その途中で浜塩がサバ全体になじみ、絶妙な味をつくり出した。新鮮なサバとは別物のような味わいになる。この塩サバを薄く切って握ったすし飯の上にのせ、柿の葉で巻き、木製のすし箱に並べ、上から重しをかけたものが柿の葉ずし。一昼夜も押しておくと食べられるようになるが、2日目、3日目ごろが食べごろになる。柿の葉ずしは押しずしの代表格だ。

83、茶粥(奈良)

茶粥の本場といえば“奈良茶粥”といわれるほどで、奈良の大和地方になる。大和は昔からの茶の産地で、かつて農家は製茶時にできるくず茶を茶袋に入れて煮出し、それで粥を炊いた。もともと米の豊かなところではなかったので、粥にすることによって量を増やすという意味合いも茶粥にはある。山陽のぶんず粥と同じように糅(かて)となる小豆やササゲ、ソラマメなどを入れる茶粥もよくつくられた。茶粥は奈良のみならず、紀州でも河内でもよくつくられたが、昔は西日本のかなり広い地域で茶粥が食べられていたようだ。

84、奈良漬け(奈良)

奈良漬けといったら野菜の粕漬けの代表格のようなもので、もちろん“奈良”がつくくらいだから奈良が本場なのである。奈良市内には老舗の専門店が何軒もある。ところでぼくは東京・練馬の石神井で育ったが、小さいころは家の近くに奈良漬けの工場があり、奈良漬けというのは“練馬大根”で知られた練馬の特産物だとばかり思っていた。まあ、これは半分、冗談。

奈良漬けの歴史は古く、400年近くも前の記録に出てくるほどで、奈良の寺の僧が考案したもののようで、それが奈良盆地の農民に広まった。奈良漬けの材料といえば、昔は大和名産のシロウリと決まっていたが、今ではナス、キュウリ、ダイコン、ショウガなども漬け込まれている。

85、吉野葛(奈良)

クズ粉というと、最近ではもっぱらジャガイモの澱粉を使って“クズ粉”と称しているで、その原料がジャガイモだと思っている人も多い。だが、クズ粉なのだから、当然、原料は葛なのである。みなさんは本物の葛を見たことがあるだろうか。山地に自生する多年草で、その根がクズ粉の原料になる。大きいやつだと塊根が2、3メートルも連なっている。その根を洗って乾かし、棒でたたいてつづれ状にし、桶の中でもんで澱粉をもみ出す。沈殿させた澱粉を煮固め、それを乾燥させてもみほぐし、さらさらの粉にしたものがクズ粉なのである。昔から病人食には最適といわれてきた。

山地に住む日本人は、このようにして葛をはじめ、カタクリやワラビなどの山野に自生する草の根から澱粉をとった。それが今ではカタクリ粉もジャガイモの澱粉。これぞまさに日本の食文化の衰退‥。まあ、それはおいて、吉野でとれる葛を原料にした吉野葛は、日本でも最高級のクズ粉で、その大部分は高級和菓子の原料として出荷されている。桜の名所、吉野山の茶店の名物はくず餅だ。

86、ぼたん鍋(奈良)

五条から国道168号で冬の天辻峠を越えた。峠周辺は雪とアイスバーン。難渋をきわめた峠越えだった。峠を下るとそこは十津川の世界。山が険しく谷が深い。奈良盆地と同じ奈良県とは思えないような風景だ。寒さに震えて湯泉地温泉に着き、「旅館むさし」という温泉宿に泊まったが、そこの夕食がぼたん鍋だった。いやー、体が芯からあたたまった。

ぼたん鍋というのは猪鍋のことだが、このあたりにはイノシシが多く生息している。野菜やキノコ、豆腐などと一緒に味噌味で煮込んだ猪肉は野性の味とでもいうのだろうか、フニャッとした肉ではなく、はっきりとした意志をもっているかのような歯ごたがあった。猪鍋は各地で食べたが、この湯泉地温泉の猪鍋は、冬の厳しい寒さをついて走ったあとに食べたこともあって、とくに忘れられないものになった。

87、アマゴ料理(奈良)

アマゴといえば“渓流魚の女王”だ。地域によってはアメゴとかアメノウオと呼んでいる。十津川上流の天川村は関西圏では一番といってもいいほどのアマゴの生息地。ここではアメノウオと呼んでいる。天川村の宿に泊まればたいてい夕餉の膳にはアメノウオの塩焼きが出る。アマゴ料理の中でも、この塩焼きが一番うまい。そのほか甘露煮にしたり、鍋料理に入れたりもする。

