「旧満州走破行2004」(77)
10月16日(土)晴 ハルビン→大連(その2) 第27日目
ハルビン・スズキでのセレモニーが終るとハルビン空港へ。12時45分発の廈門航空廈門行きのMF8606便に乗り込んだ。この飛行機で大連に行く。
定刻通りにハルビン空港を飛び立つと、眼下には収穫の終った広大な畑が広がっている。一面、茶褐色の大平原。黒龍江省から吉林省、遼寧省の上空を飛び、14時05分、大連空港に到着した。
大連は遼東半島の南端に位置する港町。「アカシアの大連」で知られているが、まずは中心街の中山広場を歩いた。広場に面した大連賓館(旧大和ホテル)や中国銀行(旧横浜銀行)などの建物は満州国時代に日本人の手によって造られたもの。それらが当時のままの姿で残っている。
大連はかつては小漁村でしかなかったが、1898年、ロシアが租借地にしてからというもの、旅順の軍港とともに貿易港として大発展をとげた。満州国時代はまさに満州の玄関口でここには満鉄の本社が置かれ、特急列車の「亜細亜号」が奉天(現瀋陽)から新京(現長春)、哈爾濱(ハルピン)へと出ていった。
ハルビンを出発
ハルビン近郊の平原を見下ろす
大連空港に到着
大連の中心街の中山広場。正面に中国銀行(旧横浜銀行)が見える
中山広場に面した大連賓館(旧大和ホテル)
大連賓館の内部
大連の中心街のビル群
58階建の世界貿易センタービル
友好広場を望む
旧満鉄の「亜細亜号」