賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「伝説の賀曽利隆オンライン」(33)

(2002年6月17日)

「ユ-ラシア大陸横断」の出発の日が近づいてきました。

 ぼくは6月26日の朝一で神奈川県伊勢原市のわが家を出発し、スズキDR-Z400Sを走らせ、東京から国道20号で松本へ。そこから安房峠を越えて高山経由で富山に向かおうと思っています。その途中では、乗鞍スカイラインを走ってきます。

 わが家の前から走り出し、海を渡り、大陸を横断するというのが最高の魅力!

 今回の「ユーラシア大陸横断」の一番の目玉は、なんといっても「シベリア横断」です。ぼくは20代の大半は世界を駆けめぐり、世界地図に自分の足跡の線を引いていくことに夢中でした。

 そのとき、いつも気にかかっていたのが、広大なシベリアの空白地域。世界の6大陸をめぐったといっても、シベリアを含むロシアがすっぽりと抜けていたのです。「シベリア横断」はそのときからのぼくの大いなる夢でした。

 20代の後半には結婚し、妻と生後10ヵ月の赤ん坊を連れて横浜港からロシア船でロシア沿海州のナホトカ港に渡り、シベリア鉄道ハバロフスクイルクーツクを経由してモスクワへ、さらには北欧へと向かいました。

 そのときの強烈な思いは「きっと、いつの日か、バイクでシベリアを横断してやる!」というものでした。

 それ以降、何度かバイクでのシベリア横断を計画し、「シベリア横断をやるゾ!」とまわりには言ってきたのですが、できないままでした。

 そんな自分にとっての夢の「シベリア横断」を実現させる日が、ついにやってきたのです。

「シベリア横断」の出発点は、当初はウラジオストックでしたがそれがザルビノに変わりました。富山・伏木港から乗るロシア船の入港がウラジオストック港から中国、北朝鮮、ロシアの3国国境に近いロシア領内のザルビノ港に変わったからです。

「めったに見られないロシアの日本海側の港を見られる!」

 と、カソリ、喜んでいます。

 それともうひとつ、夏のシベリアはツンドラが湿地状態になり、ある区間の通行は不能になるので、その間はバイクともどもシベリア鉄道に乗ります。それもおおいなる楽しみ。車窓からは、白夜に近いシベリアを目をこらしてよく見てきます。

(2002年6月25日)

ユーラシア大陸横断」に明日、出発します。東京から富山の伏木港へ。船でロシア・沿海州のザルビノ港に渡り、シベリアを横断し、ウラル山脈を越えてモスクワへ。そしてポーランドワルシャワからドイツのベルリンへ。西ヨーロッパの国々を南下し、ピレネー山脈を越え、スペインからポルトガルに入り、ユーラシア大陸最西端のロカ岬を目指します。

 東京からロカ岬まで1万5000キロ、それを50日で走ります。

 さー、DR-Z400Sよ、頼むゾ!

 今回の「ユーラシア大陸横断」は、ぼくにとっては2度目のことになります。

 最初の「ユーラシア大陸横断」は1990年。50㏄バイクのスズキ・ハスラーTS50でアメリカのロサンゼルスを出発点にし、インドのカルカッタをゴールとし、2万5000キロの「世界一周」をおこないましたが、そのときはアメリカを横断し、ニューヨークからイギリスのロンドンに渡りました。

 ロンドンのトラファルガー広場前を出発したときは「ユーラシア大陸横断」を強く意識し、西ヨーロッパから東ヨーロッパ、南ヨーロッパ経由でトルコのイスタンブールまで行き、そこから西アジアの国々を通ってインドのカルカッタを目指したのです。

 ほんとうはそのまま、さらに日本に向かって走りたかったのですが、厚い国境の壁にはばまれ、カルカッタをゴールにするしかなかったのです。

 その悔しさをバネにし、1992年から翌93年にかけては、タイのバンコクを拠点にし、「インドシナ一周」を成しとげました。この「インドシナ一周」も「ユーラシア大陸横断」の1パートなのです。

 今回のシベリア経由での「ユーラシア大陸横断」を成功させたら、ぜひとも次は中央アジア経由での「ユーラシア大陸横断」に挑戦してみたいし、さらには究極の「ユーラシア大陸横断」にも挑戦してみたいと心底、願っています。

 この、究極の「ユーラシア大陸横断」というのは東京から下関まで行き、関釜フェリーで韓国の釜山に渡り、朝鮮半島を縦断します。38度線を越え、鴨緑江を渡って中国に入り、西へ、イギリスのロンドンを目指して走るというものです。

ユーラシア大陸横断」というのは、このようにあとにつづくもの。限りない夢を与えてくれます。