アフリカ縦断2013-2014(その7)
「ナイロビ→ケープタウン編」(7)
12月20日4時30分。スピーカーから流れてくるコーランの声で目が覚める。ルショットの町にはいくつかのモスクがある。イスラム教は赤道を越えて南へ、南へと勢力圏を広げている。
6時、夜が明けるとキャンプ場の周辺をプラプラ歩き、高台からルショットの町並みを一望した。キャンプ場に戻ると朝食。道祖神の吉岡さんが用意してくれる。パンにマヨネーズを塗ってトマトをのせて食べる。この「マヨパン」がこれからの我が朝食のベース。それをジュースを飲み、紅茶、コーヒーを飲みながら食べた。
8時、ルショットを出発。来た道を引き返し、ダルエスサラームに通じる国道まで下った。
コログウェの町を通り過ぎたところで、ランダーバート(ロータリー)の大きな分岐に出る。左方向の道はタンザニア北部の港町、タンガに通じている。右方向の道がタンザニア最大の都市ダルエスサラームに通じている。
この分岐を過ぎたところでトラブル発生。谷を跨ぐ橋上で大型トラックがエンジントラブルで止まっていた。2車線の道だが、橋は狭くなっているので大型車のすれ違いが難しい。バイクはすり抜けできるので問題なく走れたが、サポートカーは道が開通するまで待たなくてはならなかった。
我々バイク軍団は先に行き、古い港町、バガモヨとの分岐点に食堂をみつけると昼食にする。ライス&チキン、肉汁、それにプランタインがついている。プランタインは料理用バナナのこと。青いうちに収穫し、ナイフで皮を剥き、イモやキャッサバと同じようにして食べる。
ずいぶんと遅れてやってきたサポートカーと合流し、チャリンゼへ。このあたりが今回のルートの中では一番、暑かった。気温は30度をはるかに超え、汗がダラダラと流れ落ちる。
チャリンゼはダルエスサラームとザンビアの首都ルサカを結ぶ道との分岐点。T字路を右折してモロゴロへ。左折するとダルエスサラームで100キロほどの距離だ。
この日はモロゴロを過ぎ、ミクミナショナルパークを過ぎたところのキャンプ場に泊まる予定だったが、想定外のトラブルで遅れ、モロゴロの町の入口にある「ロードビューモーテル」に泊まった。
宿に入るのと同時に、猛烈な雨が降り出す。空が抜け落ちんばかりの激しい降り方。モーテルのレストランで「タスカー」を飲みながら豪快に降りつづける雨を眺めたが、1時間もしないうちに雨は上がり、きれいな夕日が山の端に落ちていった。
モーテルのレストランで夕食。「ウガリ・ナ・セマキ」を食べる。ウガリはケニア、タンザニアの主食で、トウモロコシの粉を熱湯で練り固め、餅状にしたもの。セマキは魚のこと。焼き魚が1匹、まるごと皿にのっている。それに汁がついている。
ウガリを手でつかみ、丸めて汁をつけて食べる。これがアフリカの食の基本といっていい。西アフリカのサバンナ地帯では雑穀を粉にし、同じようにして食べる。西アフリカの熱帯雨林地帯ではタロイモやヤムイモ、キャッサバのイモ類やプランタインを煮立て、それを臼で搗いて、やはり同じような餅状のものにして食べる。
ウガリを食べながら、「アフリカに戻ってきた!」と強烈に実感するカソリだった。
ルショット周辺の山岳地帯を行く
ダルエスサラーム行きのバス
ダルエスサラームとタンガの分岐点
大型トラックが疾走するダルエスサラームへの道
ここがチャリンゼの分岐点
モロゴロの夕日
夕食の「ウガリ・ナ・セマキ」