賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

アフリカ縦断2013-2014(その33)

「ナイロビ→ケープタウン編」(33)

 ケープタウンに到着した翌日の1月15日は4時に起き、4時30分に「ケープタウンロッジ・ホテル」のロビーに集合した。集まったのは平本さんと尾原さん、それと賀曽利の3人。まだ暗い道を歩いてケープタウン駅まで行く。豪華寝台列車ブルートレインを見ようという趣向なのだ。

 ケープタウン駅の24番線ホームに入線した16両編成のブルートレインを見て感動したあと、ブルートレイン専用の待合室に入った。すると「コンイチハ」と日本語で挨拶され、紅茶まで出してもらった。きっと日本人観光客も多いのだろう。写真集のようなブルートレインのパンフレットをもらった平本さんは、「いつの日か、このブルートレインに乗ってみたい!」といって目を輝かせた。

ケープタウンロッジ・ホテル」に戻るとレストランでの朝食。グアバジュースを飲み、クロワッサンとハム&チーズを食べ、8時30分にホテルを出発。全員で喜望峰に向かう。これが「アフリカ縦断」(ナイロビ→ケープタウン編)最後のツーリングになる。

 テーブルマウンテンを見ながら走り、喜望峰へとつづく小半島のケープ半島を南下する。サイモンズタウンの中心街を過ぎたところでは、ペンギンコロニーに立ち寄り、かわいらしいケープペンギンを見た。

 ケープタウンから80キロ、ケープ半島の南端に到着すると、まずは「ケープポイント」へ。駐車場にバイクを止め、ヒーヒーハーハー、息を切らせて坂道を歩いて登り、白黒2色の灯台のあるケープポイントに立った。絶景ポイントで、そこからは喜望峰の断崖を真下に見下ろせた。

 次に喜望峰へと海沿いの道を走る。道の尽きる地点には「CAPE OF GOOD HOPE 18°28′26″EAST 34°21′25″SOUTH」の碑が立っている。それには「ここはアフリカ大陸の最南西端地点」と英語とアフリカーンスで書かれている。なお英語の「CAPE OF GOOD HOPE」は,アフリカーンスでは「KAAP DIE GOEIE HOOP」になる。

 喜望峰の駐車場にバイクを止めると、岬突端の岩場に立ち、真っ青な大西洋に向かって「ウォォォー」と,雄叫びをあげた。

 そのあと岩場に座り込んだが、しばらくは動けなかった。

 17歳の夏の日が思い返されてならなかった。

「アフリカに行こう!」と思い立った「あの日」のシーンが、まざまざとまぶたに浮かんでくる。地理の地図帳の「アフリカ」のページを開き、ケープタウンアレキサンドリアを結び、定規でピーッと赤線を引いた「あの日」のシーンだ。

「よーし、この線でもって、アフリカ大陸を縦断しよう」

 と17歳のカソリは、固く決心したのだ。

 ぼくにとってケープタウンは世界でも特別な地といっていい。1968年の「アフリカ縦断」では、どうしてもケープタウンを出発点にしたかった。ケープタウンに上陸したら喜望峰に立ち、それからアフリカ大陸を北上し、地中海のアレキサンドリアを目指すつもりでいた。

 ところが南アフリカのビザが取れず、ケープタウンを出発点にできなかった。 当時の南アフリカアパルトヘイトの国。日本人はオナーブル・ホワイト(名誉白人)ということで、南アフリカでは有色人種の中で唯一、白人待遇を受けていた。それは日本が南アフリカの一、二の貿易相手国だったからだ。ということで日本人のビジネスマンは白人扱い。しかし同じ日本人でも旅行者はそう簡単には南アフリカに入れなかった。

 本連載の第1回目でふれたことだが、1968年4月12日に横浜港からオランダ船の「ルイス号」に乗って、「アフリカ縦断」に旅立った。この船はモザンビークのロレンソマルケス(現マプト)、南アフリカのダーバン、ポートエリザベスケープタウンと寄港し、大西洋を越えてブラジルのサントス、ウルグアイモンテビデオ、さらにはアルゼンチンのブエノスアイレスまで行く船だった。

