アフリカ縦断2013-2014(その15)
「ナイロビ→ケープタウン編」(15)
12月27日5時起床。まずはトイレ&シャワー。「ウイールハウス マリーナ」のキャンプ場はふんだんに水が出るし、シャワーからは熱い湯が出る。さっぱりした気分で夜明けのマラウィ湖畔を歩いた。
6時、朝食。マヨパンのあとマンゴーにかぶりつく。3個、4個と食べ放題だ。
7時、サンガベイの「ウイールハウス マリーナ」を出発。マラウィ湖畔にキャッサバ畑をみつけると、バイクを止めて畑の中を歩いた。
マラウィの主食はトウモロコシだが、キャッサバも重要な食料になっている。イモを粉にするというよりも、イモのまま焼いて食べることが多い。これが西アフリカになると、いったん粉にして熱湯で煮固め、餅状にして食べる。
来た道を引き返し、サリマの町に戻る。そして首都のリロングウェへ。交通量が一気に多くなる。ゆるやかな登り。バイクを止めると、我々は高台から雄大な風景を見下ろした。
サリマから80キロほどでマラウィの首都リロングウェに到着。スーパーマーケットで買い出しをする。ここでは冷えたコカ・コーラを飲んだが、1本200クワチャ(約50円)。
1時間半ほどのリロングウェ滞在で隣国のザンビアへ。国道沿いのセコンダリー・スクール(中高等学校)の木陰にシートを敷いて座り込み、さー、昼食だ。リロングウェのファストフード店で買ったハンバーガーとフライドポテトを食べる。そのあとは速攻で短い昼寝。これがすごく体に効く。
ザンビア国境に向かって走ると雨が降り出してくる。バイクを止め、マンゴーの木の下で雨具を着て走った。
リロングウェから130キロ走るとザンビア国境に到着。今回のマラウィはぼくにとっては46年ぶりのことになるが、こうして国境までやってくると、1968年の「アフリカ縦断」でのマラウィが懐かしく思い出されてくるのだった。
1968年の「アフリカ縦断」ではモザンビークからマラウィに入り、マラウィ湖から流れ出るシレ川を渡った。当時は「マラウィ湖」ではなく「ニアサ湖」といっていた。シレ川を渡ると、マラウィ最大の都市ブランタイヤー、当時の首都のゾンバと通り、サリマへ。サリマからは今回と同じルートでリロングウェから国境を越えてザンビアに入ったのだ。
1968年の「アフリカ縦断」の日記帳を開いてみると、「マラウィで気のついたこと」と題して、次のように書かれている。
1、いたるところで大統領ドクター・バンダの写真が飾られている。大統領は62歳。独身で、彼の女秘書が実質上の妻だと聞いた。
1、ミニスカート禁止令が出ている。
1、ガソリンはシェル、トータル、モービル、カルテックスの欧米系。1ガロン5シリング。
1、1970年には首都がゾンバからリロングウェに移るとのことで、そのためリロングウェに通じる道路は工事個所が多かった。
1、警官の免許証チェックに何度も出会った。
1、インド人商店が多いが、インド人たちは親切に応対してくれた。
1、マラウィの主食はメーズ(トウモロコシ)。粉にして食べる。
1、マラウィ人は穏やかな性格。みなさん、表情が明るい。
1、マラウィの国土は大半が山地で、日本と似ている。
1、マラウィの国土の大半をニヤサ湖が占めている。
マラウィ、ザンビアの出入国の手続きはスムーズで、1時間ほどでマラウィからザンビアに入った。
国境で両替をすると1USドルが5クワチャ。1ザンビア・クワチャは約20円だ。
国境近くの町、チパタで給油し、郊外の「ママルーラ・キャンプ場」に泊まった。テントを張り終えると、まずはキャンプ場内のバーでザンビア産ビールの「モシ」をキューッと飲み干した。1本10クワチャ(約200円)。そのあとキャンプ場内のレストランで夕食の「ラザニア」を食べた。ザンビアの辺境の地といってもいいチパタのキャンプ場で食べるイタリア料理は格別だ。
夜明けのマラウィ湖畔を歩く
マラウィ湖畔のキャッサバ畑
サリマからリロングウェへの道
リロングウェを走る日本の中古車
木陰での昼食
ザンビア国境への道
チパタ郊外の「ママルーラ・キャンプ場」
夕食の「ラザニア」