賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(2)

(月刊『旅』1993年2月号 所収)

23時40分発の大垣行きに乗って

 東海道線の長距離最終、23時40分発の大垣行き列車に乗るために、東京駅の7番ホームに立った時は、胸がジーンとしてしまった。

「久しぶりだなあ…」

“鈍行乗継ぎ”をひんぱんにやっていたころは、何度もお世話になった列車だ。

 超満員でまったく空席ができず、通路でゴロ寝した時は、見ず知らずの女の子と抱き合うような格好で寝た。身動きできないので仕方なかったのだが、いまだに彼女の肌の温もりが残っているほどだ。

 かなり酔っぱらったサラリーマン風の人と同席した時のことも忘れられない。その人は静岡を過ぎたところで、突然、起き上がり、叫んだ。

「ここは、どこだー!」

「今、静岡を過ぎましたよ」

「エ? 平塚で降りるはずだったのに…」

 大垣行き以前の大阪行にも何度か乗ったことがある。電気機関車に引かれたチョコレート色の客車で、車内の暗さと座席の固さ、連結器のガシャガシャーンという音が、20年以上もの年月を越えて、鮮やかによみがえってくるのだった。

 大垣行きは23時29分の入線。11両編成の2つのドアの車両。23時40分、定刻どおりに出発したが、通路に立つ人が出るほどの混み具合。新橋、品川と停車し、深夜の東京を離れていく。

 今回の鈍行乗り継ぎ旅では、東京駅のみどりの窓口で、オーダーメードの乗車券をつくってもらった。「東京→豊橋東海道本線)→岡谷(飯田線)→松本(中央本線)→糸魚川大糸線)→直江津北陸本線)→長岡(信越本線)→上野(上越高崎線)」の切符1枚(1万2050円)を持って、鈍行列車を乗継ぎながら、3日間で沿線の温泉に1湯でも多く入ろうと思うのだ。

 ねらい目は、駅前温泉、もしくは駅から徒歩10分とか15分ぐらいの温泉。はたして何湯入れるやら、期待と不安の入り混じったような気分なのである。

 1時5分、大垣行きは小田原を発車すると快速になり、車内放送がなくなる。2時32分、静岡に着くと、かなりの乗客が降り、車内はガラガラになる。ゆったりと、足を伸ばして寝られるようになる。浜松まではノンストップ。4時15分、浜松を発車すると各駅停車となり、4時49分、豊橋に着いた。

飯田線の2つの駅前温泉

 豊橋駅でトイレ、洗面をすませ、さっぱりした気分で6時発の飯田線一番列車に乗り込む。2両編成の天竜峡行き。車内はガラガラ。定刻どおりに豊橋駅の1番ホームを発車する。するとまもなく、夜が明ける。東の空がまっ赤に燃えている。すばらしい天気で、空には一片の雲もない。

 豊川、新城、本長篠と通り、7時12分、湯谷温泉着。無人駅に降り立った乗客は、ぼく一人だ。

「さー、温泉めぐりの第1湯目だ!」

 この、温泉めぐりで入る第1湯目ほどうれしいものはない。

 さて、1200年の歴史を誇る湯谷温泉には、駅周辺に10軒あまりの温泉ホテル・旅館がある。そのほか、食堂「やまと」に併設された温泉浴場「温泉お風呂」(11時~24時。入浴料700円)、公共の温泉施設「鳳来ゆーゆーありいな」(10時~21時、入浴料600円)があるが、時間が早いので、まだ、ともにオープンしていない。そこで温泉宿を1軒1軒、聞いてまわる。

「あのー、入浴、お願いできませんか…」

 これが、けっこう辛いのだ。ケンもホロロに断られた時など、ガックリしてしまう。全部のホテル、旅館をまわったが、結局、全部で断られてしまった。が、そのくらいのことで諦めるような“温泉のカソリ”ではない。

 今までまわったホテル、旅館の中で、一番感じのいい応対をしてくれたところにねらいをつけて、再度、挑戦。駅前温泉ホテルの「グランドホテル鳳陽」に行く。フロントに、平身低頭してお願いする。鈴木博則さんという方だった。

