賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「南米・アンデス縦断」(59)

 1月11日。「ホテル・エスパネ」の朝食を食べ、8時30分に出発。 一歩、フエゴ島を走りはじめると、とても島とは思えないほどの広さに圧倒される。大陸そのままといった感じの大平原がはてしなくつづく。地平線に一直線に突き刺さるような道を走りつづける。道を横切る羊の大群に出会ったが、これはパタゴニアでは見られない光景だ。

 南緯55度の世界最南の町ウシュアイアとアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを結ぶ道に合流し、国境に到着。チリ側の国境事務所で出国手続きを終えると、アルゼンチン側の国境事務所に向かった。ここはぼくにとっては忘れられない国境なのだ。

「南米一周」(1984年~1985年)の時のこと。

 チリ側からアルゼンチン側に入ると、「ツーリスタ・ハポネス!(おー、日本人の旅行者よ!)」と国境事務所の係官に大歓迎され、熱いコーヒーまで入れてくれた。

「で、キミに頼みがあるのだけど…」

 このフエゴ島の国境を通過する日本人旅行者の数はけっこう多いとのことで、スペイン語をまったく話せないし、読めないという日本人旅行者も多いという。そこで次のような質問事項を日本語で書いて欲しいと頼まれたのだ。

「あなたの名前は?」

「生年月日は?」

「独身ですか? 結婚していますか?」

「どこから来ましたか?」

「どこに行きますか?」

 おやすい御用と引き受けたのはいいのだが、なにしろ「悪筆カソリ」、それを見た日本人旅行者たちはきっとアルゼンチン人の書いた日本語だと思ったことだろう。アルゼンチン側の国境事務所で入国手続きをしていると、そんな思い出が鮮やかに蘇ってくるのだった。

 国境を越えたアルゼンチン側で昼食。カップヌードルとサンドイッチを食べた。

 国境を越えるとすぐにサンセバスチャンの町。そこからウシュアイアへは国道3号(ルータ・トレス)を南下していく。この国道3号はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスとウシュアイアを結ぶアルゼンチンの幹線国道で、全長は3000キロを超える。チリ領内ではルートナンバーが変わり、フエゴ島内が国道257号、マゼラン海峡を渡った大陸側が国道255号になっている。

 フエゴ島最大の町リオグランデを過ぎると、平地から山地に入っていく。南米大陸を南北に走るアンデス山脈の最南端の山々。高さは1000メートル前後でしかないのに、どの山も雪をかぶっている。

 雪山に手が届きそうなくらいの峠を越えた。

 峠を下り、谷を抜け出ると、前方にビーグル水道が見えてきた。

「やったー! ついにやって来たぞ、ウシュアイアだ!」

 20時、ウシュアイアに到着。ペルーの首都リマを出発してから38日目。9082キロを走っての到着だ。

 それにしても南緯55度という世界最南の町は寒かった。夏の盛りだというのに周囲の山々は冬景色同然で、雪化粧をしている。

 我々はウシュアイアの町をひとまわりしたあと、ビーグル水道の浜辺に立った。対岸はチリのナバンノ島。さらにその南には小島が点在し、ホーン岬で南米は尽きる。その南の世界といえばドレーク海峡をはさんで南極大陸のアンタルティカ(南極)半島になる。そこまでの距離は800キロほどでしかない。ウシュアイアから南極大陸はきわめて近い。

 ウシュアイアでは「ホテル・ティエラ・デル・フエゴ」に泊まった。その夜はウシュアイア到着を祝っての大宴会。シャンパンを景気よく開け、ビールやワインを飲み干した。

 じつは出発前、「南部アフリカ」(2003年~2004年)と「サハラ砂漠縦断」(2004年~2005年)、「韓国往復縦断」(2005年)を一緒に走った島田利嗣さんからカンパを預かっていた。島田さんは今回の「南米・アンデス縦断」にも参加するつもりで楽しみにしていたが、病に倒れ、参加できなくなってしまった。

 そんな島田さんから、「カソリさん、ウシュアイアに着いたらみなさんで祝杯を上げてください!」といって預かったカンパ。それを使わせてもらっての大宴会なのだ。大宴会は夜中までつづいた。最後に全員で「島田さん、ありがとう!」と声を上げ、大宴会はお開きになった。

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フエゴ島を走る!

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一直線に延びる道

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羊の群れに出会う

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ウシュアイアに到着!