「東海道53次・復路編」(17)川崎宿→日本橋
川崎宿からは国道15号の新六郷橋で多摩川(六郷川)を渡る。江戸初期にはここに橋がかかっていたとのことだが、たびたび大雨で橋は流され、元禄2年(1689年)以降は渡しになった。
神奈川県から東京都に入り、品川宿に向かってスズキ・アドレスV125Gを走らせる。いよいよゴールの日本橋が近い。
品川宿の途中、国道15号脇(右側)の鈴ヶ森刑場跡でアドレスを停める。
磔と火あぶりの柱の台石、首洗い井戸の碑や供養の「南無妙法蓮華経」の髭題目碑などがある。ここは奥州街道の千住・小塚原の刑場と並ぶ江戸の二大刑場だ。このような人通りの多い東海道沿いに刑場が置かれたのはみせしめのため。かの「八百屋お七」もここで処刑された。
鈴ヶ森刑場で国道15号と分岐し、右手に入っていく細道が品川宿に通じる旧東海道になるが、残念ながら一方通行の逆方向になるので、そのまま国道15号で品川宿に向かっていった。
品川宿では国道15号沿いにある品川宿の鎮守、品川神社を参拝。ここには徳川家康が奉納した神輿が残っている。境内は「手づくり市」でにぎわっていた。そんな露店のひとつで手づくりパンを食べ、手づくりスープを飲んだ。
品川神社に近い京急の新馬場駅から北品川駅にかけての品川宿を歩き、いよいよ日本橋へ。新橋駅前を走り過ぎ、銀座通りに入ろうとしたら通行止め…。この日は日曜日で歩行者天国。昭和通りを通って日本橋に向かった
。
2009年5月10日15時、東京・日本橋に戻ってきた。
出発してから40日目。
「東海道往復」と「四国八十八ヵ所めぐり」の8086キロを走りきっての日本橋到着に胸がジーンとしてしまう。
その間、ノントラブルで走りつづけてくれたアドレスに、
「よくやったな、アドレスよ。次の百観音霊場めぐりも頼むぞ!」
と声をかけるのだった。
(了)
鈴ヶ森の刑場跡
品川神社の拝殿
徳川家康奉納の神輿
新橋駅前までやってきた。あともう一息
銀座通りは歩行者天国で通行止め
日本橋に到着!
日本橋の里程標
日本橋の交差点を祭りの神輿が行く