「旧満州走破行2004」(80)
10月17日(日)晴のち曇 大連→瀋陽(その1) 第27日目
翌日は大連から日露戦争(1904年~1905年)の激戦地、旅順へ。
旅順は今でも軍港で、1996年以降、一部が解放された。市内の人口は7万人。町を路面電車が走っている。
1950年に大連・旅順・金州が合併し、旅大市になったが、1981年に「大連市」に改称された。
旅順の「旅順口」が日露戦争遺址として中国の史跡になっている。そこには日本軍の司令部跡や陣地跡、ロシア軍の要塞跡などが残されている。
かの有名な203高地への登り口には観光用の籠がズラリと並んでいる。その頂上には記念塔。そこからは旅順港を見下ろす。反対側に目をやると旅順の町並みが見える。
「水師営会見所」は乃木希典とロシア軍司令官の会見場。そこには当時の写真が展示されている。
旅順の203高地をめぐる攻防戦は激しいもので、日本軍は16000人、ロシア軍は10000人もの死者を出した。この戦いで日本軍は勝利し、その結果、ロシアの旅順艦隊は壊滅的な状態に陥り、日露戦争で日本はロシアに勝った。世界を驚かせた日本の勝利。ここは司馬遼太郎の『坂の上の雲』の舞台だ。
日本軍の司令部跡
日露戦争の記念碑
旅順の町並みを見下ろす
かつての激戦の地で果物を売っている
203高地への観光籠
203高地の記念塔
ロシア軍の大砲
水師営会見場
乃木希典とロシア軍司令官会見の写真