賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(10)

 相馬市の蒲庭温泉「蒲庭館」の朝湯に入り、大広間での朝食。この近くには東北電力の原町火力発電所があり、その復旧工事の作業員のみなさんで宿はほぼ満員。

 温泉卵、のり、塩ジャケの朝食を食べ、8時出発。カソリのV-ストロームが先頭を走り、斎藤さんの四駆がフォローする。

 県道74号でいったん相馬の市内に入り、県道38号で松川浦に向かう。

 国道6号の相馬バイパスを横切ると、その途端、大津波に襲われた被災地に入っていく。この国道6号のバイパスという1本の線を境にして、世界がガラリと変ってしまうのだ。それでも松川浦へとつづく被災地一帯の瓦礫は撤去され、乗り上げ船や散乱していた車の残骸はもうほとんど見られない。

 松川浦は「東日本大震災」から1年たってずいぶんと変わった。

 折り重なるようにして陸地に乗り上げた無数の乗り上げ船は、もう1隻も見られない。目抜き通り沿いのホテルや旅館、食堂の何軒かは営業を再開している。新しいビルの建設も始まっている。漁港には数多くの漁船が集結し、松川浦全体に活気を感じた。

 松川浦を拠点にしての漁が再開され、元通りの賑わいが戻ることを願うばかりだ。

 風光明媚な松川浦は北側の原釜と南側の磯部との間にある長さ7キロの潟湖。北端が海への出口で、そこには全長519メートルの斜長橋、松川浦大橋がかかっている。

 松川浦大橋を渡ったところが鵜ノ尾岬。そこから南へ、松川浦東岸の砂嘴が磯部まで延びていた。砂嘴上の道は大洲松川浦ラインと呼ばれる快適な2車線の海浜道路で、「日本の渚100選」の大洲海岸を通っていた。大津波の直撃を受け、大洲海岸の一帯だけでも500人近い犠牲者が出た。

 大津波は松川浦東岸の砂嘴をズタズタに寸断した。ものすごい破壊力だ。砂嘴沿いに今、仮設の道路が造られているが、それが完成したらまた大洲松川浦ラインは復活するのだろうか…。

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蒲庭温泉を出発

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松川浦の漁港

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2011年5月11日の松川浦