賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(3)

(月刊『旅』1994年1月号 所収)

池袋発の鈍行列車で東北へ

 1993年10月21日、東京・池袋駅

 9時06分発の宇都宮線黒磯行き鈍行列車に乗り込んだ時は、「ヤッタネー!」という気分で、うれしさが胸にこみあげてきた。前から一度、池袋駅から東北へ、旅立ってみたいと思っていたからだ。

 池袋駅というのは、特別な意味を持っている。ぼくは西武池袋線江古田駅近くで生まれた。その後、池袋が始発の東武東上線常磐台駅近くに移り、西武池袋線石神井公園駅近くで育ち、高校も西武池袋線大泉学園駅近くの都立大泉高校だったので、小さいころからなにかというと池袋に出た。

 当時はまさか池袋から宇都宮や黒磯方面に列車が出るようになるとは夢にも思わなかった。

 11両編成の黒磯行きは通勤列車の折り返しで車内はガラガラ。後4両が宇都宮で切り離されたが、黒磯までゆったりと座ることができた。

 車窓を流れていく風景をながめながら、鈍行乗り継ぎ温泉めぐりの“3種の神器”、JTBの大型時刻表の10月号と、やはりJTBの「全国温泉案内1800湯」、「温泉宿泊情報・東日本編」のJTBトリオのページをくり返しめくるのだ。そのたびに、旅への期待感が、いやがうえにもふくらんでくる。

 今回は、福島→青森間の奥羽本線の鈍行列車を乗り継ぎながら、沿線の温泉に入りまくろうと思っているのだ。

 黒磯から福島までの東北本線は、4両編成の列車で、もとは栄光の寝台特急の車両。それだけに、何か寂しさが漂っていて、場末の飲み屋あたりで出会う厚化粧した店のママを連想させた。

 左手に那須連峰の山々をながめているうちに、栃木県から福島県に入る。関東から東北に入ったのだ。旧奥州街道の白坂宿が近い白坂駅を過ぎ、東北の玄関口、白河へと、列車はスピードを上げてスーッと下っていく。

 白河から郡山を通り、二本松駅に着くと、安達太良山がよく見える。

 吾妻連峰の山々が見えてくると福島だ。福島駅到着は14時26分。東北温泉めぐりの出発点に立った。

「さー、やるぞー!」と、福島駅のホームで叫ぶカソリ。

飯坂温泉共同浴場めぐり

 福島から福島交通飯坂線に乗り、2両編成の電車で終点の飯坂温泉へ。料金は350円。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎでは、東北ワイド周遊券(2万2650円)を使ったが、この福島~飯坂温泉間の往復運賃700円が、東北ワイド周遊券以外に使った唯一の交通費になる。

 福島駅から20分ほどで飯坂温泉駅に着く。目の前が飯坂温泉の温泉街。摺上川の両側に温泉宿が建ち並んでいる。昔から鳴子温泉秋保温泉とともに“奥州三名湯”に数えられる飯坂温泉は、芭蕉の「奥の細道」にも登場するので、駅前には芭蕉像が立っている。

 駅から歩いて2分くらいの「平野屋旅館」に飛び込みで行ったが、首尾よく部屋が取れた。内湯に入ってさっぱりしたあと、いよいよ飯坂温泉大探検の開始だ。

 まずは、天王寺温泉、穴原温泉の2湯へ。飯坂温泉の温泉街を抜け、国道399号を歩く。果樹園のまっ赤に色づいたリンゴがたわわに実っている。

 30分ほど歩くと、天王寺温泉と穴原温泉の2湯に着く。最初は摺上川右岸の一軒宿、天王寺温泉の「おきな旅館」に行ってみる。だが、入浴のみは断られた。次に対岸の穴原温泉の「吉川屋」で入浴を頼んだが、やはり断られた。

 仕方ないか…‥。

 ともに「泊まってみたいな!」と思わせる温泉宿なので、今度は泊まりで来よう。そのかわり、共同浴場天王寺穴原湯」に入り、飯坂温泉に戻るのだった。

 飯坂温泉駅前にある案内所で飯坂温泉の案内図をもらい、共同浴場をチェックする。飯坂温泉共同浴場が数多くあることでも知られているが、全部で9湯ある。これら9湯を総ナメにしようと思うのだ。

