賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(92)東京→那覇

(『ジパングツーリング』2002年11月号)

「沖縄編」ではスズキSMX50からスズキ・バーディー90へとバイクを換えた。

 2002年3月1日、バーディー90で東京・日本橋を出発し、国道1号を西へ。

 翌日、名古屋港から有村ラインの「クルーズフェリー飛龍」(1万6000トン)にバーディー90とともに乗った。

 名古屋港ではうれしい出会いが待っていた。

「飛龍」を運航する有村産業の足立浩二さんが出迎えてくれ、大阪南港まで同行してくれた。足立さんは大のバイクフリーク。さらに大阪からやってきた鰐淵渉さん、藤原延興さん、京都からやってきた吉田和弘さんも、足立さん同様、大阪南港まで同行してくれた。おかげでなんとも楽しい「名古屋→大阪」の船旅になった。

 那覇新港到着は3月4日午前7時。名古屋港からは大阪南港経由で44時間の船旅。バーディー90で那覇新港の岸壁に降り立ったときは感激の瞬間だ。

「とうとう、沖縄までやってきた!」

 この時点で「島めぐり日本一周」をスタートさせてから1年が過ぎていた。

 有村ライン「クルーズフェリー飛龍」をバックに記念撮影をし、バーディー90で走り出す。「沖縄本島一周」の開始。沖縄本島を一周しながら、周辺の島々をまわるのだ。

 那覇新港を出ると、港近くの喫茶店「サーフサイド」で「沖縄そば」(500円)を食べた。「沖縄そば」といっても、そば粉で打ったソバではない。小麦粉からつくる麺なのだが、うどんでも中華麺でもない。あえていえば中華麺風。「沖縄そば」は「沖縄そば」なのだ。

 麺の上にはランチョミートとカマボコ、紅ショウガ、それと刻みネギがのっている。調味料は七味唐がらしと島唐がらし。島唐がらしは沖縄独特のもので、泡盛に唐がらしを漬けたもの。沖縄人の大好きな「沖縄そば」を食べ、「沖縄にやってきた!」という強烈な実感をも味わった。

「沖縄そば」に大満足して、那覇からは国道58号を北へ。この58号は鹿児島以南の最重要幹線国道。鹿児島市内の西郷隆盛像前が起点で種子島、奄美大島と経由し、沖縄本島北部の奥から西海岸を縦貫し、那覇の明治橋が終点になっている。

 浦添市、宜野湾市、北谷町と走り抜け、嘉手納町に入ると、米軍の広大な嘉手納飛行場のすぐわきを通る。国道スレスレでジェット戦闘機が爆音を轟かせて着陸する。パイロットの顔がはっきりと見える。ここでは国道沿いのチェーン店のベーカリー「ジミーズ」のパンを食べた。有村産業の足立さんの「ジミーズのパンはおいしいですよ」の一言を思い出したからだ。

 読谷村に入ったところで国道58号を離れ、沖縄を代表する名岬の残波岬へ。石灰岩の断崖上には白亜の灯台。青い空と海の青さと灯台の白さの対比が色鮮やかだ。岬近くの残波ビーチの砂の白さも目に残る。

 読谷村から恩納村に入る。

 もうひとつの岬、真栄田岬に立ち、民俗村の「琉球村」(840円)を見学し、沖縄では数少ない温泉、山田温泉の「ルネッサンス」(1050円)の湯に入り、国道58号に戻った。

 ふたたび国道58号で沖縄本島の西海岸を北上。東シナ海の遠浅の海を見ながら走り、名護を目指す。その途中、万座毛に立ち寄った。台地上の遊歩道を歩き、断崖に打ち寄せては砕ける波を見下ろした。

 沖縄本島北部の中心地、名護に到着。町の入口にある食堂「丸隆」で「ゴーヤチャンプル」を食べた。ゴーヤ(にがうり)を使ったチャンプル(豆腐入りの炒めもの)で、これも沖縄を代表する味覚。ゴーヤの舌を刺激する苦味は、まさに沖縄を感じさせる。

