賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(90)東京→鹿児島

(『ジパングツーリング』2002年9月号)

「九州一周」の第1周目では、北部と西部の島々をめぐった。それにひきつづいての第2周目では南部と東部の島々をめぐる。今回はそのうち「九州南部編」の島めぐりである。

 2002年1月11日、東京港フェリー埠頭発19時10分のオーシャン東九フェリー「おーしゃん のーす」(1万1200トン)にスズキSMX50ともども乗り込み、北九州の新門司港に向かった。

 途中、徳島港に寄港し、新門司港到着は1月13日の5時30分だ。

 新門司港に上陸すると、門司港駅まで行き、そこから国道3号で鹿児島へ。

 福岡、熊本と通り、鹿児島県に入る。

 ひと晩、川内駅前温泉の「川内ホテル」に泊まり、翌朝、鹿児島へ。

「北九州→鹿児島」は387キロ。

 鹿児島港北埠頭から九州商船の「フェリー出島」で種子島に向かう。「九州南部編」の島めぐりの開始だ。

 九州商船の「フェリー出島」は鹿児島港北埠頭を8時30分に出港し、種子島の西之表港へ。鹿児島湾には厚い雨雲が垂れ込めている。船は鹿児島湾を南下し、10時55分、日本本土最南端の佐多岬沖を通過。そのころから前方の空が明るくなってくる。

 12時20分、種子島北部の西之表港に到着。うれしいことに、日が差している。種子島は西之表市、中種子島町、南種子島町の1市2町から成っているが、西之表が島の中心になっている。港近くの民宿「みゆき」に宿をとると、さっそく種子島を走り出した。

 まずは西之表市役所近くにある「鉄砲館」(入館料310円)を見学。戦国時代、江戸時代と時代ごとの鉄砲の展示が圧巻だ。天文12年(1543年)に種子島に伝来した鉄砲はその後の日本の歴史を大きく変えた。

 西之表から最初に島北部を一周。最北端の喜志鹿崎まで行った。岬の突端には白い灯台。前方の海には島影ひとつない。東海岸に出るとサトウキビ畑が目につくようになる。

 西之表に戻ると次に島南部を一周。南北に細長い島を横断し、最南端の門倉岬を目指し、東海岸(太平洋側)を南下する。サーファーのメッカの鉄浜海岸や見事な海岸美を誇る犬城海岸を見て門倉岬に到着。ここが鉄砲伝来の地。岬にはその碑が建っている。夕暮れの門倉岬をあとにし、西海岸(東シナ海側)を北上し、西之表に戻った。「種子島一周」は181キロになった。

 西之表の民宿「みゆき」の朝食は地鶏のタマゴつき。濃厚な味わい。なんともヘルシー。ここでは40羽の地鶏を飼っている。

 7時30分に出発。国道58号を南下。国道沿いの栖林神社には「日本甘薯栽培初地」の碑が建っていた。

 元禄11年(1698年)、第19代種子島の島主、種子島久基(栖林公)は琉球王に懇願して1籠の甘薯(サツマイモ)をもらいうけ、この地で栽培を始めた。それが後に日本本土に広がっていく。新大陸(中米)原産のサツマイモの栽培は鉄砲伝来と同じように、日本の歴史を大きく変えた。

 サツマイモの栽培が日本各地に広まるにつれて日本の人口は爆発的に増えた。この栖林神社は「カライモ神社」とも呼ばれているが、種子島や九州南部ではサツマイモのことをカライモと呼んでいる。種子島はこのように、鉄砲、甘薯と日本の歴史を大きく変えた舞台なのだ。

 最後に「種子島宇宙センンター」に立ち寄り、河内温泉「温泉センター」(入浴料300円)の湯に入り、種子島南部の島間港へ。そこから10時45分発の「フェリー太陽」で屋久島の宮之浦港に向かった。

「フェリー太陽」の甲板からの眺めは印象深い。前方には屋久島、後方には種子島。この2つの島はまったく違う。屋久島は円形で種子島は細長い。屋久島は山また山。種子島には平坦だ。