 共同浴場の入湯料は50円。時間は6時から22時と、きわめて入りやすい。

 売店で共通の入湯券を9枚買い、摺上川の川っぷちにある「波来湯」を第1湯目にする。熱い湯。ほかに入浴客が1人いたが、よくもまあ、入っていられるなと感心するほどの湯の熱さ。歯をくいしばり、じっと動かないようにして湯につかる。湯から上がると、体全体がゆでダコのように赤くなっていた。

 第2湯目は「切湯」。これまた熱い湯。熱い湯というのは湯疲れが激しく、2湯入っただけなのに足腰がフラつき、9湯全湯制覇への道の遠さを感じてしまうのだ。第3湯目の「仙気の湯」は木曜日が定休で入れなかったが、残念というよりも、ホッとしてしまった。

 第4湯目の「導泉の湯」を出るころにはとっぷりと日が暮れ、摺上川にかかる由緒ある十綱橋の上で冷たい風に吹かれ、体を冷ますのだ。

「平野屋旅館」にいったん戻り、夕食をすませると、共同浴場に再度、挑戦する。

 第5湯目は、飯坂温泉の中では一番よく知られている「鯖湖湯」。趣のある建物。このあたりが飯坂温泉発祥の地で、碑が建っている。やはり熱い湯。子供たちがザーザー水を流し込んでいる。これ幸いとばかりに、子供たちと一緒に入る。共同浴場では、同じようなことを大人がやると、たちまちひんしゅくを買ってしまうが、子供なら許されるのだ。

 第6湯目の「透達湯」は改装中(このあとまもなく「鯖湖湯」は閉鎖され、「透達湯」跡に新「鯖湖湯」が誕生した)で入れず、第7湯目の八幡神社近くの「八幡湯」に入った。湯から上がるとフーッと肩で大きく息をし、自販機の冷たい缶ジュースをたてつづけに2本、飲み干した。

 第8湯目の「大門の湯」は、木曜日定休で入れなかった。大門坂の高台にあるこの共同浴場からは、福島の夜景を一望する。光の海の中心には、信夫山の黒々した姿が横たわっている。目の底に残る福島の夜景だ。

 ついに最後の湯、第9湯目の「十網湯」までやってきた。ここも、熱い湯。飯坂温泉共同浴場は、例外なしに、どこも熱い湯。飯坂の人たちには感服してしまうのだが、飛び出したくなるほど熱い湯なのに、平気な顔して入っている。

「その秘訣は何ですか?」

 と聞くと、

「慣れですよ、慣れ!」

 という答えが返ってきた。

 湯につかる前に、何杯も湯をかぶるというのも、熱い湯に入るコツのひとつのようだ。「十綱湯」を出るころには、腰が抜けたかのようで、もう、フラフラ。一歩一歩、踏みしめるように夜道を歩く。

「温泉はもうたくさん…」といった気分だったが、「平野屋旅館」に戻るとすぐさま浴衣に着替え、今度は宿の湯に入った。広々とした湯船を独り占めにし、湯船からザーザー流れ落ちる湯の音を聞きながら、思いっきり体を伸ばして湯につかった。

 つい今しがた「温泉はもうたくさん…」といっていたことなどすっかり忘れ、

「やっぱり、温泉は何度、入ってもいい!」

 と、思ってしまうのだ。湯上がりに飲む冷蔵庫のビールが、最高にうまかった。残念ながら9湯の共同浴場全部のうち3湯には入れなかったが、満足できる飯坂温泉共同浴場めぐりだった。

共同浴場バロメーター論

 福島発7時00分の奥羽本線下りの鈍行一番列車に乗る。2両編成の新型車両の電車。福島~山形間(愛称は山形線)は、完成した山形新幹線用の標準ゲージの線路になっているので、乗り心地がよく、車内もゆったりしている。

 電車は板谷峠に向かって登っていく。天気は崩れ、雨が降り出す。福島県から山形県に入り、板谷駅を過ぎると、奥羽山脈板谷峠の長いトンネルに入っていく。トンネルを抜け出ると、信じられない光景! 

