アフリカ縦断2013-2014(その32)
「ナイロビ→ケープタウン編」(32)
1月14日、6時、朝食。マヨパンとトマト、缶詰のビーン(豆)を食べ、8時、出発。N1(国道1号)のウースターからはグレートカルー、リトルカルーの丘陵地帯を豪快なアップ&ダウンの連続で一気に越えていく。
そして南アフリカのインド洋岸の港町、ダーバン、イーストロンドン、ポートエリザベスを結び、ケープタウンに通じるN2(国道2号)に出た。その間はケープワインの一大産地。丘陵地帯の斜面にはブドウ畑が広がり、ワイナリーをあちこちで見た。かんきつ類やスモモなどの果樹園も見た。
N2(国道2号)を横切り、ブレダスドルプの町へ。その間もアップダウンの連続。セローに乗る栗山さんは「北海道よりも1000倍も2000倍も大きい風景!」と感動した面持ちで言った。
ブレダスドルプの町を過ぎると、風景は一転して大平原に変わった。
12時、アフリカ大陸最南端のアグラス岬に着いた。岬には赤白2色の灯台。岬の突端には「アフリカ大陸最南端」の碑。それには「あなたは今、アフリカ大陸最南端の地に立っています」と、英語とアフリカーンスで書かれている。
目の前の青い海に別に線が引かれている訳ではないが、ここで右手の大西洋と左手のインド洋の2つの大洋に分かれる。アグラス岬に立っていると、まるで地球を手玉にとっているかのような壮大な気分を味わうことができた。
アグラス岬に立つのは「南部アフリカ一周」(1973年~74年)と、道祖神のバイクツアー「目指せ、アグラス岬!」(2003年~04年)に次いで3度目のことになる。中でも「目指せ、アグラス岬!」は忘れられない。アグラス岬に立った日の夜はブレダースドルプの町のキャンプ場に泊まった。我ら「アグラス軍団」は大晦日の町に繰り出し、レストランで盛大な宴会を開いた。特産のケープワインを何本もあけ、「乾杯!」を何度も繰り返し、アグラス岬到着を祝った。
翌朝は2004年の元日。我々はブレダースドルプのキャンプ場で初日の出を見た。一片の雲もない快晴の空に昇る朝日は神々しいばかりで、思わず手を合わせた。真夏のアフリカ大陸最南の地には正月気分はまるでなかったが、口々に「明けましておめでとうございま~す!」と新年の挨拶をかわしたのだ。それがつい昨日のことのように思い出されるのだった。
そんな思い出の地、ブレダースドルプの町に戻ると、ゴールのケープタウンを目指した。カレドンでN2(国道2号)に合流し、ゆるやかな峠を越えると、喜望峰へとつづく海岸線を一望した。さらにN2を走ると、ケープタウンのシンボルのテーブルマウンテンがどんどん大きくなってくる。
そしてアグラス岬から200キロほど走ってケープタウンに到着。ナイロビを出発してから28日目、7232キロを走ってのケープタウン到着だ。 ケープタウンでは町中の「ケープタウンロッジ・ホテル」に泊まった。
夕食はケープタウン一番の繁華街、ロング通りのすし店「ミナト」で。
まずはビールの「ウイントフック」で乾杯。味よりも名前で選んだビール。そのあとで食べた何種もの握りずしはうまかった。香港人の板前さんが握ったすし。ビールを飲み干すと、つづいて日本酒の「白鶴」を升で飲んだ。
最高の気分で「ケープタウンロッジ・ホテル」に戻ると、ピーターとレナタのカップルが来てくれた。今度はホテルのバーで2人と一緒にケープワインを飲んだ。
ナミビアのウイントフックで会い、次にアラスで会い、最後に南アフリカのケープタウンで会ったピーターとレナタ。「アフリカ縦断」での忘れられない人になった。
一面のブドウ畑
アグラス岬へ
アグラス岬の灯台
アフリカ大陸最南端の碑
ケープタウンまであとわずか
ケープタウンに到着!
ケープタウンのロング通り