「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(8)
まずは相馬市の中心の中村だ。
福島から相馬までは国道115号で霊山を越えてやって来たが、この国道115号の「福島→相馬」間は中村街道といわれている。中通りの福島と浜通りの中村を結ぶ街道なのでその名前がある。
中村は相馬氏6万石の城下町。相馬氏の居城だった中村城跡にある中村神社を参拝。勇壮な東国武者の祭り、「相馬野馬追」の相馬の騎馬武者は、ここから原町の神旗争奪戦を繰り広げる雲雀ヶ原を目指して出発していく。
中村城は別名馬陵城。城跡はその名をとって馬陵公園になり、相馬市民に親しまれている。ここは浜通りでも有数の桜の名所だ。
中村城跡には中村神社のほかにもう1社、相馬神社があるが、中村神社と相馬神社の関係がいまいち、よくわからなかった…。
2010年の「林道日本一周」のとき、わざわざ秋田県の横手駅前まで来てくれた人。奥さんとお子さんたちと一緒に相馬まで来たとのことで、「一緒に昼食を食べましょう」という。すぐさま『ツーリングマップル東北』に載っている国道6号沿いの「白瀧」で会いましょうと返事する。
スズキのV-ストロームを走らせ、中村神社から「白龍」へ。そこで武内さん一家と落ち合った。みなさんと一緒の楽しい食事。ぼくは相馬名物の「ほっき飯」を食べた。
このあと武内さん一家は松川浦へ。松川浦の海辺で、「東日本大震災」の発生した14時46分を迎え、家族全員で黙祷するという。
武内さん一家と別れ、カソリは「白龍」から国道6号を南下。南相馬市に入ったところで14時46分を迎えた。
V-ストロームを路肩に停め、1分間の黙祷。その瞬間、神奈川県伊勢原市の自宅にいたときの、1年前のあの揺れの大きさが思い出された。
M9・0という超巨大地震(M8・0以上は巨大地震、M9・0以上は超巨大地震と呼んで区別している)のすさまじさとでもいうのだろうか、震源地からはるか遠く離れているのに震度5強の強い揺れ。それまでに体験したことのないようなユサユサユサユサとした揺れが長くつづいた。
あのときの何ともいえない不気味さ、恐怖感が蘇ってくるのだった。
中村城址の中村神社
中村神社の神馬
中村神社の本殿
相馬神社
国道6号沿いの「白龍」
武内さん一家との楽しい食事会
「ほっき飯」を食べる