賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「伝説の賀曽利隆オンライン」(41)

(2003年3月1日)

 3月29日(土)、30日(日)の両日、高知県中村市四万十川の中村赤鉄橋河川敷広場で、「四万十・黒潮エコライフフェア」が開催されます。様々なイベントがおこなわれますが、その目玉として3月29日の14時から16時まで、「地平線会議in四万十」がおこなわれます。

「地平線会議」世話人代表の江本嘉伸さんと若くしして7大陸の最高峰に登頂した石川直樹さん、それとカソリがパネルディスカッションで語り合います。翌日の3月30日の14時から16時にかけても、我ら「地平線会議」のメンバー多数が参加してのイベントが予定されています。「地平線会議」のメンバーの写真展もおこなわれます。

「四万十・黒潮エコライフフェア」の実行委員長をつとめるのは東京農業大学探検部OBの山田高司さん。山田さんはオリノコ川アマゾン川、ラプラタ川の南米の三大河川、さらにはセネガル川→ニジェール川→シャリ川→コンゴ川ナイル川のアフリカの大河と、「大河行」を重ね、3年あまりをかけて世界の川をめぐった人なのです。

 その後、山田さんはサヘル(サハラ砂漠の南側)の植林に情熱を燃やし、西アフリカのチャドで5年間も木を植えつづけ、そして故郷の四万十川の世界に戻ってきたのです。

 世界の大河を知りつくしている山田さんが、今度は四万十川に目を向けるというあたりが、じつにおもしろいですね。

 ぼくはこのイベントに合わせ、四国をバイクで走り、四万十川の河口から源流へ、さらには四国一の大河、吉野川の源流から河口へと走ってみようと思っています。

 1999年の「日本一周」のときにも、四万十川は河口から源流まで走ってみました。 何本もの支流が入り組んで流れる四万十川なので、どれが本流なのかわかりにくいのですが、中村から江川崎、大正、窪川、大野見と通り、「四万十源流温泉」に入り、153キロ走って「四万十源流の碑」に到着しました。

 さらに地芳峠からは最大の支流の梼原川に沿って下り、江川崎からは同じく支流の吉野川に沿って走り宇和島に出ました。こうして「日本一の清流」を存分に見てまわったのです。

 四万十川はじつにおもしろい川です。

(2003年3月25日)

 イラク戦争がはじまり、日ごとに戦闘が激しくなっています。1日も早く戦争が終結し、イラクの人々が満足し、納得できる形での新生イラクの誕生を願うばかりです。

 ところで、先日もこの欄でいったことですが、中国の東北地方(旧満州)はぼくの長年の憧れの地。この30余年間、バイクで世界の6大陸を駆けめぐってきましたが、いまだにこの地には足を踏み入れていないこともあって、その思いはつのるばかりでした。

 昨年の「ユーラシア大陸横断」の第1歩はロシアのザルビノ。ここは豆満江河口の港。ロシアと中国、北朝鮮の3国国境のすぐ近くです。間近に見える北朝鮮の山々、さらには中国の方向に目をやると、

「いつの日か、きっと3国国境に立ってやる!」

 という思いに強くかられたのでした。

 その夢が1年もたたずにかなえられるようになるとは!

「中国・東北地方ツーリング」の第1弾の「中朝国境を行く!」が、いよいよ実現に向けて動き出しました。

 5月29日から10日間の「賀曽利隆と中国・北朝鮮国境2000キロを行く!」のバイクツアーで、その詳細が決定しました。

 中国・東北地方最大の都市、瀋陽を出発点にし、鴨緑江豆満江の中国・北朝鮮の国境地帯をメインにし、2110キロを走る予定です。

 鴨緑江に面した丹東では、対岸に北朝鮮新義州の町を望みます。

 中朝国境の長白山(朝鮮名では白頭山)に登頂し、山頂の神秘の湖、天池を目の前にします。

 防川では展望台に立ち、中朝露3国の国境を流れる豆満江を見下ろします。

賀曽利隆と中国・北朝鮮国境2000キロを行く!」のバイクツアーの参加費用は25万8000円。そのほかに特別許可代、ビザ代、空港税、バイクのレンタル料、ガソリン代などで9万円前後かかります。お問い合わせ、申し込みは(株)ツアー・プランナーズまでお願いします。

 この旅行社、「ルアー・プランナーズ」社長の藤間剛さんは、ぼくにとっては戦友のような人なのです。

 今から35年前(1968年)、横浜港からバイクともどもオランダ船の「ルイス号」に乗り、アフリカのモザンビークに向かいました。40日の船旅で一緒だったのが藤間さん。彼はその後、大西洋を渡り、ブラジルへ。1年あまり南米を放浪したのです。

 藤間さんは帰国後、大学を卒業すると大手旅行社に勤務し、現在の会社をつくりました。中国との太いパイプを持っている人で、藤間さんの中国での人脈があって、はじめて実現可能となった今回のバイクツアーなのです。