「なんとか、入浴させていただけませんか」

 鈴木さんは、ぼくのあまりのしつこさに根負けして、

「これは、私の一存で…」

 ということで、鈴木さんの好意で、「輝陽の湯」に入浴させてもらった。それも入浴料はタダ。おまけにタオルまでつけてもらった。

 無色透明の食塩泉の湯につかり、ガラス張りの浴室ごしに宇連川鳳来峡を見下ろしていると、第1湯目の温泉に入ることのできた喜びが、ジワジワとこみあげてくる。夜行列車に乗ってきた疲れもいっぺんに吹き飛ぶ。鈴木さん、ありがとう!

 飯田線鳳来寺山下の湯谷温泉駅を過ぎると、急に山深くなる。このあたりの奥三河の山々にはイノシシが多いのだろう、トタン(シシ垣)で囲った山の田畑が目につく。谷は深く、トンネルが連続する。

 愛知から静岡県に入り、中部天竜水窪を通って長野県へ。天竜川に沿って電車は走る。切り立ったV字の谷を行くのでトンネルの連続だ。

 第2湯目は、天竜峡温泉。1989年に湧き出た新しい温泉だ。ここには数軒の温泉ホテル・旅館があるが、湯谷温泉とはうってかわって、どこでも入浴させてもらえた。そのうち、駅前の「彩雲閣・天竜峡ホテル」の湯に入った。ちょうど窓の下が天竜船下りの乗り場で、湯につかりながら、船頭さんの鮮やかな棹さばきを見ることができた。

 天竜峡駅を過ぎると、山峡の風景から盆地の風景へと、大きく変わる。右手には南アルプス、左手には中央アルプス日本アルプスの高峰の山頂周辺はすでに雪化粧をしている。抜けるような青空を背にした雪の白さがきわだっていた。

 飯田、駒ヶ根伊那市と通り、15時16分、終点の岡谷に着いた。伊那谷伊那盆地)から諏訪盆地へと入ったのだ。

上諏訪温泉&下諏訪温泉のハシゴ湯

 岡谷駅では、いったん改札を出て、上諏訪までの切符を買う。190円。「東京都区内発→東京都区内着」の切符から外れるルートだからだ。そのついでに岡谷駅周辺を歩いた。岡谷からは15時31分発の茅野行きに乗ったが、飯田線のあとだと、中央本線は鈍行といえども、急行か特急列車のような速さを感じるのだった。

 下諏訪を通り、15時40分、上諏訪着。温泉ハシゴ旅のはじまりだ。まずは上諏訪駅1番ホームの簡単な小屋掛けをした駅露天風呂に入る。湯の中では初老の人と一緒になったが、

「私はこの湯が好きでねェ。わざわざ“あずさ”をひと列車遅らせて、入ったんだよ」

 という。松本への出張の帰り道だそうで、この湯に入るために上諏訪で下車し、もう一本あとの“あずさ”で東京に帰るのだという。このように上諏訪駅の駅露天風呂の愛好者はきわめて多い。

 

 長湯するという“出張のサラリーマン氏”と別れ、駅を出る。次に、駅前デパートの「諏訪丸光」に入る。5階の丸光温泉へ。日本広しといえども、デパートの中に温泉があるのはここだけだろう。閉湯間際ということもあって、500円の入浴料を250円にまけてくれたが、客はぼく一人であった。

 上諏訪温泉の第3湯目は、「片倉館」(10時~19時、入浴料260円)の千人風呂だ。ところが駅から徒歩5分の「片倉館」に着くと、改装中で、休業。残念‥‥。

「まあ、仕方がないな」

 と、諏訪湖の湖畔に出る。夕暮れが迫り、小波ひとつない湖面は夕焼けに染まっている。諏訪盆地を見下ろす八ヶ岳の峰々が、紫色のシルエットになっている。

 今晩の泊まりは、下諏訪温泉だ。16時57分発の松本行きで1駅戻り、下諏訪で下車する。諏訪盆地の駅の位置関係だが、東京方面からいうと茅野→上諏訪→下諏訪→岡谷という順になる。下諏訪駅からプラプラと10分ほど歩き、諏訪大社下社の秋宮に参拝。境内の「ホテル山王閣」に泊まり、まずは湯に入る。

