「青春18きっぷ2010」(46)
第6日目(新潟→東京・その4)
郡山駅の東口に出る。駅前広場には「楽都郡山」のモニュメント。目の前には郡山のランドマークの高層ビル、「郡山ビッグアイ」がそそり立っている。
郡山は阿武隈川沿いの「中通り」の中心都市。何かと福島と競い合っているが、今では福島県内では最大の都市になっている。
「県庁を郡山に!」
これが長年の悲願だ。
郡山は鉄道でいえば東北本線と磐越西線、磐越東線が分岐し、国道でいえば奥州街道の国道4号と本州横断の国道49号が交差し、高速道でいえば東北道と磐越道が交差している。ここは東北の十字路なのだ。
福島県の分県地図を見るとよくわかることだが、郡山は福島県のほぼ中央に位置している。会津にも行きやすいし、浜通りにも、まあまあ行きやすい。それに対して福島は北に偏り過ぎている。それが仙台圏に飲み込まれてしまった原因にもなっている。郡山が県庁所在地になっていたら、福島県もずいぶんと変ったと思うのだが…。
新潟県の新潟vs長岡、長野県の長野vs松本、そしてこの福島県の福島vs郡山のように、県庁所在地を変えるのはそう容易なことではない。
駅前の「吉野家」で牛丼を食べたあと、さくら通りを歩いていく。
奥州街道の国道4号をまたぎ、郡山の総鎮守、安積国造(あさかくにつこ)神社を参拝。延暦19年(800年)、坂上田村麻呂は東征の際、戦勝祈願の旗と弓矢を寄進した。前九年の役(1051年)では、源頼義・義家の親子がやはり戦勝を祈願した。このような歴史の残る安積国造神社は東北屈指の古社だ。
郡山の町を歩いていると、「楽都郡山」の4文字が目につく。
郡山は音楽活動に力を入れ、「東北のウィーン」を目指しているという。だが、それには切実な理由があった。かつての郡山は暴力団抗争の地で、「東北のシカゴ」といわれたほど。「楽都郡山」はそのイメージを払拭するためのものだった。
郡山駅に戻ると、連絡橋を渡り、東口から西口へ。東北新幹線のホームを見上げ、何本もの線路が走る駅構内を見下ろす。広い貨物線のヤードは東北本線と磐越東・西線の分岐駅を感じさせた。
だが、この広いヤードが郡山の中心街を分断し、東口は賑わっているが、西口は閑散としている。郡山駅の東口と西口の落差は大きい。
郡山駅の東口
郡山駅の駅前広場
さくら通りを歩いていく
郡山を貫く国道4号
郡山の総鎮守の安積国造神社
「楽都郡山」が目につく
「楽都郡山」の洒落たデザイン
郡山駅の広大な貨物線のヤード