「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(13)
宮城県亘理町の荒浜を出発。県道10号に戻ると、亘理大橋で東北第2の大河、阿武隈川を渡り、岩沼市に入っていく。
県道20号との交差点を過ぎると仙台空港の滑走路下のトンネルに突入。「東日本大震災」の2ヵ月後に来たときは、このあたり一帯はすさまじい状況になっていた。車の残骸が散乱しているだけでなく、軽飛行機の残骸も何機も見られた。それがきれいさっぱりなくなっていた。
仙台空港の滑走路下のトンネルを抜け出ると名取市に入っていく。仙台空港は名前は仙台でも岩沼市と名取市にまたがる空港。震災直後の仙台空港はターミナルビルも滑走路も大津波に襲われて浸水し、当分の間は無理だと思われた。それがなんと2ヵ月もたたずに再開にこぎつけたのだ。
仙台空港にいかにすごい津波が押し寄せたかは、その近くの海岸一帯の松林を見るとよくわかる。海岸線の松林はことごとくなぎ倒されていた。
県道10号をさらに北上し、名取川河口の閖上へ。大震災前まではにぎわった漁港で、「閖上朝市」で知られていた。
高さ20メートル超の大津波に襲われた閖上の惨状はすさまじいばかりで、まるで絨毯爆撃をくらって町全体が焼き払われた跡のようだ。ここだけで1000人近い犠牲者を出している。そんな閖上だが、瓦礫はきれいに撤去され、今ではきれいさっぱりと何も残っていない。
港近くの日和山に登り、無人の広野と化した閖上を一望する。復興の芽はまだどこにも見られない。
日和山というのは日和待ちの船乗りが日和見をするために登る港近くの小山のことで、酒田や石巻の日和山はよく知られている。日和山があるということは、閖上も古くから栄えた港町だったことを意味している。
江戸時代の閖上は、伊達政宗の時代に掘られたという貞山堀を通して、阿武隈川河口の荒浜と七北田河口の蒲生の中継地として栄えた。ちなみに蒲生にも標高6メートルの日和山があった。「元祖・日本で一番低い山」として知られていたが、今回の大津波で蒲生の日和山は根こそぎ流され、山が消えた。
ところで閖上(ゆりあげ)の地名だが、伊達政宗は豊臣秀吉から贈られた門を船で運び、ここで陸揚げしたことに由来しているという。
そんな閖上の日和山には高さ2・5メートルの木柱が2本、立っている。1本には富主姫神社、もう1本には閖上湊神社と書かれている。これは2つの神社の、神が宿るための神籬だ。
もともと「日和山富士」とか「閖上富士」といわれた日和山には日和山富士主姫神社がまつられていた。大津波は日和山をも飲み込んだので、日和山富士主姫神社は流された。日和山から600メートルほど北にあった閖上湊神社も流された。この両神社は閖上のみなさんにとっては心の故郷。ということで、日和山に両神社の仮設の社ということで2本の神籬が立てられた。
日本最長の運河、貞山掘を渡り、潟湖の広浦まで行ってみる。ここは荒浜の鳥の海と似た地形。残った橋で対岸に渡ったところには「サイクルスポーツセンター」がある。建物は残ったが、1階は大津波が駆け抜けた痕跡が生々しく、とても再開できそうには見えなかった。
斎藤さんとはここ、閖上で別れた。斉藤さんは名取ICで高速に入り、横浜の自宅へと戻っていく。カソリはさらに北へ、下北半島の尻屋崎を目指して北上していく。
瓦礫が撤去された閖上の被災地
日和山には花束が供えられている
日和山の仮設の神社
日和山からの眺め
閖上を流れる貞山堀