「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(41)
早朝の「気仙沼歩き」を終え、高台上の「ホテル望洋」に戻ってきた。
朝食を食べ、8時出発。
スズキのみなさんの乗った車をV-ストロームでフォローする。
「ホテル望洋」の高台下の一帯は、「東日本大震災」では大地震に見舞われ、大津波に襲われ、さらにそれに追い討ちをかけるかのように大火で焼かれた。まさに三重苦だ。
震災2ヵ月後に来たときはまだ焼き尽くされた町跡が生々しく残っていたが、今では瓦礫はすべて撤去され、何事もなかったかのように整地されている。
気仙沼の大火は今回の震災では最大のものだ。
この一帯が燃え始めたのは3月11日の夜になってからのこと。火は海上に流れ出した油に引火し、さらに燃え広がった。気仙沼湾は「火の海」になった。大津波で流された気仙沼港の22基のタンク、ドラム缶で6万本近くの油が大火をより大きなものにした。この大火で約10万平方メートルが全焼したという。
鎮火したのは震災発生から12日たった3月23日の朝。出火原因は今だに特定されていないという。
国道45号に通じる道路沿いの乗り上げ船は、震災1年後も、まだそのまま残っていた。この乗り上げ船は「第十八共徳丸」という330トンの大型巻き網漁船。この船を保存して大津波のシンボルにしようという計画もあるようだ。
被災者のみなさんにとっては忌まわしい大津波の痕跡など見たくもないというのが本心だろうが、各地からその痕跡がどんどん消え去っていくなかで、象徴的なモノを残し、それを中心にして復興祈念公園を作るというのはひとつの考え方だと思う。
気仙沼の「ホテル望洋」を出発
大火に焼かれた一帯の瓦礫は撤去されている
この乗り上げ船はまだそのまま残っていた
2011年5月18日の気仙沼・鹿折地区