「青春18きっぷ2010」(39)
第5日目(函館→新潟・その6)
秋田では1時間半ほど時間があるので、久保田城跡の千秋公園まで行く。
秋田は佐竹氏20万石の城下町。藩政時代は久保田といわれた。久保田が秋田に変ったのは明治以降のことだ。
秋田駅の改札口を出ると、通路の天井から吊り下げられた「竿灯祭」の竿灯が目に飛び込んでくる。竿灯祭といえば、「東北三大祭」のひとつ。人気の蒸気機関車、「デコイチ」の模型も展示されている。
「ぽぽろーど」から「仲小路」と駅前のショッピング・プロムナードを歩き、駅前大通りに出たところで千秋公園へ。
大手門跡に立ち、久保田城跡の堀を見る。
久保田城は慶長7年(1602年)、前水戸藩主の佐竹義宣が築城したが、天守閣と石垣のない城として知られていた。その城跡は全域が千秋公園になっている。
久保田城の表門から本丸跡に入っていく。
久保田城の本丸は明治以降に全焼し、当時を偲ぶ建物は何も残っていない。
本丸跡の八幡秋田神社を参拝。秋田神社は初代藩主の佐竹義宣をまつっているが、その秋田神社と佐竹氏の氏神の八幡神社を合祀して八幡秋田神社になっている。
本丸跡には佐竹氏第12代目の佐竹義堯の像が建っている。
最後に千秋公園内にある「佐竹資料館」を見学。
秋田といえば佐竹だが、ここでは初代藩主の佐竹義宣から最後の藩主、第12代目の佐竹義堯までの、源氏の流れをくむ佐竹氏の系図がよくわかる。
「秋田藩主と家臣たち」と題しての特別展では、第10代目の義厚(よしひろ)から第12代目の義堯(よしたか)までの秋田藩の歴史が紹介されていた。
秋田といえば日本有数の美人地帯だが、よくいわれるのは関ヶ原の合戦後、水戸から秋田に移封された佐竹義宣が水戸の美人を大挙して連れていったからだという。その水戸美人が秋田美人の源流になっているというのだ。
気の毒なのは水戸だ。
佐竹義宣に美人を根こそぎ連れていかれてしまった水戸は、それが原因で、「美人極少の地」になってしまったという(水戸のみなさん、ごめんなさい)。
しかし、ぼくは秋田美人の源流が佐竹氏にあるとは思わない。
津軽から秋田、越後、加賀、越前…とつづく日本海の一帯は、津軽美人、秋田美人、越後美人、加賀美人、越前美人…の名で知られているような、ベルト状の「日本一の美人地帯」になっている。
日本海の風土が、これら日本屈指の美人たちを生み出したのは間違いないことだ。
「竿灯祭」の竿灯
「デコイチ」の模型
仲小路
秋田駅前のバス乗り場
久保田城の大手門跡
八幡秋田神社
久保田城の本丸跡
第12代目藩主の佐竹義堯像