「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(60)
大船渡からは国道45号を北上。釜石を通り、鵜住居へ。ここまでが釜石市になる。
鵜住居は釜石市最大の被災地。ここだけで1000人もの犠牲者を出した。悲劇だったのは、津波の避難訓練に使われていた鵜住居地区防災センターに避難した100人以上もの人たちが亡くなったことだ。その防災センターは廃墟と化した町並みの中にポツンと残っていた。
釜石市から大槌町に入る。ここでは1300人が犠牲になった。すさまじい数字だ。
大槌町から山田町に入る。山田も大津波に襲われて大きな被害を受け、700人以上もの犠牲者が出た。
鵜住居、大槌、山田と、三陸海岸のこの狭いエリアだけで3000人以上もの命が奪われた。鵜住居から山田まではわずか20キロほど。V-ストロームで走れば30分もかからない距離だ。
ところで大津波に襲われて壊滅的な被害を受けた大槌町と山田町だが、隣合ったこの2つの町には大きな違いがある。大槌は町役場が津波の直撃を受けて全壊。町長をはじめ町役場の職員の多くが亡くなった。それに対して山田は町自体は大槌同様全滅したものの、高台にある町役場は残った。司令塔を失った大槌と司令塔の残った山田、この隣合った2つの町はあまりにも対照的だ。
(※管理人注:以下、原稿(26)と内容重複してますが、いまカソリ氏取材中&大事なことなので重複してもいいか、という判断で、以下、原稿ママでお送りします。)
山田の町役場の隣には八幡宮があり、参道の入口には「津波記念碑」が建っている。それは1933年3月3日の昭和三陸大津波の後に建てられたもの。
山田の「津波記念碑」には次のように書かれている。
1、地震があったら高い所に集まれ
1、津波に追われたら何所でも此所位高い所へ登れ
1、遠くへ逃げては津波に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け
1、県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな
山田の町役場は「津波記念碑」の教えを忠実に守り、それと同じ高さのところに建っているので無傷だった。それに対して山田の町並みは「津波記念碑」の教えを無視し、それよりも下に町並みを再建したので、明治三陸大津波、昭和三陸大津波にひきつづいて今回の平成三陸大津波でも、町が全滅してしまった。
大船渡の中心街
釜石駅前
大槌のコンビニ
山田町の町役場
これが津波記念碑
山田の八幡宮