「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(34)
女川の町跡でV-ストロームを止めたが、見れば見るほど、すさまじいやられ方だ。
今回の「平成三陸大津波」では、高さ35メートルの大津波が女川の町を襲い、中心部はほぼ全滅した。強い引き波によってひっくり返った鉄筋の建物が目立つ。これが女川の大きな特徴だ。
1000人近い犠牲者が出たが、人口に対する死亡率でいうと、東日本大震災においては大槌町を上回り、女川町が最大になる。
女川からはコバルトラインで牡鹿半島に入り、鮎川へ。震災直後から通行止になっていたコバルトラインは、北側の半分くらいは通行できるようになっている。
牡鹿半島の中心、鮎川は大地震と大津波で町はほぼ全滅した。1年たってもそれほど町の様子は変らない。復興までには相当の年月がかかるであろうと思わせる光景だ。
そんな鮎川から御番所山の展望台まで行き、目の前の海に横たわる金華山を眺めた。鮎川港から金華山への観光船は停ったままだ。
鮎川から牡鹿半島西岸の県道2号で石巻へ。夜の石巻の中心街をひとまわりしたが、以前と比べると町ははるかに暗い。
石巻からは国道45号を走り、20時、松島の「松島センチュリーホテル」に到着。まずは大浴場にどっぷりつかる。無色透明の肌にまとわりつくような松島温泉の湯。ツルツル湯だ。
湯から上がったところでスズキ二輪のMさんと落ち合い、ホテル内の居酒屋に直行。生ビールで乾杯だ。そのあと牛タンや刺身、焼きイカなどを肴にして飲むほどに、中国談義に花を咲かせた。
スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせての「広州→上海」(2008年)の中国ツーリングには、Mさんが同行してくれた。そのときの中国談義で盛上がったのだ。松島の宿で振り返る「広州→上海」は何ともなつかしいものだった。
女川の町跡
瓦礫の撤去された鮎川
鮎川で見る夕日
石巻の中心街
松島センチュリーホテルに到着
牛タンをいただきま~す!
2011年5月18日の鮎川