 種子島、屋久島は『ツーリングマップル』(九州編)と合わせ、鹿児島港でもらった案内図を使った。この案内図の片面には種子島、もう片面には屋久島が出ている。種子島に山はひとつもないが、屋久島には九州の最高峰、標高1935メートルの宮之浦岳を筆頭になんと51峰もの山名がのっている。

 11時50分、宮之浦港に到着。雨が降っている。日本でも最多雨地帯の屋久島。まあ、屋久島らしいということで我慢した。

 宮之浦を出発点に屋久島を一周。時計回りにまわる。

 林の中にポツンとある楠川温泉の湯に入り、宮之浦から20キロの安房へ。そこから標高1230メートルの地点にある「紀元杉」へ。その途中の「屋久杉自然館」(入館料600円)を見学。そこで驚かされたのは、屋久島の降水量の分布を示す地形の模型「カサダス」。なんと宮之浦岳周辺の年間降雨量は1万ミリにも達する。このとてつもない量の雨が屋久杉を育てる。

「紀元杉」を見て安房に戻ると千尋の滝を見、尾之間温泉、平内海中温泉、湯泊温泉と3湯をハシゴ湯し、落差が88メートルの大川の滝を見、道幅の狭くなる西海岸を走って宮之浦港に戻った。「屋久島一周」は155キロ。港近くの民宿「みよし屋」に泊まった。

 屋久島の夜はすごかった。ひと晩中、雨が降りつづいた。まるで嵐。窓ガラスにたたきつける雨の音‥。さすが雨の屋久島だけのことはある。

 民宿「みよし屋」での朝食。屋久島の隣、口永良部島から来ている学校の先生、2人と一緒に食べる。その最中に屋久島から口永良部島に行くフェリーが欠航になったとの知らせが入った。2人の先生は困ったような顔をした。そのフェリーに乗るつもりにしていたからだ。これが離島の厳しさ‥。海が荒れると、島への足が奪われてしまう。

 ザーザー降りの雨の中を出発。宮之浦から白谷雲水峡に向かって登っていくと、奇跡が起きた。雨雲が切れ、青空が顔をのぞかせ、日が差してくるではないか。

 白谷雲水峡はすばらしいところだ。渓流の美しさには目を奪われた。

 屋久島の自然美を存分に味わう。

 屋久島の杉の巨木というと、樹齢7000の縄文杉が断トツだが、次いで樹齢4000年、そのあとに紀元杉、弥生杉、大王杉の樹齢3000年組が来る。白谷雲水峡ではそのうち弥生杉を見た。ここを最後に屋久島から鹿児島港に戻った。

 鹿児島新港18時分発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で奄美大島の名瀬港へ。船が出港するときはドラが鳴り響き、五色のテープが乱れ飛んだ。「これから南の島々に行くんだ!」という気分がいやがうえにも盛り上がる。

 名瀬港到着は翌朝の5時。11時間の船旅だ。

「大島」は日本の島のなかでは、おそらく一番、多い島名であろう。

 主な大島だけでも30近くある。それら数多くある大島の中でも奄美大島は最大で周防大島、伊豆大島とともに「日本3大島」といわれている。奄美大島は日本の島の中では佐渡島に次いで第5位。

 第1位は択捉島、2位が国後島の北方領土、3位が準本土といっていい沖縄本島なので、奄美大島は実質的には日本第2位の大きさの島といえる。

 この大きさが奄美大島の絶対的な特徴だ。

 名瀬港に上陸すると、まずは奄美大島の北部を一周する。国道58号を北へ。本茶峠の本茶トンネルを抜ける。全長1055メートル。ここまでの「島巡り日本一周」で出会う最初の1000メートル級“島トンネル”ということになる。奄美大島北部、笠利町の赤木名を拠点にぐるりとまわり、最北端の岬、笠利崎と太平洋を一望するあやまる岬に立った。

 名瀬に戻ると、今度は国道58号を南へ。次々と長大なトンネルを抜けていく。最初が朝戸峠の朝戸トンネル(1725m)、次が和瀬峠の2000メートル級の新和瀬トンネル(2435m)、さらに三太郎峠の三太郎トンネル(2027m)、地蔵峠の地蔵トンネル(1065m)とつづく。

