賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記(18)イクラ丼とジンギスカン

(『市政』1995年5月号 所収)

和商市場のイクラ丼

 太平洋岸の釧路からオホーツク海岸の網走へ、スズキの250ccバイク、DR250Sで北海道を走ろうと、東京発釧路行きのフェリー、近海郵船の「サブリナ」号に乗った。

 東京港フェリー埠頭発が23時55分、釧路港フェリー埠頭着が07時30分。豪華大型フェリーでの、31時間35分の船旅だ。

 釧路港のフェリー埠頭に降り立ったときは、

「ほんとうにバイクで走れるのだろうか…」

 と、不安でいっぱいだった。

 というのは、マグニチュード8・1という大地震、「北海道東方沖地震」に道東が直撃された直後のことだったからだ。

 緊張した面持ちで釧路市内に入っていく。だが、被害個所はあまり見られないし、車も順調に流れているので、ホッとひと安心した。

 釧路といえば、なんといっても和商市場。「霧の町」にふさわしい、町全体をすっぽりと包み込んだ霧の中を走り、JR釧路駅前まで行く。駅近くにDRを止め、和商市場に入り、サケやカニ、イクラやタラコなどの北海の幸がズラリと並ぶ市場内を見てまわった。

 そのあと、早朝から営業している市場内の食堂で、釧路の名物料理、イクラ丼を食べた。イクラ丼は、釧路の名物料理というよりも、ウニ丼と並ぶ北海道の名物料理といったほうがいいだろう。

「イクラ」はロシア語で魚卵の総称だが、それが日本では、サケやマスの成熟卵を指す言葉になっている。それと、生筋子をばらして塩漬け、醤油漬けにしたものも「イクラ」と言っている。塩漬けのイクラは明るい赤色をしているが、醤油漬けにしたイクラは黒ずんでいる。釧路では塩漬けのイクラよりも、醤油漬けのイクラの方が好まれているようだ。

 ホカホカの丼飯の上に、ゴソッとイクラののったイクラ丼は、まさに北海道の味覚。食材の良さとボリュームの豊かさを十分に感じる。

 このイクラ丼は、もともとはサケの漁場や加工場で始まった料理だったが、飯とイクラの色の取り合わせの良さや味の良さが受けて、たちまち評判となり、北海道を代表するような郷土料理になっていった。

釧路湿原から屈斜路湖畔へ

 釧路から国道391号を北へ。霧が晴れると、晩秋の抜けるような青空が、見渡す限りに広がっている。

 国道391号は釧路湿原の東側を通っている。ちょっと寄り道して、釧路湿原の細岡展望台に立った。すると足元には日本最大の湿原が広がっていた。その風景は東アフリカを連想させるもの。野性動物の楽園の草原地帯を思い起こさせるような風景なのだ。

 屈斜路湖を水源とする釧路川が大きく蛇行して流れ、流れていく先には、白っぽく見える釧路の町並みが広がっている。目を釧路川の上流に向けると、正面には雌阿寒岳、右手には雄阿寒岳と、雲ひとつかかっていない阿寒の山々を眺める。湿原を海に見立ててのことなのだろう、対岸の突き出た丘陵地には「宮島岬」とか「キラコタン岬」といった地名がつけられている。

 弟子屈に着いたところで、温泉めぐりを開始する。

 まずは摩周温泉。弟子屈の市街地にある温泉で、「弟子屈温泉浴場」の湯に入る。つづいて郊外の鐺別温泉へ。ここでは「亀の湯」に入った。

 2つの温泉の共同浴場の湯に入ったところで、弟子屈からカルデラ湖の屈斜路湖へ。

 屈斜路湖畔には、点々と温泉がある。そこはまさに温泉の宝庫。「温泉天国」といっていい。

 屈斜路湖畔の温泉めぐりの第1湯目は、この近辺では最大の温泉地になっている川湯温泉。ここでは、共同浴場の湯に入った。

 第2湯目は、仁伏温泉。湖畔の「屈斜路湖ホテル」の湯に入る。内風呂と露天風呂。露天風呂の湯船の底には、小石が敷きつめられ、その感触が気持ちいい。

 第3湯目は、砂湯温泉。湖畔に木枠で囲った露天風呂があるが、観光客が大勢やってくるところなので、ちょっと恥ずかしくて入れない。そこで、熱い湯に手をひたし、顔を温泉の湯で洗って入ったことにした。