 名護でひと晩泊まり、翌日、国道449号で本部半島の本部港へ。鹿児島と那覇を結ぶフェリーの寄港する本部港だが、ここからは伊江島にもフェリーが出ている。1日4便。第1便は9時発。それまでに時間があったので、港前の食堂「みなと屋」で朝食にした。味噌汁を食べる。味噌汁といっても本土のものとは違い、それだけでおかずになる。丼に入った味噌汁には豚肉や豆腐、卵、野菜類がごっそり入っている。それにご飯と漬物がついている。

 9時発のフェリー「いえじま」で、沖縄編第1島目の伊江島に渡る。バイクの料金は原付が680円で2輪が890円だが、バーディー90は2輪料金になる。原付は50ccだけだという。仕方ないな。

 目の前の瀬底島、水納島と見ながら本部港から30分、伊江島の伊江港に到着。島を時計回りに一周した。農業の盛んな島で、電照ギクやタバコの栽培が目についた。ここはまた“伊江牛”で知られる和牛の産地。黒毛和牛の牧場をあちこちで見る。

 島の西端は西崎。その一帯は米軍の演習場。「基地を返せ!」の大看板。基地のフェンス前で写真を撮ろうとしたら、パトロールの車がやってきて、日本人警備員に「写真を撮るな!」と大声で怒鳴られた。

 島の北岸は湧出(ワジー)海岸。その名の通り、ここにはコンコンと湧き出る泉があって島の水源になっている。「伊江島一周」の最後に、島の中央にそびえる城山(172m)の展望台に立った。平坦な伊江島を一望し、海の向こうの本部半島の山々を遠望。そして13時発のフェリーで本部港に戻った。

 本部港の目の前に見える瀬底島には瀬底大橋で渡り、瀬底ビーチまで行った。本部半島に戻ると本部の中心街を走り抜け、「沖縄海洋博公園」の「海洋文化館」(170円)を見学し、本部半島突端の備瀬崎に立った。

 今帰仁村の運天港からは17時25分発のフェリー「第8古宇利丸」で古宇利島に渡った。時計回りで島を一周。古宇利島は一周7キロの小さな島。平坦な島で、一面、サトウキビ畑が広がっている。港のすぐ近くには小さな神社があった。そこには名称「お宮」(シチャバアサギ)と書かれてあった。ご神体は自然石。御嶽(うたき)を思わせるようで、いかにも沖縄らしい。ひと晩、港前の民宿「しらさ」に泊まり、運天港へ、そして名護に戻った。

 名護ではこの町のシンボルの「ヒンプンガジュマル」の大木を見、「名護博物館」と沖縄のビール、「オリオンビール」の工場を見学し、名護城跡を歩いた。

 東江小学校の横にある「ひがし食堂」で昼食。「三枚肉そば」を食べた。沖縄そばに豚の三枚肉がのっている。麺といい、三枚肉(肋肉)の味といい絶品だ。

 名護からは国道58号を北に走り、橋でつながっている奥武島と屋我地島に渡る。奥武島の入口には「津波被災地跡」の碑が建っている。1960年の南米チリ沖地震の大津波では、東北の三陸海岸が大きな被害を受けたが、沖縄のこの地も同様で、奥武島や屋我地島に渡る橋が流され、小学校が全壊し、死者3人を出している。

 奥武島から屋我地島に渡ると島の突端まで行く。そこは古宇利島に通じる古宇利大橋の建設現場。平成16年に完成予定の古宇利大橋は全長1960メートル。完成すれば沖縄最長の橋になる。屋我地島を30キロほど走り、奥武島経由で名護に戻った。「ヒンプンガジュマル」近くの山羊料理専門店でヤギ刺しを食べ、「ノーマンシーホテル」に泊まった。

 名護から再度、国道58号を北へ。奥武島への入口を通り過ぎ、大宣味村に入ると、宮城島を通過する。よっぽど気をつけていないと、島だと気がつかないままに通り過ぎてしまう。

 名護から北に60キロ、沖縄本土最北端の辺戸岬に到達。岬の突端には「祖国復帰闘争」碑が建っている。正面には与論島、左手には伊是名島、伊平屋島が見える。「辺戸岬レストハウス」内にある「復帰記念資料館」(無料)を見学し、沖縄本島最北の集落、奥へ。ここが沖縄本島内の国道58号の起点になる。奥では「奥交流館」の郷土資料館(200円)を見学した。

