賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

アフリカ縦断2013-2014(その30)

「ナイロビ→ケープタウン編」(30)

 1月11日。夜明け前に起き、全員でフィッシュリバーキャニオンへ。朝日に照らされた大峡谷を見ようという趣向だ。砂漠に昇る朝日にフィッシュリバーキャニオンは刻一刻と色を変えていく。そんな大峡谷の色の変化を展望台に立ち尽くして見つづけた。

「ホバスキャンピングサイト」に戻るとマヨパン&紅茶の朝食を食べ、8時に出発。この日はアイアイ温泉までの80キロほどなので、すごく楽な行程だ。高速ダートを走り出すとまもなく「世界一周」チャリダーの伊藤さんの自転車を追い抜いた。

「ガンバレ、伊藤さん!」

 ナミビア一番の温泉、アイアイ温泉のキャンプ場「アイアイホットスプリングスリゾート」に到着したのは10時。「ホバスキャンピングサイト」から73キロだ。さっそく豪華な温泉施設の温泉に入る。その入浴料は10ナミビアドル。日本円では100円ほどでしかない。昼食はキャンプ場内のレストラン。フィッシュ&チップスを食べた。昼食後はナミビアのビール「TAFEL」を飲んだ。1本18ナミビアドル(約180円)。

「よーし、今日は徹底的に飲もう!」

 と決め、夕方までに全部で8本の「TAFEL」を飲んだ。

 ほろ酔い気分での夕食では、オリックスのステーキを食べた。

 1月12日、5時起床。満天の星空。夜が明け、マヨパン&紅茶の朝食を食べ、7時出発。ナミブ砂漠を南下し、10時には南アフリカとの国境に到着した。

 アイアイ温泉から140キロほどだ。

 ナミビア側での出国手続きを終え、国境のオレンジ川を渡る。

「おー、なつかしのオレンジ川よ!」

 ぼくが初めてこのオレンジ川を渡ったのは「南部アフリカ一周」(1973年~1974年)の時のことだった。「南部アフリカ一周」では南アフリカヨハネスバーグを出発点にし、スワジランドレソト、南西アフリカ(現ナミビア)の4ヵ国をスズキのGT550で走った。全行程1万キロの「南部アフリカ一周」ではどのようにしてオレンジ川を渡るかが、大きな問題だった。

 その時はケープタウンから北上したのだが、南西アフリカの国境に近づくにつれて不安が増した。「国境はいったい、どうなっているのだろう」という不安だ。

 南西アフリカ入国のビザも許可証も持っていなかった。国境で追い返されたら、「もうそのときはそのとき」と覚悟を決めていた。

 ヨハネスバーグを出発する前には南アフリカ内務省に行った。南西アフリカへの入国について聞くためである。特別な許可証のようなものが必要なのか、それともビザが必要なのか。

 南西アフリカは1884年にドイツ領になったが、第1次世界大戦後の1920年に南アフリカ委任統治領になった。第2次世界大戦後は国連の信託統治領への移行を勧告されたがそれを拒否し、南アフリカは実質上、南西アフリカを支配していたのだ。

 内務省では「あっちだ、こっちだ」と次々に窓口をたらい回しにされたが、結局、最後まで明快な回答を得ることができなかった。というよりも、わざとはっきりとさせないような節を感じた。ということで、南西アフリカはビザなしで行くことにしたのだった。

 乾ききった丘陵地帯を走り抜け、オレンジ川の河谷に入った。

「この流れが南アフリカと南西アフリカの国境なのか」

 と、感動した面持ちで眺めた。

 国境に到着すると、じつに意外というか、拍子抜けしてしまった。出入国のチェックがまったくなかったからだ。南アフリカ側、南西アフリカ側には、ともに国境のイミグレーションや税関、検問所のたぐいは一切なかった。オレンジ川にかかる橋の上にGT550を停めた。茶色に濁った水が流れ、川の両側だけにわずかな緑が見られた。それらをとりまく茶褐色の山肌には草木一本なかった。

 今回、ナミビア側での出国手続きを終えてオレンジ川にかかる橋をDR-Z400Sで渡っていると、40年前の「南部アフリカ一周」のシーンが鮮明な画像で蘇り、胸がいっぱいになってしまうのだった。

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早朝のフィッシュリバーキャニオン

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アイアイ温泉への道

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アイアイ温泉のキャンプ場に到着

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アイアイ温泉に入る

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南アフリカ国境へ

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これがナミブ砂漠での最後の記念撮影

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南アフリカ国境に到着!