「ホテル山王閣」はぼくの好きな温泉宿のひとつ。宿泊料は安く、諏訪盆地を一望できる大浴場はすばらしい。夜ともなると、湯につかりながら諏訪の夜景を眺めることができる。食事も満足できるものだ。この日も、マグロの刺身とコイのアライ、コイのうま煮、てんぷら、茶碗蒸し、信州そば…と、料理の品数が多かった。

 ところで下諏訪温泉には、全部で8湯の温泉浴場がある。夕食後、8湯制覇に挑戦することにし、下諏訪案内図を広げ、・遊泉ハウス児湯→・旦過湯→・菅野温泉→・新湯→・矢木温泉→・みなみ温泉→・湖畔の湯→・富部温泉という順序で入りまくることにした。 8湯制覇の成功を諏訪大社に祈願したあと、夜の下諏訪の町を歩きはじめる。人どおりは少ない。町のネオンも少ない。店は早々とシャッターを降ろしている。

 3湯目の「菅野温泉」ぐらいまでは楽だったが、5湯目の「矢木温泉」を過ぎると湯疲れと歩き疲れでかなり辛くなってくる。7湯目の「湖畔の湯」を出るころには腰が抜けたかのように体はフニャフニャになり、歩くのも楽でない。

“湯疲れ”とはよくいったもので、心底、疲れきってしまう。体は鉛のように重くなり、心臓の動悸が激しくなり、「絶対に下諏訪温泉共同浴場の全湯制覇をするんだ」といった意気込みも、もうどうでもよくなってくる。そんな自分を叱咤激励する。

 時間が迫っているので、湯疲れした体にムチを打って走り、ギリギリで富部温泉に飛び込み、ついに下諏訪温泉8湯制覇をなしとげた。最後の力をふりしぼって「ホテル山王閣」に戻ると、バタンキューで翌朝まで死んだように眠った。温泉のハシゴ湯は体力を激しく消耗する。でも‥‥、これがいいのだ。下諏訪温泉というものが、自分の体にしっかりと刻みこまれる。なんともいえない旅の達成感を感じるのだった。

 下諏訪温泉の温泉浴場は、どこも入浴料が150円(「湖畔の湯」は180円)。8湯全部入っても1230円。営業時間も5時30分から22時と入りやすい。なんとも安い、なんとも心に残る1230円の下諏訪温泉8湯制覇であった。

大糸線沿線の温泉ハシゴ旅

 翌朝は、5時半起床。すぐさま着換え、下諏訪駅へと、まだうす暗い道を歩く。6時05分発の松本行き一番列車に乗るころには夜が明けた。うれしいことに、今日も快晴だ。八ヶ岳南アルプスの間の、ポコンと落ち込んだところ(国道20号の富士見峠あたり)に、富士山がクッキリと浮かび上がっている。八ヶ岳の山の端が、赤々とまるで炎のように燃えている。

 岡谷を通り、塩嶺トンネルを抜けて松本盆地に入ると、今度は北アルプスの山々が間近に迫ってくる。峰々の山頂周辺の雪が光り輝いている。気温がグッと下がったようで、あたりは一面、霜でまっ白。昇ったばかりの朝日を浴びてキラキラ光っている。

 松本からは大糸線に乗り、北アルプスの山々を眺める。松本→糸魚川間の大糸線沿線のハシゴ湯旅のはじまりだ。信濃大町で乗り換え、8時30分、信濃木崎着。ぼく一人が無人駅に降り立ち、木崎湖温泉へと歩いていく。左手に雪をたっぷりとかぶった針ノ木岳を見る。木崎湖温泉では「仁科荘」のかわいらしい湯船の湯につかった。宿の玄関前では奥さんがせっせと白菜、野沢菜を漬けていた。本格的な冬が、もう目前の木崎湖温泉だった。

