「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(29)
まずは田老駅のホームに上がる。三陸鉄道北リアス線のうち、宮古~小本間は開通している。午前2便、午後2便と、1日4便の列車が走っている。
田老駅前からは国道45号を越え、残った巨大防潮堤の上を歩いた。万里の長城を思わせるような巨大防潮堤のこの上を大津波は乗り越えていった。
田老は総延長2433メートルの巨大な防潮堤が、城壁のように町を取り囲んでいた。「世界最強の防潮堤」といわれ、旧田老町は「津波防災の町」を宣言したほど。この巨大防潮堤が大津波から町を守ってくれるものと、誰もが信じきっていた。
それが今回の「平成三陸大津波」では、まったく役にたたなかった。高さ30メートルを超える大津波は海側の巨大防潮堤を一瞬のうちに破壊し、内陸側の巨大防潮堤を軽々と乗り越え、185人もの犠牲者を出した。
田老の防潮堤は二重構造で、中心点から東西南北の4方向に延びるX字型をしていた。そのうち残ったのは内陸側の2方向だけだった。
田老は明治29年の「明治三陸大津波」、昭和8年の「昭和三陸大津波」につづいて、平成23年の「平成三陸大津波」でも町は全滅したのだ。
巨大防潮堤の上を歩く
田老の町跡
田老の海を見る
仮設のローソン
2011年5月19日の田老