 天気はガラリと変わり、透き通った青空が広がっていた。周囲の山々の紅葉が色鮮やかだ。

 板谷峠を越え、奥羽本線は奥州から羽州へと入っていく。列車での峠越えもおもしろい。

 板谷峠を下っていくと、その名も峠駅。名物“峠の力餅”で知られている。板谷峠の登りは急勾配なので、かつての奥羽本線鈍行はスイッチバックで峠を越えた。板谷峠をはさんだ2つの駅、板谷駅と峠駅の旧駅にもその名残が見られる。

 さらに板谷峠を下り、米沢盆地に入ると、すっぽりと霧に覆われている。福島は薄日が射す程度の曇り、板谷峠の福島側は小雨、板谷峠は晴れ、板谷峠の米沢側は濃霧と、峠を境にして天気がめまぐるしく変わった。

 米沢で山形行きの4両編成の電車に乗り換え、赤湯で下車。山形新幹線の開通に合わせ、すっかりきれいな駅に生まれ変わっている。駅舎内には「サーマル・プラザ」というインフォメーションセンターもある。駅の案内所で市内地図をもらい、「開湯900年」をキャッチフレーズにしている赤湯温泉を歩く。

 すっぽり霧に包まれた南陽市の中心、赤湯の町を歩きながら、「丹波湯」、「大湯」、「あずま湯」、「とわの湯」、「烏帽子の湯」という順序で、5つの共同浴場に入った。どこも入浴料は70円。2時間半かけて、赤湯温泉の全部の共同浴場に入ったが、ちょうど赤湯の町をぐるりとひとまわりするようなコースになるので、

共同浴場めぐりは、町歩きの方法としても最適の方法だな!」

 と、カソリ、一人でウンウンとうなずくのだった。

 赤湯温泉の共同浴場めぐりを終えるころには、霧は晴れる。抜けるような青空。空が高い。爽やかな空気の肌ざわりに、東北の秋を感じた。

 赤湯発11時19分の快速「ざおう」に乗るつもりでいたが、東京行きの「つばさ」を見ると、「つばさに乗りたい!」という気持ちを押さえられなくなり、「このワイド周遊券でも乗れるのだから、まあ、いいか…」と、11時04分発の「つばさ113号」に乗った。

 米沢盆地から山形盆地へと、ゆるやかな峠を越える。峠周辺は一面のブドウ畑。わずか13分間であったが、次の駅、かみのやま温泉駅までの“つばさの旅”を存分に楽しんだ。

 かみのやま温泉駅で「つばさ」を降り、駅近くの中華料理店でカソリの定番メニュー、ラーメンライスで腹ごしらえをし、それをパワー源に上山温泉でも共同浴場めぐりをする。「中湯」、「新丁温泉」、「下大湯」、「湯町共同浴場」、「新湯共同浴場」、「二日町共同浴場」という順に6湯の湯に入った。入浴料は30円。つい、この前まではたったの10円で、“10円湯”で知られていた。

 ぼくは、共同浴場というのは、温泉地の格、つまり温泉番付の絶好のバロメーターだと思っている。これを「カソリの共同浴場バロメーター論」という!?

 草津温泉のように、誰もが、いつでも、それも無料で入れる共同浴場がいくつもある温泉というのは、きわめて格が高い。それ式でいうと、入浴料金が安く、営業時間が長く、外来者でも自由に入れる共同浴場の数が多い飯坂温泉、赤湯温泉、上山温泉の3湯は、奥羽本線沿いの横綱級の温泉なのである。

北国美人のほほえみ

 かみのやま温泉駅から山形へ。4両編成の電車。山形盆地の稲田の向こうに、青空を背にした蔵王の連山が、クッキリと浮かび上がっている。山形到着は14時56分。すぐさま15時06分発の新庄行きに乗り換えたが、電気機関車に引かれた4両編成の列車で、いっぺんにローカル線の雰囲気となる。

 “将棋の町”天童で下車し、駅にある「将棋資料館」(入館料300円 9~18時)を見学したあと、徒歩20分の天童温泉に行き、市営公衆温泉浴場「ふれあい荘」の湯に入った。

 天童からは、真室川行きの3両編成のディーゼルカーで東根へ。すっかり日が暮れた東根駅に着くと、『温泉宿泊情報・東日本編』を頼りに、東根温泉の「最上屋旅館」に電話を入れる。宿泊OK。このように、ぼくの宿選びは、いつものように出たとこ勝負。あらかじめ宿を決めておくことはない。

 東根温泉までの1キロほどの道のりを急ぎ足で歩く。列車以外の交通機関は、自分の足だけ、これが「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」の旅の仕方なのだ。