 沖縄本島最北の集落、奥では「奥共同売店」であんパンを買って食べた。この「奥共同売店」こそ、沖縄各地にある共同売店の第1号店。明治39年(1906年)にできた。奥周辺の林道群を走ったあと、県道70号で沖縄本島の東海岸、太平洋岸を南下していく。交通量のきわめて少ない道で、左手に太平洋を眺めながら、気分よく走れる。太平洋は、西海岸の東シナ海よりも濃い海の色。群青の海が広がる。

 安田(あだ)、安波(あは)と通り過ぎると、山原(やんばる)の山中に入っていく。

 このあたりは沖縄本島でも一番豊かな自然が残されている。沖縄本島の最高峰、与那覇岳(498m)を遠くに見ながら南下し、東村に入り、村役場近くの民宿「マリンガーデンひがし」に泊まった。

 翌日はここから国道331号を南下。海沿いのルート。走りはじめると、まもなく慶佐次の集落に着く。ここには沖縄本島では最大のマングローブ林、「慶佐次湾のヒルギ林」がある。遊歩道を歩きながらオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギなどの国の天然記念物に指定されているマングローブ林を見た。

 東村からいったん名護に出たあと、国道329号で太平洋岸を南下。辺野古の米軍基地「キャンプシュワープ」のフェンスが国道の両側につづく。宣野座村を通り、金武町に入ると町の中心には米軍基地「キャンプハンセン」がある。正面ゲート前の「ゲート1」という店でタコスを食べた。1パック5個入りで500円。米兵の利用も多いのだろう、値段はドルでも表示していた。

 太平洋岸の金武町からは東シナ海側の恩納村へと沖縄本島を横断した。このあたりが沖縄本島でも一番、幅の狭いところで、その距離はわずか3・6キロでしかなかった。

 恩納村ではスズキの350ccバイク、グースで「日本一周」中の朋ちゃんこと磯部朋子さんにバッタリと再会した。朋ちゃんと一緒に万座毛を歩き、「万座ビーチホテル」のラウンジで一緒にグアバジュースを飲んだ。

 朋ちゃんと別れ、金武町に戻ると、石川市、具志川市の町並みを走り抜け、与勝半島に入っていく。屋慶名港を通り、半島突端のホワイトビーチへ。米軍専用のビーチで、入口は厳重な警戒ぶり。写真を撮ったらここでも日本人警備員に、すごい形相で怒られた。

 屋慶名港まで戻ると、橋でつながっている藪地島に渡った。島に入るとすぐにダートに突入。ダートは1・3キロ先で行き止まり。そこは聖地のジャネー洞。一人で入っていくのが怖くなるようなおどろおどろした様相だ。

 洞窟内には「弥勒神」や「国主神」、「藪地龍神」などの神々がまつられている。弥勒菩薩が弥勒神になるのも沖縄ならではのこと。ジャネー洞窟近くの海岸に出ると、対岸には与勝半島の平敷屋の白っぽい町並み。印象的な眺めだ。

 藪地島から与勝半島に戻ると、今度は海中道路で平安座島に渡った。海中道路は見違えるような、すごくいい道に変わっていた。この海中道路というのは、平安座島の石油基地のために海中につくられた全長4700メートルの道路で、その途中には全長280メートルの平安座海中大橋がある。

 平安座島からは、さらに橋で宮城島、伊計島へとつながっているが、伊計島まで行く前に、もうひとつの橋、全長1430メートルの浜比嘉大橋で浜比嘉島に渡った。浜比嘉島には浜と比嘉の2つの集落があるので“浜比嘉”の島名がついている。浜も比嘉もともに古い沖縄の姿を今にとどめるような、そんな集落のたたずまいだ。

 浜比嘉島では浜の「東の御嶽」と比嘉の「シルミチューの洞穴」に行った。

「東の御嶽」は「シヌグ祭り」で知られている。「シルミチューの洞穴」は、琉球の開祖、アマミチューとシルミチューの住んだ洞穴だといわれている。毎年の年頭拝では比嘉のノロ(神事をつかさどる神職の女性)が、浜から小石1個を拾って洞穴内の壺に入れて拝むという。

