「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(48)
福島県太平洋側の浜通りは、東京電力福島第1原子力発電者の爆発事故によって、完全に南北に分断されてしまった。
国道6号の広野町と楢葉町の町境からいわき市の四倉に戻ると、迂回路で浜通りの南部から浜通りの北部に向かっていく。その迂回路というのは阿武隈山地を南北に縦貫する国道399号だ。
四倉から県道41号経由で国道399号に入ると、スズキの650ccバイク、V-ストロームを走らせ北へ。交通量はきわめて少ない。最初のうちは2車線の道だが、内倉湿原のある内倉を過ぎると1車線の狭い道になる。所々は2車線区間もある広狭混在の道。そして狭路の峠を越えて川内村に入る。峠を下ったところからは2車線の道になる。
国道399号の「いわき市→川内村」の区間が改良されれば国道6号の迂回路になるのだが、この道を迂回路として使う車はほとんどない。距離はずいぶんと遠くなるが、国道399号の西側の国道349号が迂回路として使われているのが現状だ。
川内村には村役場が戻り、村人たちが戻り始めているので、人々の生活の匂いがした。荒れ果てた田畑も少しづつだが耕されている。それでもまだ国道沿いで開いている店はほとんどない。戻ったみなさんの生活の不便さが容易に想像できた。
川内村からは田村市、葛尾村、浪江町と通って飯舘村に入る。これら阿武隈山地の市町村の境はすべてが峠。川内村と田村市の境は名無しの峠、田村市と葛尾村の境は掛札峠、葛尾村と浪江町の境は登館峠、浪江町と飯舘村の町村境はいちづく坂峠だ。
いちづく坂峠をはさんだ浪江町側の津島、飯舘村側の長泥はともに高濃度の放射能汚染地区。この日は7月14日でまだ通れたが、その3日後の7月17日には長泥地区は地区全体が封鎖され、国道399号もいちづく坂で通行止めになることが決まっていた。東電福島第1原発の爆発事故の影響は底なしだ。
いちづく坂峠から下った長泥では住民の姿は消えていた。白い防護服を着て防毒マスクをした作業員たちが、グループになって除染作業をしていた。
この日の長泥の放射線量は表示されていなかったが、浪江町側の赤宇木の線量は27・0マイクロシーベルトという桁はずれの数値。長泥もおそらく10を超える2桁の数値であろう。東日本大震災から1年後の3・11に通ったときは赤宇木が40で長泥が12で、桁外れの放射線量の高さだった。
長泥から飯舘村の村役場へ。
村役場前の線量計は小数点以下のほとんど問題ない数値まで下がっていた。村役場周辺でも白い防護服を着た作業員たちが放射能の除染作業をしていた。赤字で書かれた「除染作業中」の看板をあちこちで見た。
県都福島と浜通りの浪江を結ぶ国道114号は国道399号と交差する津島より東が通行止めになっているので、県道12号は今や福島と浜通りの北部を結ぶ一番の幹線になっている。そのため交通量は大幅に増加し、大型トラックが列を成して走っている。
県道12号の八木沢峠を越えて南相馬市に入る。浜通りの南部から大きく迂回して浜通りの北部に入ったのだ。
JR常磐線の四倉駅前を出発
国道399号を北上
赤宇木のこの日の放射線量は27・0マイクロシーベルトという桁外れの高さ
いちづく坂峠を越えて飯舘村に入る
封鎖される3日前の飯舘村の長泥
飯舘村の村役場
県道12号の八木沢峠