 新和瀬トンネルは日本最長の“島トンネル”だ。

 奄美大島以外に2000メートル級の“島トンネル”はないし、1000級が石垣島に1本あるだけ。奄美大島が日本の“島トンネル”の上位をほとんど独占している。

 国道58号は奄美大島南部、瀬戸内町の古仁屋で尽きる。鹿児島が起点の国道58号だが、種子島、奄美大島と縦貫し、この先の奄美諸島の島々を飛び越え、沖縄本島へと通じている。

 古仁屋に着くと、港の岸壁にSMX50を停める。ここからの眺めがすばらしい。大島海峡の対岸には長々と横たわる加計呂間島。目に残る海峡の風景。

 古仁屋からは奄美大島最南端の岬、皆津島を目指したが、道はヤドリ浜海岸というきれいな砂浜の海岸で行き止まり。古仁屋に戻ると、県道79号で名瀬へ。東シナ海の海岸線に沿っていく。その途中で奄美大島最東端の岬、曽津高崎に立った。

 19時、名瀬到着。全行程276キロの「奄美大島一周」。郷土料理店の「あさばな」で奄美大島名物の鶏飯を食べ、民宿「春日荘」に泊まった。

 名瀬港発5時50分のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル」に乗り、奄美諸島の次の島、徳之島へ。船内のレストランで和定食(630円)を食べ、ひと眠り。目をさますと、船はちょうど大島海峡の沖合を通過するところだった。右側の加計呂間島、左側の奄美大島を洋上から見る。徳之島の亀徳港到着は9時40分だった。

 さっそく徳之島を一周。反時計回りでまわる。一面のサトウキビ畑。製糖工場もある。徳之島の最高峰、井ノ川岳を左手に見ながら走る。右手の太平洋の水平線上には加計呂間島、奄美大島が見える。そして徳之島最北端の金見崎に立つ。岬には白い四角い灯台。岬の周辺はソテツの群生地で、ソテツのトンネルもある。

 豪快な花崗岩の海岸美のムシロ瀬を見て西海岸へ。今度は東シナ海沿いに南下していく。奄美のコンビニ「アイSHOP」で幕の内弁当(490円)の昼食を食べ、旧日本陸軍の浅間飛行場跡へ。かつての滑走路跡は、中央分離帯にソテツが植えられた直線道路になっている。

 この滑走路を神風特攻隊の若者たちが南の沖縄の空へと飛んでいった。若き特攻戦士たちの飛び立っていった滑走路跡をSMX50で走る‥。直線道路の行き止まり地点には特攻の碑が建っている。

 奄美海運のフェリーが寄港する平土野港を見、さらに南へ。

 徳之島最西端の犬田布岬に立つ。岬からは平べったい沖永良部島が見える。ここには太平洋戦争末期に犬田布岬沖で撃沈された戦艦大和を基艦とする巡洋艦、駆逐艦10隻の慰霊塔が建っている。あまりにも無用の長物だった戦艦大和。その最後の地が徳之島の沖合なのだ。

 徳之島最南の町、伊仙に到着すると最南端の岬、伊仙崎に立った。サンゴ礁のゴツゴツした海岸。岬周辺は赤土のジャガイモ畑。伊仙からは遠浅のサンゴ礁の海を見ながら走り、徳之島最大の町、亀津を通り、亀徳港に戻った。105キロの「徳之島一周」。もう一度、最北端の金見崎まで行き、民宿「金見荘」に泊まった。

 徳之島・亀徳港9時40分発の大島運輸のフェリー「なみのうえ」に乗り沖永良部島に渡った。沖永良部島・和泊港到着は11時30分。港前の食堂「丸福」で味噌ラーメンライスを食べ、「沖永良部島一周」に出発。反時計回りでの一周。北へ。島の最北端の国頭岬を目指す。島の北、より本土に近い方が国頭(くにがみ)になる。このあたりは沖縄と同じだ。