 第4湯目は、池ノ湯温泉。湖畔には無料の露天風呂がある。その広さといったらなく、高級温泉ホテルの大浴場以上、といったらいいのだろうか。湯につかりながら眺める屈斜路湖がたまらない。

 第5湯目は、古丹温泉。やはり湖畔に無料の露天風呂がある。湯船は二つに分けられ、いちおうは男湯と女湯になっているが、お互いにまる見え。このあたりのおおらかさが、いかにも北海道らしい。

 第6湯目は、和琴温泉。湖に突き出た和琴半島のつけ根に無料の露天風呂がある。だが、残念ながら熱くて入れず、すぐ近くの温泉宿「ホテル湖心荘」の湯に入った。

美幌峠のジンギスカン

 和琴温泉を最後に、屈斜路湖畔の温泉めぐりを終え、国道243号で美幌峠を登っていく。峠道を登るにつれて見晴らしがよくなる。

 弟子屈町と美幌町の境の美幌峠は標高493メートル。峠からの展望は抜群だ。北海道屈指の絶景峠といっていい。とくに弟子屈町側の眺めがいい。

 左手に斜里岳を望み、正面の山並みの間には、摩周岳が顔をのぞかせている。真下には屈斜路湖が広がり、その中には、ポッカリと中島が浮かんでいる。さきほどの和琴半島が、湖に突き出ているのが見える。その右手には、うっすらと噴煙を上げる硫黄岳。峠を覆いつくすクマザサが、風に揺れてカサカサ鳴っている。

 美幌峠からの眺望を目の底に焼きつけたところで、峠のレストランでジンギスカンを食べる。ジンギスカンといえば、イクラ丼と同じように、北海道を代表する郷土料理になっている。

 独特の兜のような形をした鉄鍋で、羊肉と付け合わせの野菜類を焼いて食べるジンギスカンは、ボリューム満点の料理。ずっしりと腹にたまる。

 北海道料理というのは、どれをとっても、ボリューム満点。量が多いということが、北海道料理の大きな特徴になっている。

 食べ方にしても、チマチマ焼くのではなく、ドサッと羊肉や野菜類を入れ、豪快に焼く。大陸的なのである。羊肉は焼きすぎると固くなってしまうので、まだ赤身が少し残っているくらいのをタレにつけて食べる。

 ジンギスカンにはこのように、羊肉を鉄鍋で焼いてからタレにつける方法と、もうひとつ、あらかじめタレに浸しておいた羊肉を焼く方法がある。

 ともにタレがジンギスカンのポイント。各店ごとに、秘伝のタレを持っている。

 羊肉はくさみが強いとよくいわれるが、北海道のジンギスカンに関してはそのようなことはない。羊肉を食べる習慣が、日本の他地方よりも根強いことが影響し、ジンギスカン用の羊肉専門の会社もあるほどで、それだけ羊肉の食べ方の研究がなされているということなのだろう。

 とはいっても、北海道での羊肉の歴史はそれほど古いことではない。羊肉を食べる習慣は、戦前にも北海道の一部農家ではみられたとのことだが、一般的になったのは戦後のことでなのである。

 戦後のモノのない時代に、食料や衣類の不足を解消するために、羊の飼育を奨励したことが大きなきっかけになっている。羊の頭数が増えれば、それだけ食用の羊肉も市場に多く出まわるからである。

 札幌郊外には札幌の町並みを一望する羊ヶ丘展望台があるが、それはかつて月寒牧場の名前で知られた畜産試験場の一角にある。ここでは昔も今も羊を飼育していて、羊ヶ丘展望台のレストランはジンギスカンを名物料理にしている。北海道に根づいた羊を飼う伝統、羊肉を料理する伝統をみることのできる場所でもある。

 ところで、この兜形の鉄鍋で羊肉を焼いて食べる料理が、どうしてジンギスカンと呼ばれるようになったのかは諸説があって定かではない。日本人が名付けたことは間違いないようなのだが。

 中国北方の、羊肉を鉄板の上で焼いて食べる料理の日本化したものがジンギスカンだとのことだが、その羊肉料理がモンゴルの英雄ジンギスカンに結びついたということなのだろう。

 美幌峠の絶景とジンギスカンに十分満足し、美幌の町へと下っていく。美幌からさらに網走へとDRを走らせ、オホーツク海を見た。

===

管理人お邪魔コメント:

ワタクシが2009年夏に道東を旅した時は、帯広の有名店でも肉は外国産(たしかOZ)でした。

純北海道産のジンギスカンを食べたいなぁ。