賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(9)

 南相馬市では相馬野馬追の原町の騎馬武者軍団が出発する太田神社を参拝し、国道6号の通行止地点まで行った。そこが爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所20キロ圏の北側になる。

 南相馬市は2006年1月、原町市と鹿島町小高町の1市2町が合併して誕生した。今回の大津波で大きな被害を受けるまでは、おそらく日本中のほとんど人が「南相馬市」を知らなかったことだろう。その南相馬市の南側が旧小高町になる。東電の福島第1原発の爆発事故によって、この旧小高町には入れなくなってしまったのだ。

 小高は相馬氏発祥の地といっていいようなところで、小高城跡の小高神社から相馬野馬追の小高の騎馬武者軍団は出発する。

 中村の中村神社、原町の太田神社、小高の小高神社とこの3社があっての相馬野馬追なのだが、原発事故によって小高神社に立入ることができなくなってしまった。

 それでも昨年、小高神社抜きの片肺状態で相馬野馬追がおこなわれた。ほんとうによかった。相馬野馬追の今年の開催も決定しているので、なんとか3社合わせての相馬野馬追になってほしいと願うばかりだった。

 国道6号の封鎖地点で折り返し、海沿いの県道260号→県道74号を行く。沿道には延々と大津波の被災地がつづくが、すでに大半の瓦礫が撤去され、はてしなく広がる無人の荒野を行くようなもの。もう何と表現していいのかわからないが、日本であって日本でないような光景だ。

 そんな県道74号沿いの蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」で泊まった。ここは「東日本大震災」2ヵ月後の5月11日に泊まった宿。若奥さんはぼくのことをおぼえていてくれた。そのときに聞いた若奥さんの話は忘れられない。

 高台にある学校での謝恩会の最中に、巨大な「黒い壁」となって押し寄せてくる大津波を見たという。大津波は堤防を破壊し、あっというまに田畑を飲み込み、集落を飲み込んだ。多くの人たちが逃げ遅れ、多数の犠牲者が出てしまった。この地域だけで250余名の人たちが亡くなったという。

地震のあと、大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ4、50センチぐらいだろうと思ってました。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」

 3・11から1年後。今回、若奥さんから聞いた話も深く心に残るものとなった。

「被災したみなさんは1年たってもまだ現実を受け入れられないのです。悪夢を見ているのではないか、朝、目をさませば、また元の村の風景、元の家、元の生活…が戻ってるのではないかって思っているのです。あまりにも一瞬にして多くの人命と財産を失いましたから…」

 そんな話を聞いた直後にけっこう大きな地震に見舞われた。ガガガガガッと電気ドリルか何かでコンクリートに穴をあけるような衝撃だ。3・11から1年たっても、このように頻繁に余震に襲われるという。

 刺身や焼き魚、貝のグラタン…などの夕食を食べ終わったころ、一緒に「シルクロード横断」や「南米・アンデス縦断」を走った斎藤さんが、車を走らせ、横浜から来てくれた。何の前ぶれもなく、連絡もなかったのでビックリするやらうれしいやら。

「カソリさん、明日は途中まで一緒に走らせてくださいよ」

「どうぞどうぞ」

 2人で大津波で犠牲になったみなさんの冥福を祈り、ビールで「献杯」。そのあと深夜まで我々の宴会はつづいた。

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国道6号の封鎖地点

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津波で流された漁船

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おびただしい数の車の残骸

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すべてが流された海岸地帯を行く

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堤防も破壊された

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2本だけ残った松

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ポツンと残った家

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道路もいたるところで破壊されている

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蒲庭温泉「蒲庭館」に到着

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「蒲庭館」の夕食