「シルミチューの洞穴」内には、女性器を表す鍾乳石の陰石があり、子宝を授かる霊石として崇拝されている。そんな「シルミチューの洞穴」には、遠方からも大勢の人たちがやってくる。ここは沖縄を代表する聖地のひとつなのだ。

 浜比嘉島から浜比嘉大橋で平安座島に戻ると、宮城島経由で伊計島へ。

 平安座島では原油基地、石油基地の巨大なタンク群が目立つ。平安座島から宮城島に渡る桃原橋は全長18メートルの短い橋で、よっぽど気をつけていないと、わからないままに宮城島に入ってしまう。

 宮城島に入ったところが桃原港。宮城島ではサトウキビ畑が目立った。宮城島からは赤い伊計大橋で伊計島に渡る。ここではタバコ畑が目立った。島の突端にはリゾート施設の「ビッグタイムリート」がある。平安座島からここまで18キロだった。

 与勝半島は北の金武湾と南の中城湾の2つの海に分けている。平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島は金武湾に浮かぶ島々で、藪地島などとともに与勝諸島と呼ばれている。与勝諸島には、このほかに津堅島がある。この島には平敷屋港からフェリーが出ている。残念ながら津堅島には行かなかったが、きれいな海岸線のつづく島ということで知られている。

 伊計島から平安座島に戻ると、浜比嘉大橋を目の前にするビジネスホテルの「ホテル平安」に泊まった。平安座島には原油基地、石油基地があるからなのだろう、「ホテル平安」は満室になった。

 翌日は平安座島から具志川市に戻り、海沿いの道を南下した。沖縄市に入ると、開発か自然保護かで大きく揺れている泡瀬干潟の前を通る。反対の声を押し切って、まもなく干潟の干拓工事がはじまるという。国道329号に合流すると、中城村では沖縄の名城の中城城跡を見てまわった。琉球石灰岩で築いた城の石垣が見事だ。

 与那原町からは国道331号で知念半島に入っていく。沖縄第一の聖地、斎場(せいふぁ)御嶽からは「神の島」で知られる久高島を眺めた。その「神の島」、久高島に渡ろうと、知念村の安座間港に行った。

 安座間港からは旅客船「新龍丸」の船長を拝み倒してバーディー90ともども、乗せてもらった。海にはうねりがあって「新龍丸」はかなり揺れた。安座間港から25分で久高島の徳仁港に着いた。久高島は沖縄第一の聖地。伝統的な祭りが残り、とくに12年に1度、午年の旧暦の11月15日から5日間にわたっておこなわれる「イザイホー」はよく知られている。

 久高島は中城湾口の細長い島。知念半島の知念岬の沖合に浮かんでいる。島の南端、徳仁港から港周辺の久高の集落を走り抜け、島の北突端のカベール岬まで走った。といっても4キロほどでしかない。岬に立ち与勝半島と与勝諸島の島々を眺めた。久高の集落に戻ると、食堂「とくじん」で魚汁定食を食べ、民宿「にらい荘」に泊まった。

「新龍丸」で安座間港に戻ると、国道331号で沖縄本島南部の海岸線を行く。その途中、知念村では知念城跡、玉城村では玉城城跡と2つの城跡を見た。

 また、玉城村では奥武橋で沖縄本島とつながっている奥武島に渡った。島一周2キロの小さな島だが、なかなかおもしろい。サンゴ礁の海岸では大勢の人たちが出て、沖縄人の大好きな海草、アーサを採っていた。民宿を兼ねた島の食堂「あけぼの荘」で淡白な白身の魚、タマンの魚汁定食を食べたが、店のおかみさんは「おまけよ」といってアーサ汁とナガイユの刺し身をつけてくれた。

 沖縄本島南部の糸満市に入ると、平和祈念公園へ。「沖縄県平和祈念資料館」(300円)を見学。数多くの沖縄戦の証言に胸を打たれた。ひめゆりの塔では「ひめゆり平和祈念資料館」(300円)を見学。沖縄戦で亡くなった219名の少女たちの写真の前では涙を流している人たちが多かった。

 最南端の喜屋武岬に立ち、最後に短い橋でつながっている瀬長島を一周し、3月11日の夕刻に、那覇に戻ってきた。911キロの「沖縄本島一周」だった。