 出発前は毎日のように東京の南アフリカ領事館に通ったが、ついにビザを取れなかった。そのためケープタウンまで行くことができず、モザンビークのロレンソマルケスで下船し、そこを「アフリカ縦断」の出発点にしたのだ。その悔しさはいつまでも、いつまでもぼくの心に残った。ケープタウンから走り出したかった…。

 それだけに今回、こうしてケープタウンをゴール地点にすることができ、喜望峰に立つことができて、感慨はひとしおだった。

 名残おしい喜望峰に別れを告げ、我々はケープタウンに戻る。その途中では、サイモンズタウンのレストランで昼食のパスタを食べた。

 ケープ半島西岸の絵のように美しい海岸美を眺め、テーブルマウンテンを見上げながら走り、ケープタウンの中心街に入っていく。すると何と、ヤマハのテネレに乗るピーターとすれ違った。ピーターはすばやくUターンすると、我々を「ケープタウンロッジ・ホテル」まで先導してくれた。

 17時、「ケープタウンロッジ・ホテル」に到着。これにて「アフリカ縦断」の全行程終了。ナイロビからの距離は7395キロになった。全行程をノントラブルで走りきってくれた我が愛車、スズキのDR-Z400Sには、「ほんとうによく走ってくれた。DRよ、ありがとう!」と心からのお礼をいった。

 翌1月16日7時、「ケープタウンロッジ・ホテル」にはテネレに乗ってピーターがやってきた。これからケープタウン国際空港の近くにある「モルガン・カーゴー」までバイクを持っていくのだが、ケープタウンを知りつくしているピーターが案内してくれるというのだ。

 ケープタウンの中心街を走り抜け、空港に通じるN2(国道2号)を走り、1時間ほど走って「モルガン・カーゴ」の保税倉庫に到着。ここでピーターと別れた。ピーターはテネレを飛ばし、これから職場まで行くという。ほんとうにありがとう、ピーター!

 横浜港の本牧埠頭でバイクを送り出したときと同じように、各人のバイクのバッテリーの配線を外し、最後にバイクをバックに記念撮影をした。横浜港で受け取る日まで、しばらくの別れだ。

「モルカン・カーゴ」が用意してくれた車に分乗して「ケープタウンロッジ・ホテル」に戻った。

 その日の夕食は「富士yumi」という日本食のレストラン。刺身&天ぷらと日本の味を満喫。ご飯も味噌汁もうまかった。夕食を終えるとホテルに戻り、601号室のカソリの部屋での宴会開始。ビールやワインをさんざん飲んだ。

 参加者のみなさんには、今回の「アフリカ縦断」の一言コメントをもらった。

 亀石さん…ケープタウンに到着できてうれしい。次回は単独で!(この言葉通り亀石さんはケープタウンに残り、さらに何日か、旅をつづけた)

 栗山さん…「今、とっても楽しい旅をつづけてます。雨が降りつづいているけれど」と妻に手紙を書きましたよ(栗山さんはテント内で傘をさして寝た伝説の人)。

 平本さん…ダートを走り切れた自分の力に感動です。

 伊藤さん…こんなに楽しい時間を過ごせて。それがとってもうれしい!

 石井さん…もう、ハラハラドキドキの連続ですよ。

 榛澤さん…腰の痛みを乗り越えてケープタウンまで走り切れたことが何よりもうれしい!(榛澤さんは腰痛のため出発が危ぶまれたほど)

 尾原さん…自分勝手に走れたのがすごくよかった(尾原さんは速い。ナミブ砂漠をまるで我が庭のようにして走った)

 増田さん…日本での怠惰な生活を乗り越えてケープタウンまで走り切りました。日本に帰ったらまた怠惰な生活に戻りますよ(笑)

 小島さん…みんなのまとまり、「和」がすごい!

 翌1月17日13時30分、ケープタウン国際空港からエミレーツ航空のEK773便でドバイへ。ドバイでEK318便に乗り換え、1月18日18時45分に成田空港に到着した。

 空港に降り立ったカソリ、「さー、次はナイロビ→アレキサンドリアだ!」と、「アフリカ縦断・後編」への夢を新たにするのだった。(了) 

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いざ、喜望峰

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ケープペンギンを見る

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ケープポイントから見下ろす喜望峰

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喜望峰で記念撮影

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喜望峰に立つ!