 その途中、笠石海岸に立ち寄る。展望台に上り、足下の亜熱帯植物園を見下ろし、サンゴの海を一望した。

 島の北にある国頭の集落では国頭小学校の校庭にある日本一のガジュマルを見る。大きく枝を広げたガジュマルで根回り8メートル、枝張りは直径が20メートルという大木。国頭の集落からさらに北に行ったところが国頭岬。そこには白い灯台が立っていた。

 国頭岬からは島の反対側、東シナ海側を南下していく。ワンジョビーチというきれいな砂浜の近くにあるソテツのジャングルを歩き、「和泊町歴史民俗資料館」(入館料200円)を見学。入口にある9本柱の高倉が目を引いた。さすが“ユリの島”、沖永良部島だけあってユリの展示が館内の大半を占めていた。

 沖永良部島王の世之主をまつる世之主神社を参拝し、沖永良部島北西端の田皆岬に立つ。奄美諸島の中でも屈指の名岬。岬には白い灯台が立ち、草地の園地の先は切り立った高さ40メートルの大断崖だ。

 田皆岬から知名へ。沖永良部島は和泊と知名、2つの町から成っている。島最南の知名港の岸壁に立つ。水平線上には厚い雲が垂れ込め、与論島は見えなかった。

 知名からは日本でも最大級の鍾乳洞、昇龍洞(入洞料1000円)へ。昇龍洞は全長2200メートルで、そのうち600メートルが観光洞になっている。鍾乳洞に入ってすぐの「入口広場」には目を奪われた。その先は地底のオブジェの世界。「ナイアガラの滝」や「クリスマスツリー」などの自然の造形美を見る。

 こうして和泊に戻った。全行程87キロの「沖永良部島一周」。ビジネスホテル「和泊港」に泊まり、夕食は昼食と同じ「丸福」で特大のお好み焼きを食べ、夜の町をプラプラ歩いた。

 沖永良部島・和泊港12時発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で与論島の与論港に向かった。船内のレストランでカレーライスの昼食を食べ、ひと眠りすると、船は与論島に近づいていた。

 与論島の与論港着は13時40分。奄美諸島も南下するにつれて島が小さくなる。与論島は奄美諸島の中では最小の島。周囲は22キロでしかない。

 与論港に上陸すると、島の中心、茶花まで行く。与論町の町役場前をスタートし、バス通りにもなっている県道の623号を北回り(時計回り)で一周する。

 与論島は平坦な島で、高い山はない。最高地点は海抜100メートルにも満たない。島は一面のサトウキビ畑。どこも収穫で忙しかった。そんな収穫の風景を写真にとらせてもらったが、そこでは刈り取ったサトウキビを1本、もらった。その場で食べてみる。歯で皮をはぎ、中の白っぽい芯をかじる。甘い汁が口の中いっぱいに広がる。それはまさに与論の味。県道623号での「与論島一周」は17キロだ。

 次に海沿いのルートを走る。さきほどとは逆に、反時計回りで島を一周する。赤白2色の灯台のある兼母海岸まで来ると、沖縄の伊平屋列島の島々が見える。与論港まで来ると、沖縄本島がよく見える。高台上にサンゴ礁の石垣が残る与論城跡からは、真正面に沖縄本島を見た。

 赤崎海岸、シーマンズビーチ、百合ヶ浜ビーチ、皆田海岸と与論島のすばらしい海岸を見てまわる。黒花海岸を過ぎた島北端の寺崎海岸は強烈な海の青さ。ここからは水平線上に霞んだ沖永良部島が見えた。

 つづいて宇勝海岸、品覇海岸と寄って茶花の町役場前に戻る。32キロの「与論島一周」。ひと晩、茶花の民宿「南海荘」に泊まった。

 翌日は「与論民俗村」(400円)を見学。ここでは島の昔ながらの生活ぶりが見てとれる。ご主人が「民俗村」を案内してくれる。ひととおり見てまわると、奥さんがツワブキの葉にフジマメ入りのおにぎりとトビウオの焼き魚をのせて「どうぞ」といって出してくれる。ありがたくいただいた。

 13時与論港発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」に乗船。これにて「九州南部編」の終了。鹿児島港へと戻っていく。和泊、亀徳、名瀬と寄港し、鹿児島港到着は翌日の午前8時。19時間の船旅だった。