「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(56)
鮎川に戻ると県道2号→県道41号で女川へ。高台上の病院の駐車場から大津波で全滅した女川の町を見下ろした。瓦礫はきれいに撤去され、人気スポットの「マリンパル」もすでに取り壊されて跡形もない。その中にひっくり返ったビルだけが残っていた。
女川から国道398号で雄勝へ。
「雄勝」は宮城県の雄勝が「おがつ」、秋田県の雄勝が「おがち」と読むのだが、いつも混同してしまう。。
まあ、それは置いて、合併して石巻市になった雄勝はまるで見捨てられてしまったかのようだ。大津波で全壊した町跡に復興のきざしは全く見えない。雄勝を襲った大津波のシンボル的存在だった、公民館の屋上に乗り上げたバスは地面に下ろされていた。
雄勝から釜谷峠のトンネルを抜け出ると、北上川にかかる新北上大橋へと下っていく。橋の一部が落下して長い間、通行止めのつづいた新北上大橋は通行可。落下部分には仮橋ができている。
この新北上大橋手前の右手に多数の生徒や先生が亡くなった大川小学校がある。V-ストロームを止め、花束などの供えられた慰霊塔に手を合わせた。
大川小学校の悲劇は、大津波をまったく想定していなかったところにある。津波の非難訓練をし、避難場所を決めておいたら、悲劇は防げたという声をよく聞く。巨大地震のあと、高台に避難する時間は十分にあった。
しかし、「ここまで大津波が押し寄せて来ることはないだろう」と誰もが思っていたので避難が遅れた。ここは北上川の河口から5キロも離れている。海からは遠い。
そんな大川小学校で、東日本大震災1年後の、3・11の雪の宮古で助けられたkoshiさんに出会った。「いやいや」でしばらくはあの時の「雪道談義」。koshiさんとは南三陸町まで一緒に走った。
南三陸町では「300日3000湯」で一緒に温泉めぐりをした「温泉大好き人間」ののらさんに出会った。仕事の休みというと車を走らせて東北各地の温泉をめぐっているのらさんには、どれだけ教えてもらったことか。
南三陸町からは国道45号を北上。気仙沼に到着すると漁港周辺を見てまわり、県道26号で石割峠を越え、唐桑半島に入っていく。
巨釜、半造の海岸美を見、半島南端の御崎へ。
御崎にある国民宿舎「からくわ荘」に泊まった。以前は「おー!」と声が出るほど豪華な海鮮料理で知られていたが、震災以降は比べようもない。それでも夕食には煮物、酢の物、揚げ物などと一緒に刺身の盛合わせと焼き魚が出た。
「からくわ荘」は岬の高台上にあるので大津波にやられることはなかった。震災後も早々と営業を再開し、復興事業の関係者たちの貴重な宿になってきた。この日もほぼ満員。飛び込みで行ったのにもかかわらず、幸運にも泊まれた。
ラッキー!
これも「カソリ流・旅の仕方」!?
いつものことだけど、旅は出たとこ勝負の連続だ。
かつての女川の中心街
女川の瓦礫は撤去されていた
大川小学校
koshiさんとの出会い
北上川の河口周辺
国民宿舎「からくわ荘
「からくわ荘」の夕食