「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(40)
翌朝はスズキ二輪のMさん、「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に、早朝の気仙沼を歩いた。
気仙沼港前の「男山本店」の建物が目を引く。元々は3階建だったものが、1階と2階が潰れ、3階だけが残った。
「男山本店」は大正元年(1912年)創業の老舗。ほんとうにすごいことだが、このような大災害にもめげず、震災後も「蒼天伝」や「陸前男山」などの銘酒をつくりつづけている。
「がんばれ、男山!」
気仙沼港の岸壁には大島航路の「おおしま」が停泊していた。
この大島航路の再開は早かった。震災後、20日あまりで運航を開始した。気仙沼湾に浮かぶ大島は東北最大の有人島。2002年の「島めぐり日本一周」の時に渡った。
「島めぐり日本一周」ではスズキの50ccバイク、SMX50を使ったのだが、気仙沼港から大島までは人が300円、50ccバイクが600円で合計900円だった。ところが乗用車の料金となると5000円前後にもなる。島民にとっては大変な負担だ。
そこで大島に住む人たちは車を2台、持つという話を聞いた。1人1台ではなく、1台を島内で使い、もう1台は島外で使うためのものだ。まさに二重の多大な出費。島での生活の大変さの一端をフェリーで垣間見たのだ。
今、その大島への架橋計画が本格化しているという。大島大橋の一日も早い完成を願うばかりだ。
「…あなたの影をひきずりながら港、宮古、釜石、気仙沼」が胸にしみる。それにしても「港町ブルース」に出てくる宮古、釜石、気仙沼はどこも大津波に激しくやられた。
気仙沼港の周辺はまだ復興とはほど遠い状態だが、瓦礫のとり除かれたあとに花壇がつくられ、草花が芽を出しているのを見て救われる思いがした。瓦礫を撤去した跡地に新築の家が建っているのを見ると、我がことのようにうれしくなってしまう。かなり規模の大きな仮設市場「復興商店街」も完成していた。
気仙沼の町は市役所周辺や気仙沼駅周辺、新市街地のように残った部分も多いので、きっと復興のペースが速まることだろう。
早朝の気仙沼港
3階だけが残った「男山本店」
大島航路の「おおしま」
森進一の「港町ブルース」の歌碑
「瓦礫に花団」(ママ)!
新しい家が完成!
仮設市場の「復興商店街」
震災前の気仙沼漁港