賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「南米・アンデス縦断」(57)

 1月10日。「ホテル・イスラ・レイ・ホルヘ」の朝食を食べ、8時、プンタ・アレナスを出発。マゼラン海峡沿いの道を南下し、マゼラン海峡の入口にあるブルネス要塞まで行く。ブルネス要塞は南米大陸最南の地だ。

 マゼラン海峡を左手に見ながら走る。フエゴ島がはっきりと見える。プンタ・アレナスから60キロ走るとブルネス要塞に到着。1843年に築かれた要塞で、それが復元されて史跡公園になっている。錆びた大砲の砲身がマゼラン海峡に向いている。

 ブルネス要塞を見てまわると、要塞内の道をさらに南下し、最南端のサンタ・アナ岬まで行った。南米大陸の道はここで尽きる。南緯53度38分15秒、西経70度54分38秒のサンタ・アナ岬は南米大陸最南端の岬だ。

南米大陸一周」(1984年~85年)の時もブルネス要塞に来たが、そのときは軍がここを管理していた。軍のみなさんの好意でひと晩、泊めてもらった。職業軍人のベネガスさんがキャプテン格で、彼の下に19歳とか20歳といった若い兵士たちが6人いた。

 軍の宿舎での夕食では、ぶ厚いビーフステーキをご馳走になった。ビーフステーキを食べながら、ベネガスさん、若い兵士たちとワインを飲みながら、日本のこと、チリのことなど、いろいろ話した。ぼくはカタコトのスペイン語なのだが、カタコト語の威力とでもいおうか、言葉でそれほど不自由することはなかった。

「南米一周」をスタートさせた頃は英語がこれほどまでに通じないとは思ってもみなかったので、けっこう困った。しかし「言葉は慣れ」で、単語をつなぎ合わせた程度のカタコトのスペイン語でもけっこう通じるものなのだ。

 チリでは18歳から20歳までが徴兵期間だとのことで、若い兵士たちは全員が徴兵期間中。任期を終えて、早く家に帰りたいと、誰もが口々にいう。

 日本には徴兵制度がないというと、うらやましそうな声を上げた。

「明日の昼には、ペスカド(魚)を料理するからゆっくりとしていきなさい」

 と、ベネガスさんにいわれ、翌朝は8時過ぎまで寝た。

 朝食のあと、午前中は要塞を見学した。この地方の先住民の使ったカヌーや農具なども展示されていた。

 天気がめまぐるしく変わった。青空が広がっていたのに、あっというまに黒雲に覆われ、冷たい雨がザーッと降ってくる。それもつかのまで、雨が上がると、何事もなかったかのように青空が広がる。それなのに、すぐにまた雨が降ってくるといった繰り返し。マゼラン海峡の太平洋側の方向を見ると、黒雲が垂れ込めている。それが次々に大西洋側へと流れてくる。

 昼前にプンタアレナスに出かけていたベネガスさんが、ゴッソリと魚を買い込んで戻ってきた。さっそく若い兵士たちが手際よく料理する。頭と尾を落とし、3つに切り、開き、ころもをつけて揚げた。魚のフライにゆでたジャガイモと刻んだキャベツを添えるとでき上がり。昨夜につづいての、ワイン飲み放題の「ペスカド・パーティー」だ。

 そんななつかしのブルネス要塞をあとにし、プンタ・アレナスに戻ると、レストランで昼食のサンドイッチを食べた。プンタ・アレナスからは午後のフェリーでフエゴ島に渡るのだ。 

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マゼラン海峡を見ながら走る。対岸にはフエゴ島

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南米大陸最南端の道

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ブルネス要塞の入口

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ブルネス要塞に到着

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なつかしの兵舎

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ブルネス要塞の砲台

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ブルネス要塞南端への道

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南米大陸最南端のサンタ・アナ岬