「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(14)
仙台港周辺も大津波で大きな被害を受けたところだが、大半の工場は操業を再開している。ここでは仙台港のフェリー埠頭でスズキV-ストロームを停めたが、ちょうど太平洋フェリーの「いしかり」が名古屋港に向けて出港するところだった。
県道10号から国道45号に合流し多賀城へ。
多賀城では陸奥の国府、多賀城跡を見る。多賀城跡は無事。「奥の細道」ゆかりの壷碑も無事だ。
今回の大津波は死者2万1959人を出した明治29年(1896年)の「明治三陸大津波」同様、日本の史上最大といわれる869年の「貞観の大津波」に迫るもの。
「貞観の大津波」で陸奥の国府は全滅した。多賀城跡だけでの比較でいえば、やはり1150年前の「貞観の大津波」の方がより大きな津波だったということになる。
多賀城から国道45号で塩竃へ。塩竃では奥州の一の宮、塩竃神社を参拝した。
塩竃から松島へ。日本三景の松島は大津波の被害はそれほどでもなく、シンボルの五大堂や国宝の瑞厳寺にもほとんど被害は見られない。国道45号沿いの土産物店などもいつも通りの営業で、松島湾の遊覧船も運航している。松島湾に浮かぶ無数の島々と松島湾口に並ぶ桂島や野々島、寒風沢島といった浦戸諸島が、松島を守ってくれたのだ。
松島からは海沿いの県道27号を行く。松島町から東松島市に入るとそこは「大塚」。JR仙石線の陸前大塚駅が海岸にある。駅も駅前の家並みも無傷。大津波の痕跡はまったく見られない。その次が「東名」で、ここには東名駅がある。
「大塚~東名」間はわずか2キロでしかないが、この2キロが同じ松島湾岸を天国と地獄を分けている。ゆるやかな峠を越えて東名に入ると信じられないような惨状。大津波から1年になるが、復興とはほど遠い光景をそのまま残している。東名の大津波は石巻湾の方から野蒜海岸を越えて押し寄せてきた。
東名から野蒜へ。ここも大津波をまともに受けたところ。JR仙石線の野蒜駅前でV-ストロームを停める。駅前の県道27号の信号は倒れたままだ。無人の野蒜駅構内を歩き、おそらく2度と使われることのないであろうホームに立った。
仙台港のフェリー埠頭
松島湾の漁港
東名の惨状
野蒜駅前の倒れた道標