賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(49)

 南相馬市は4月16日に東電福島第1原発20キロ圏の規制線の変更により、ほぼ市内の全域に行けるようになった。そこで阿武隈山地山麓を走る県道34号と旧陸前浜街道の県道120号、浜通りの幹線の国道6号、海沿いの県道255号と4本のルートで南相馬市浪江町の市町境まで行った。国道6号は警察車両が道路を封鎖していたが、それ以外の3ルートはゲートのみだ。

 県道34号の浪江町側は広々とした吉沢牧場。『ツーリングマップル』にも出ているような広い牧場。その封鎖地点には「希望の牛達を生かして!」とか「殺処分反対!」とか「東電・国は大損害をつぐなえ!」などと大書きされた看板が立っている。それら1枚1枚の看板が胸に突き刺さってくる。みなさん、どれだけ辛い思いをしていることか…。

 ところで4月16日の東電福島第1原発20キロ圏の規制線変更は、相馬地方のみなさんにとってはすごくうれしいことだった。

 というのは相馬人の心の原点といってもいい「相馬野馬追」は、相馬市の中村神社と南相馬市の太田神社、それと小高神社の3社の祭りだからだ。昨年もあの未曾有の大災害のあと、相馬野馬追は開催された。しかし旧小高町の小高神社は立入禁止地域で、昨年の相馬野馬追は規模を縮小し、片肺で開催されたのだ。

 浪江町境まで通行可能になった国道6号で、その旧小高町に入っていく。小高神社は健在。しかし小高の町に人影はまったくなかった。大津波にやられた訳でもなく、大地震でつぶされた家が何軒かはあったが、、町民全員が避難したので無人の町になってしまった。3・11当時のままの町並みが、そっくりそのまま残っていた。

 旧小高町の小高神社、旧原町市の太田神社の2社を参拝し、海沿いの県道74号を行く。南相馬市から相馬市に入ったところにある蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」に泊まった。カソリの浜通りツーリングには欠かせない蒲庭温泉にはいままで何度も泊まっている。東日本大震災の2ヵ月後にも、営業を再開して間もない「蒲庭館」に泊まった。

 そのときの若女将の話は忘れられない。

「高台にある学校での謝恩会の最中に、巨大な黒い壁となって押し寄せてくる大津波を見たんですよ。大津波は堤防を壊し、あっというまに田畑を飲み込み、家々を飲み込みました。多くの人たちが逃げ遅れ、大勢の犠牲者を出てしまいました。この磯部地区だけで250人以上の人たちが亡くなりました。大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ4、50センチぐらいだろうと思ってましたね。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」

「蒲庭館」には今年の3月11日、東日本大震災の1年後にも泊まった。そのときの若女将の話も心に残った。

「被災したみなさんは1年たってもまだ現実を受け入れられないのです。悪夢を見ているのではないか、朝、目をさませば、また元通りの村の風景、元の家、元の生活が戻ってるのではないかって思っているのです。一瞬にしてあまりにも多くの人命とか財産を失くしてしまいましたからねぇ…」

「蒲庭館」の湯に入り、湯上りのビールをキューッと飲み干したところで夕食。部屋食だ。若女将は地酒の1合瓶を1本つけてくれた。

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南相馬の国道6号を南下

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太田神社の参道

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太田神社を参拝

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小高神社を参拝

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県道255号で浪江町境まで行く

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南相馬の破壊されたままの堤防

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蒲庭温泉「蒲庭館」に到着

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「蒲庭館」の温泉に入る

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「蒲庭館」の夕食