「最上屋旅館」の湯に入り、夕食をすませると、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりの開始。

 第1湯目は「石の湯」。見たところはふつうの民家で、隣りの家に風呂をもらいに行くといった風情だ。男湯と女湯の境は、曇りガラス。女湯に入っている若い女性が湯船から立ち上がるたびに、彼女の体の線がガラスに映る。

胸のふくらみまで、はっきりと見えてしまう。

 なぜ、女湯に入っているのが若い女性だとわかるのかというと、玄関に若い女性向きの靴があったからだ。カソリ、そのあたりのチェックにぬかりはない。

 彼女が湯から出るまでは入っていようと、長湯を決め込む。彼女の裸身がガラスに映るたびに、目をこらしてしまう。なんとも胸の躍るひと時。彼女が湯から上がる。ぼくもそれに合わせて湯から上がる。玄関で、さもバッタリと出会ったかのように、湯上がりの彼女と顔を合わせた。

 思ったとおりの北国美人! 

 軽く会釈したが、白い肌がピンクに染まった“湯上がりの北国美人”は、

「いやーねー、あなた、私のこと見ていたでしょ」

 といった非難めいた素振りはまったく見せず、ニコッと、ほほえみ返してくれた。

 このあたりが、ほんとうにいいんだなあ…。

 東北人の心のやさしさが、そっくりそのまま顔に出ていた。

「石の湯」を出てからも、ぼくの心の中は、“湯上がりの北国美人”のほほえみのおかげで、いつまでもポカポカとあたたかかった。

 第2湯目「沖の湯」、第3湯目「オオタ湯」、第4湯目「市営厚生会館」と入り、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりを終え、最後に「最上屋旅館」の湯に入る。湯上がりのビールを飲んでから寝たのだが、なにしろ1日の歩き疲れと湯疲れとで、布団に横になるやいなやバタンキューの爆睡状態だった。

駅から徒歩1分、横手駅前温泉

 東根発6時45分の奥羽本線下り新庄行きの鈍行一番列車に乗る。電気機関車に引かれた3両編成の列車。新庄着は7時34分。ここからが大変だ。山形県から秋田県へ、鈍行列車で県境を越えるのは、きわめて難しい。次の列車というと、11時56分なのである。

 鈍行での県境越えの難しさは、福島県から山形県に入る時もそうだった。福島発7時00分、8時30分の次は、なんと13時15分発になってしまう。さらに、秋田県から青森県に入るのも、大館発5時44分、6時38分、7時53分の次というと、13時40分なのである。

 新庄で4時間以上も待つことはできないので、仕方なく、7時50分発のL特急「こまくさ1号」(山形→秋田)で県境を越え、秋田県の湯沢まで行くことにした。

 特急列車は新庄を出ると真室川に停車し、県境周辺の山間部に入っていく。山形県最後の駅が、難解地名や難解駅名でたびたび登場する“及位”。これで“のぞき”と読む。

 渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

 及位駅を過ぎると、L特急「こまくさ1号」は雄勝峠のトンネルに入っていく。神室山地と丁岳山地を分ける山形・秋田県境の峠で、院内峠ともいわれる。奥羽本線と並行して走る羽州街道(国道13号)も雄勝峠をトンネルで抜ける。ピューッと鋭い気笛を響かせてトンネルを抜け、秋田県に入る。峠を下ると雄勝町の院内だ。

 阿武隈川流域の福島盆地を出発した奥羽本線だが、山形県に入り、中央分水嶺の峠、板谷峠を越えると、この雄勝峠までが最上川の世界、雄勝峠を越えると、雄物川の世界に入っていく。奥羽本線には、峠を越えるたびに変わっていく東北大河紀行のおもしろさがある。

 L特急「こまくさ1号」は雄勝川沿いの横手盆地に入り、水田地帯をひた走る。横堀(雄勝町)に停車すると、次が湯沢だ。このあたりは、奥羽本線沿線の中でも、一番の豪雪地帯として知られている。

 8時45分着の湯沢駅で降りると、駅近くの食堂で名物の稲庭うどんを食べる。細い麺。素麺に似ている。駅周辺の土産店でも、乾麺の稲庭うどんは大きなスペースを取って売られている。

 稲庭うどんは湯沢に近い稲川町稲庭でつくられる伝統的な製法のうどん。その起源は古く、江戸時代前期までさかのぼり、秋田潘の御用達で、幕府への献上物とされた輝かしい歴史を持っている。

