賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(22)

 岩手県大船渡市の中心、大船渡からは県道9号で綾里へ。ここは津波の特異地帯といってもいいほどで、明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸津波」では38・2メートルという最大波高を記録した。

「明治三陸地震」によってひきおこされた「明治三陸津波」では2万1959人もの死者を出したが、この大災害によって「三陸」、「三陸海岸」の名前が日本中に定着したといわれる。

 さらに綾里では昭和8年(1933年)3月3日の「昭和三陸津波」で28・7メートルという、これまた最大波高を記録した。このときの「昭和三陸津波」は死者1522人、行方不明者1542人を出している。

 そして今回の「平成三陸津波」では、綾里湾で30・1メートルという30メートル超の波高を記録している。

 綾里漁港でV-ストロームを止めた。港をぐるりと取り囲む巨大な防潮堤と水門は無事だったが、防潮堤を乗り越えた大津波でかなりの家並みが破壊された。しかし何度も大津波に襲われた綾里ならではといったところで、一段、高くなった高台に建ち並んでいる家々は無事だった。

 ところが高台下の家々は全滅している。ここでも1本の線を境にして明暗を分けている。高台上の家々は昭和三陸津波のあと、移転して造られた。高台下は近年になって造られた家々だ。

 綾里漁港の岸壁にいた漁師さんに話を聞いた。

 その漁師は大地震の直後、船を沖に出して無事だった。このあたりの海はすぐに深くなるので港外に出れば高波やられることはないという。何度となく大津波に襲われてきた綾里の人ならではの話だ。

 地盤沈下した綾里漁港の復興は進み、岸壁は70センチ、かさ上げされていた。それでも本格的な復興はまだまだ先だという。

「2年、3年ではどうしようもない。20年、30年でも無理。元通りになるまでに50年はかかるな。その頃にはまた次の大津波がやってくるよ」

 といって笑ったが、その言葉はぼくの胸に重く残った。これが3・11の1年後の現状。1年や2年ではどうしようもないというのが実感だ。

 三陸鉄道南リアス線綾里駅前には明治三陸津波と昭和三陸津波の被害状況が克明に記されている。それには「津波の恐ろしさを語り合い、高台に避難することを後世に伝えてください」と書かれている。

 綾里は今回の「平成三陸津波」で30メートル超の大津波に襲われたが、「津波教育」が徹底しているおかげで、死者は30人ほどですんだ。ちなみに「明治三陸津波」では1269人もの死者を出している。「昭和三陸津波」でも180人の死者を出している。「綾里」は常日ごろの「津波教育」が、いかに大事であるかを教えてくれている。

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綾里漁港の岸壁

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綾里の高台上の家々

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三陸鉄道綾里駅

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綾里駅前の大津波の記録

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綾里湾

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2011年5月19日の綾里