賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(3)

 東北・太平洋岸最南端の岬、鵜ノ子岬を出発。カソリのV-ストロームが先頭を走り、渡辺さんのセローがそれをフォローする。

 カソリ&渡辺の「浜通り」の旅がはじまった。

 国道6号経由で小名浜へ。

 2011年3月11日の東日本大震災の2ヵ月後に来た時は段差が連続した国道6号だが、今ではすっかり路面がよくなり、走りやすくなっている。

 国道6号から小名浜に向かう道も大半が新たに舗装され、段差や亀裂、陥没箇所がなくなっている。震災から1年、道路だけ見れば完全に復興しているかのように見える。

 信号もすべて点灯している。震災後しばらくは、信号の消えた交差点で各地からやってきた都道府県警の警察官が交通整理をしていた。そんな光景が今ではなつかしく思い出される。

 いわき市最大の漁港、小名浜には活気が戻っていた。

 東北最大の水族館「アクアマリン」は奇跡の復活をとげ、かつての人気スポット「いわき・ら・ら・ミュウ」も再開し、そこそこの人を集めて海産物を売っている。

 小名浜漁港の「市場食堂」も店舗を新しくして営業を開始している。わくわく気分で「市場食堂」で昼食。メニューは限られたものだが「マグロの漬け丼」(1350円)を食べた。一日も早く地元産の食材を使ったメニューが出ますように!

 ここまではよかったのだが…。

 漁港の岸壁で漁師さんたちの話を聞いたとたんに気持ちは暗くなる。

 魚市場は再開しているのに、水揚げされる魚はほとんどない状態がつづいているという。「小名浜」というだけで、まったく買い手がつかないのだ。金華山沖で獲ったカツオを小名浜漁港で水揚げすると、「キロ100円だよ」といって漁師さんは嘆いていた。福島県沖で獲れたのではないのに…。

 あまりの風評被害の大きさに、いいようのない怒りがこみあげてくる。

 小名浜からは三崎、竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎…と4、5キロの間隔で連続する岬をめぐる。それらの岬は漁港とセットになっている。竜ヶ崎の中之作漁港、合磯岬の江名漁港、塩屋崎の豊間漁港…と。それらいわき市内の漁港はどこも閑散としていた。

 漁は再開できるような状態なのだが、風評被害で漁師さんたちは漁に出て魚を獲っても、水揚げできないのだ。東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故の影響の大きさを目の当たりにするような思いだ。

 塩屋崎の南側は豊間海岸、北側は薄磯海岸で、海辺の集落はともに大津波に襲われて全滅した。いわき市内では最も甚大な被害を出したところで、300人を超える人たちが亡くなった。

 すでに瓦礫は撤去され、家々の土台が残っているだけで、一面の荒野にしか見えない光景が広がっている。住宅の高台への移転はまだ全くはじまってはいない。

 これが震災後1年の風化といものなのだろうか、あの大津波に襲われた直後の生々しい光景は、まるで幻であったかのようにさえ思えてくる。

 豊間と薄磯の両集落は全滅したが、岬の灯台の下に建つ美空ひばりの『みだれ髪』の歌碑は無傷で残った。ここはまさに浜通りの奇跡のスポットだ。

  暗らや涯なや塩屋の岬 

  見えぬ心を照らしておくれ 

  ひとりぽっちにしないでおくれ

『みだれ髪』の歌碑はまるで大津波を予見したかのようだ。

 美空ひばり人気とあいまって、この奇跡のスポットをひと目見ようと、観光バスやマイクロバスが次々にやってくる。大津波の被災地を巡る観光バスを数多く見るようになったのも、震災後1年という時間を強く感じさせた。

 塩屋崎の灯台は高さ50メートルほどの海食崖の断崖上に立っているが、いまだに立入禁止。それだけ大地震の被害が大きかったということなのだろう。

IMG_8191_small.jpg

小名浜漁港の岸壁

IMG_8187_small_20130116223858.jpg

小名浜の魚市場前の「市場食堂」

IMG_8190_small_20130116223858.jpg

「市場食堂」の「マグロの漬け丼」

IMG_8192_small.jpg

豊間から合磯岬を見る

IMG_8193_small_20130116223857.jpg

津波で全滅した豊間の集落跡

IMG_8195_small.jpg

塩屋崎の美空ひばりの歌碑は残った!

IMG_8198_small_20130116223918.jpg

家々の土台だけが残る薄磯の集落跡