「さー、歩くぞ!」

 気合を入れて早足に湯沢温泉へ。駅から20分ほど歩いた「サンパレスみたけ」の湯に入り、同じ道を駅に戻る。湯沢始発の2両編成のディーゼルカー、快速「おものがわ」に“すべりこみセーフ”といった感じで間に合った。

 湯沢の次は横手。横手駅前には“平成の湯”がある。平成2年12月にオープンした横手駅前温泉の「ゆうゆうプラザ」。ここでは宿泊もできる。47度の湯が毎分600リットル湧き出している本格的な温泉だ。

 魅力はなんといっても駅から近いこと。徒歩1分という、鈍行乗り継ぎで入るのには最適な温泉。「中部一周」の鈍行乗り継ぎで入った上諏訪温泉の駅前にある「丸光デパート」(丸光温泉)のようなものだ。

 さっそく湯に入る。男湯が「天人峡」、女湯が「由布院」。この名前も気に入った。天人峡は北海道、由布院は九州の名湯だ。広々とした大浴場の湯につかる。湯量が豊富で、肌がたちまちスベスベしてくる。泡風呂や打たせ湯、露天風呂もある。湯につかっていると、ピュー、ピューと入れ換え作業をしている電気機関車の汽笛が聞こえてくるところが、いかにも駅前温泉だ。

  

矢立峠越えの温泉めぐり

 横手始発の2両編成のジーゼルカーで秋田県へ。雄物川流域の水田地帯を走る。日本でも有数の穀倉地帯。この年、東北の稲作は記録的な大冷害で壊滅的な被害を受けたが、同じ東北といっても山形・秋田の日本海側は、宮城・岩手の太平洋側ほどひどくはやられなかった。

 このあたりが、奥羽山脈をはさんでの奥州と羽州の違いになる。

 太平洋側は夏の冷たい東風ヤマセの影響をモロに受けて冷夏になりやすく、日本海側はその影響をあまり受けずに気温が上がる。

 秋田から大館までは、新型車両の3両編成の電車。帰宅する高校生を乗せて超満員。高校生たちは次の土崎駅でゴソッと降り、八郎潟駅を過ぎると車内は空いた。前方に長々と横たわる白神山地の山々が見えてくると東能代五能線の分岐する駅だ。ここを過ぎると、秋田県のもう一本の大河、米代川に沿って走る。

 大館からは弘前行きの2両編成のディーゼルカー。車内はガラガラ。大館駅を出発すると間もなく秋田・青森県境の矢立峠に向かっての登り勾配となる。列車は速度をガクッと落とす。

 15時31分、秋田県最後の駅、矢立峠下の陣場駅着。そこで降りた。下車した乗客はぼく一人。次の駅、青森県津軽湯の沢駅までは歩いていく。歩いて矢立峠を越え、矢立峠周辺の温泉全部に入ろうと思うのだ。

 奥羽本線に並行して羽州街道(国道7号)を歩く。轟音をとどろかせて矢立峠を登り降りするトラックの風圧をまともに受けながら歩くのが辛いところだ。3分ほど歩くと下内沢温泉。ここでは大館市営「峠の家」の湯に入る。国道7号と分かれ、秋田杉の大木が空を突く山道を10分ほど歩くと一軒宿の日景温泉に着く。日景温泉にはどうしても泊まりたかったので、前夜、東根温泉から電話を入れておいたのだ。

 さっそく総ヒバ造りの大浴場に入る。青森特産のヒバの木は潮や風雨に強いので、下北や津軽の海岸地帯の民家ではよく使われている。そのことからもわかるように、温泉の湯屋や湯船の材質としてもきわめてすぐれている。

 ほのかに漂うヒバの香をかぎながら湯につかる。湯量が豊富。いかにも温泉らしい白濁色した湯が、おしげもなく湯船の木枠からあふれ出ている。露天風呂にも入る。燃えるような紅葉が、目の中に飛び込んでくる。温泉につかりながら紅葉狩りをしているようなものだ。

 湯から上がると、一人、ビールで乾杯。この日景温泉が、ぼくにとっては第500湯目の温泉になるからだ。日本中の温泉に入ってやろうと、自分の入った温泉の記録を取りはじめたのは、1975年2月のこと。

