「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(37)
「石巻バイパス仮設住宅」での「スズキきずなキャリーキャラバン」の活動は15時30分で終了。「松島センチュリーホテル」に連泊するので、ここでいったんみなさんと別れ、カソリはV-ストロームを走らせ石巻に向かった。
石巻に到着すると、旧北上川河畔の日和山に登った。日和山公園内には「奥の細道」の芭蕉&曽良像が建っているが、その像は無事だ。
日和山の鹿島御児神社の鳥居前から旧北上川の河口を見下ろした。大津波から1年たったというのに、まったく復興のきざしの見えない石巻。あまりにも無残な姿に変わり果ててしまった町並みには、もう言葉もない。
東日本大震災での石巻市全体の犠牲者は3700人を上回る。東北太平洋岸の市町村の中では群を抜く数字だ。鹿島御児神社前の展望台には多くの花が供えられているが、そこで手を合わせ、亡くなられた大勢の方々の冥福を祈った。
日和山を下ると、廃墟と化した日和山下の町並みをひと回りした。
石巻から奥松島の宮戸島へ。宮戸島は松島湾では最大の島。短い橋で本土とつながっているが、よっぽど気をつけていないと、わからないまま通りすぎてしまう。
宮戸島では「松島四大観」の筆頭といわれる大高森(105m)に登り、「日本三景」の松島を一望した。寒風沢島や桂島などの浦戸諸島の島々が間近に見える。さらに「日本三大渓」の「嵯峨渓」を歩いた。見事な海岸美。東北の自然の美しさには、まったく変わりがない。
宮戸島をあとにすると、野蒜、東名と東松島市の被災地を通り、松島に戻った。
「松島センチュリーホテル」でスズキ二輪のMさんと落ち合い、ホテル近くの「さんとり茶屋」で夕食。地酒の「小僧山水」を飲みながら、タコの唐揚げ、カキの殻焼き、ホッキの刺身など松島の海の幸を食べた。
Mさんのお父さんの出身地は塩竃、お母さんの出身地は秋保で、ともに宮城県内だ。塩竃と秋保、東北の海と山の話を聞いていると酒量は上がり、Mさんと、しこたま「小僧山水」を飲むのだった。
石巻の「鯨大和煮」はまだ残っていた
日和山下の廃墟と化した町並みを行く
「松島四大観」の大高森からの眺め
宮戸島の大浜
「松島センチュリーホテル」に戻ってきた