「青春18きっぷ2010」(48)
第6日目(新潟→東京・その6)
磐越東線の小野新町駅で下車。まずは駅前にある案内図を見てから歩き出す。駅前には「小野篁館跡」の碑が立っている。
小野篁(たかむら)は遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、父は小野岑守(みねもり)。そこには次のような説明が書かれている。
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平安初期、嵯峨帝の弘仁6年(815年)、小野岑守は陸奥守として長男の篁とともにこの地を開発し、小野六郷を定めて中央文化を導入し、産業を指導し、経済を教え、学問を広め、大いに殖産興業に努めたという。
館は初めは矢大臣山麓にあったが、後に地の利と生活の便を考慮して、温泉の湧く谷津の地の、夏井川河畔の小高い丘に移した。その館を山麓の館に対して、平館と呼んだという。
郷民は館のある地を「都」または「谷津の都」と呼んでいたが、都とは天皇の住む所なので、恐れ多いとの理由から「下都」と呼ばれ現在にいたっている。
広壮な谷津の館には各郷の長者の女(むすめ)が出任していたが、その中でも最も優れた美貌の娘、愛子との間に一女子をもうけた。それが平安の美女として後世にまで名を残す、六歌仙の一人の「小野小町」であると伝えられている。
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小野は小野岑守・小野篁にちなんだ地名だが、平安初期という早い時代に、この地には都の風が吹き込んでいた。その後、小野篁は朝廷での任務につくため京都に旅立ったが、その善政と徳を慕う小野郷の住民は別れをおしみ、沿道には千数百人もの人たちがつめかけたという。なお小野には小野小町の母親、愛子(めずらご)をまつる神社があるという。
小野新町の駅前からは「美人の湯」で知られる小町温泉に行く。そこには「小野小町生誕の地」碑が立っている。
「小野小町」といえば絶世の美女として知られているが、その生涯は不明なところが多く、謎に包まれている。そんな小野小町にふさわしく、各地に小町伝説が残されている。
秋田県南部・旧雄勝町の小野も、小野小町生誕の地だといわれている。秋田新幹線の「こまち」はそれにちなんだネーミング。山形県の小野川温泉には小野小町の開湯伝説が伝わり、美人の湯で知られている。磐越西線沿いの旧高郷町(現喜多方市)には小野小町塚があるが、それは小町の墓だという。宮城県の古川にも小野小町の墓がある。秋田県の旧雄勝町も小野小町終焉の地とされている。
あちこちで生まれ、あちこちで死んだことになっている小野小町だ。
さー、小町温泉だ。ここには3軒の温泉宿がある。
まずは「廣太屋」だ。だが玄関で何度、声を掛けても誰も出てこない。次に「太田屋」に行く。するとすでに廃業湯になっていた。3軒目の「金山屋」は建物が朽ちはじめていた。ということで、残念ながら小町温泉には入れなかった。
ここから4、5キロ、山中に入ったところにある「日影乃湯」も、今は廃業湯になっているという。ここではひと晩、泊まったことがあるだけに、何とも寂しい気分になる。
小町温泉から小野新町駅に戻り、駅前食堂の「きせいや」で昼食。「みそラーメン&ライス」を食べた。そのあと小野の中心街まで歩き、そこから小野新町駅に戻った。
小野新町駅で下車
小野新町行の列車は折り返しの郡山行になる
小野新町駅の駅舎
小野新町駅前の案内図
「小野篁館跡」の碑
夏井川
小町温泉
「小野小町生誕の地」碑
小町温泉「廣太屋」
駅前食堂で「福島民友」を読む
駅前食堂で昼食
小野の町並み