 第1湯目は広島県湯来温泉。第100湯目は神奈川県の底倉温泉、200湯目は北海道の十勝温泉、300湯目は熊本県の山鹿温泉、400湯目は福島県の幕川温泉。温泉めぐりをはじめてから18年もかかっての500湯達成だが、ビールをキューッと飲みながら、

「さー、次の目標は1000湯だ!」

 と、日本の全湯制覇への思いを新たにするのだった。

 翌朝は、朝食を食べてから出発。国道7号を歩き、矢立峠へ。その途中で一軒宿の「矢立温泉」の湯に入る。矢立温泉は赤湯で知られている。赤湯の名前通り、赤土を溶かしたような湯の色。10人ほどの人たちが肩を寄せ合うようにして湯につかっている。秋田弁と津軽弁が入り混じって飛びかうあたりが、県境の峠の湯らしいところだ。

 天気は冬間近を思わせる時雨模様。青空が広がったと思う間もなく、黒雲が空を覆い、ザーッと雨が降ってくる。それもつかの間で、また青空が広がるといっためまぐるしさ。気まぐれな天気の峠道を歩き、秋田・青森県境の矢立峠に到着。吐く息がまっ白になるほどの寒さ。峠を吹き抜けていく冷たい風が肌に突き刺さる。

 矢立峠青森県側に下り、相乗温泉の湯に入る。次に峠下で国道を左に折れ、30分ほど歩いた湯ノ沢温泉の「湯の沢山荘」の湯に入る。国道に戻ったところで、ラーメン屋でラーメンライスを食べ、12時ジャストに奥羽本線津軽湯の沢駅に着いた。列車だとわずか7分の陣場駅→津軽湯の沢駅間を20時間かけて歩いたことになる。

 津軽湯の沢発の列車は14時05分。まだ、2時間5分あるので、古遠部温泉まで行くことにした。駅前は羽州街道津軽街道の、2本の街道の合流点。そこにある復元された津軽藩碇ヶ関の関所を大急ぎで見て、津軽街道(国道282号)を懸命になって歩く。まるで競歩のようなものだ。

 30分ほど歩き、国道からさらにダートの山道を10分ほど歩くと、一軒宿の湯治宿風「古遠部温泉」に着く。湯量豊富な石づくりの湯船にドボンと飛び込み、すぐさま着替え、来た道を引き返す。帰路ももちろん競歩的歩き方。このようなスレスレのきわどい芸当をやって14時05分の列車(1両のディーゼルカー)に間に合わせた。

 次の碇ヶ関駅で降り、碇ヶ関温泉の「大丸ホテル」の湯に入り、大鰐温泉駅へ。いよいよ、奥羽本線鈍行乗り継ぎの最後の温泉、大鰐温泉だ。飯坂温泉から数えて15湯目になる。

「沢田客舎」とか「阿保客舎」、「小林客舎」といった”客舎”(旅館よりもひとランク下の宿で、今の時代でいえば民宿か)の看板がかかる大鰐の温泉街を歩き、共同浴場めぐりをする。どこも入浴料150円。すっかり本降りになった雨に降られながら「山吹湯」、「若松会館」、「青柳会館」、「霊泉大湯」と4湯に入った。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎの温泉めぐりでは、最後まで共同浴場にとことん、こだわってみた。

「あー、これで終わってしまうのか…」

 そんないいようのない寂しい気持ちを胸に押し込め、大鰐温泉駅18時16分発の青森行きに乗る。2連の電気機関車に引かれた4両の客車には空席が目立つ。雨が雪に変わり、ポツンポツンと灯りの見える津軽平野がうっすらと白くなっていく。長い長い冬に入った東北を感じながら、奥羽本線の終着駅・青森へ。駅前食堂でいくら丼を食べ、20時12分発の急行「八甲田」に乗り込む。「津軽」とともにまもなく消えていく急行列車だ。

「八甲田」は定刻どおりに青森駅を出発し、20時51分に野辺地駅に着く。ここでかなりの乗客が降り、車内は空いた。窓の外を見ると月が出ている。日本海側と太平洋側では天気が違う。

 上野駅到着は翌朝の6時58分だった。

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管理人たまらず:

>・・・“及位”。これで“のぞき”と読む。

>渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

⇒てか、"ノゾキ温泉"は相当、やってるでしょ! "チラミ温泉"も含めたら相当数(笑)