88、鯨料理(和歌山)

南紀の太地はかつては鯨漁でおおいに栄えた。宮城県の牡鹿半島の鮎川と並ぶ“鯨の町”だった。ここには「くじら博物館」がある。また太地漁港では細々とつづく沿岸捕鯨用の捕鯨船が見られる。太地温泉の国民宿舎「白鯨」では夕食に鯨のフルコースを食べたが、これがすごかった。

食卓はまさに鯨料理のオンパレードといったところで、何と7種類もの鯨料理が出たのだ。それは次のようなもの。

①オノミ(赤身)とウネス(脂身)の刺し身。ショウガ醤油につけて食べる。

②サエズリ。鯨の舌で、トロッとした味わいがある。酢味噌をつけて食べる。

③コロ。皮から脂分を抜いたもので、シコシココリコリとした歯ごたえがある。さっぱりした味で、酢味噌をつけて食べる。

④オバケ(尾羽毛)。ワサビあえの薄いミント色のもので、シソの葉の上にのっている。かむと、クチュクチュクチャクチャと、チューインガムのようだ。

⑤内蔵の煮つけ。甘辛く煮つけてあって、ダイコンおろしが添えられている。

⑥鯨肉の佃煮風ゴマあえ。

⑦鯨肉のすきやき。

この「白鯨」の鯨のフルコースだが、鯨料理以外のものといえば、酢にひたした小魚のフライとサラダ、漬物が出ただけ。鯨料理だけで満腹になった。

89、めはりずし(和歌山)

南紀・新宮のJR新宮駅の名物駅弁はめはりずしだ。高菜の漬物の茎を細かく刻んで飯に混ぜ、それでお握りをつくり、残りの葉で包み込んだものである。この駅弁のめはりずしは2口、3口で食べられてしまうようなかわいらしいものだが、本当のめはりずしというのはソフトボールの球ぐらいある巨大なものだ。

本来、めはりずしは山地の食べ物で、山仕事などに持っていく弁当だった。南紀のツーリングで那智大社周辺をまわったときのことだ。色川という集落でバイクを停めたとき、たまたま「兄さん、お茶でも飲んでいきなさいよ」と声をかけてくれたおばちゃんがいた。ありがたくお茶を飲んでいると、「残りものだけど」といってめはりずしを出してくれたのだ。そのときの驚きといったらない。あまりにも大きいのだ。めはりずしというのは、その大きさのあまり、目をぱちくりするところから名づけられたという説もあるが、まったく同感。それほど大きかった。

90、サンマずし(和歌山)

サンマずしも、めはりずし同様、JR新宮駅の名物駅弁になっている。南紀ではサンマのことをサエラといっているが、遠州灘で産卵したサンマは熊野灘まで南下するとやせ衰えてしまう。それを焼いて食べても脂分が抜けているのでうまくない。そこでサンマずしにするのだ。腹開きにしたサンマに塩をあて、そのあとで酢に漬ける。その上にすし飯をのせ、専用のすし箱に入れて重しをかける。このあたりが“すしマジック”とでもいおうか、焼いたサンマとはまったく別物の“なれずし”特有のうまみが出てくる。発酵力の成せる技といってもいいだろう。これぞまさに日本人の食の知恵だ。

91、カツオ茶漬け(和歌山)

カツオ茶漬けといえば、南紀の漁師の名物料理だ。サンマ漁が終わった春になると、南紀ではカツオ漁が盛んになる。とりたてのカツオを家に持ち帰ると、漁師は自分の手でカツオをさばき、刺し身を醤油につける。10分もおいておくと身が締まる。それを炊きたてのご飯の上にのせ、醤油をすこしかけ、熱い番茶をかけて食べる。このように、なんとも素朴な料理だが、カツオが新鮮なだけにうまいのだ。

92、精進料理(和歌山)

高野山といえば真言宗の総本山の金剛峰寺を中心に100余もの堂塔伽藍がならぶ日本の聖地。山上には大きな門前町ができている。ここには参拝者が宿泊する宿坊が50ほどあるが、それぞれの宿坊での名物料理といえば精進料理だ。福井県永平寺の精進料理が有名だが、日本各地の名刹の地では必ずといっていいほど精進料理が発達し、それが名物料理になっている。