 木崎湖温泉では、仁科三湖のひとつ、木崎湖まで歩いていく。湖畔のキャンプ場には人っこ一人いない。このあたりは森城跡。森城は武田信玄の越後に対する最前線基地といったところで、案内板によるとかなりの規模の城だったようだ。

 10時24分発の白馬行きに乗る。木崎湖、中綱湖、青木湖と、仁科三湖を車窓から眺めているうちに、ゆるやかな峠を越える。国道148号の佐野坂トンネルの真上を通っていくのだが、この峠は、安曇野を流れる高瀬川松本盆地犀川と合流し、長野盆地千曲川と合流し、信濃川となって日本海に流れ出る)と、糸魚川日本海に流れ出る姫川とを分ける分水嶺になっている。

 白馬からは11時発の快速南小谷行きに乗る。この列車は新宿7時発の“あずさ1号”で、信濃大町から快速になるのだが、特急列車にタダ乗りしたような得した気分を味わう。

 11時16分、南小谷着。駅前の国道148号を下里瀬温泉まで歩いていく。徒歩30分。「サンテイン・おたり」の湯に入る。ここには打たせ湯、寝湯、泡湯とある。クアハウス風の温泉施設だ。湯から上がると、徒歩15分の中土駅へと歩いた。

 中土駅からは、12時45分発の糸魚川行きに乗る。1両のジーゼルカー。それでも車内はガラガラだ。隣り駅の北小谷で下車。まずは徒歩10分の来馬温泉「風吹荘」の湯に入る。ここには食堂もあって、湯上がりにてんぷらそばを食べる。さすがに信州、手打ちそばが絶品だった。

 北小谷駅から次の平岩駅までは、国道148号を歩き、その間にある島温泉、猫鼻温泉、蒲原温泉、白馬温泉とハシゴ湯するつもりでいた。だが…。

 島温泉は国道沿いの、一軒宿の温泉。外で野沢菜を漬けている宿の奥さんに入浴を頼むと、「ごめんなさいね、湯を落としてしまって…」ということで入れなかった。猫鼻温泉も一軒宿。入浴のみの温泉施設で、宿泊はできない。国道から100メートルほどの急坂を下っていったが、なんと休業中。

 長野県から新潟県に入り、国道から200メートルほど下った蒲原温泉へ。ここも一軒宿。だが‥‥、浴槽の排水工事の最中で、またしても入れなかった。もう、ガックリ…。このように、温泉のハシゴ湯というのは、なかなか、思いどおりにはいかないものなのである。

 葛葉峠を越え、峠下の白馬温泉へ。やっと「白馬観光ホテル」の湯に入れた。白い白馬大仏の前にある温泉宿だ。北小谷から2時間以上も歩いた疲れも吹き飛び、温泉のありがたさをしみじみと実感する。

 16時30分、平岩駅到着。姫川を渡り、姫川温泉の「ホテル白馬荘」に泊まる。平岩駅は新潟県だが、徒歩3分の姫川温泉は長野県になる。さっそく露天風呂と内湯に入り、そのあとで夕食となったが、給仕してくれた若奥さんが話してくれた。

「このあたりでは、ずいぶんと雪が降りますよ。ひと晩で1メートル以上積もることも珍しくありません。雪を見たくて来られる常連のお客さまもいらっしゃいますが、雪を見たいだなんて…」

 若奥さんの口調はいかにも、「私には理解できません」といいたげであった。

ひなびた越後路の温泉、湯治宿

 鈍行乗継ぎの温泉めぐりも、あっというまに最終日。3日目は越後路の温泉だ。5時起床。朝風呂に入ったあと、5時半、宿を出る。前夜の若奥さんの話しではないが、天気が崩れ、雪がボソボソと降っている。

 雪道を歩き、6時04分発の糸魚川行き一番列車に乗った。糸魚川に着くと、雪は雨に変わった。糸魚川から直江津へ。天気がめまぐるしく変わる冬の日本海直江津に着くと、雲の切れ目から日が射していた。

 8時、直江津から4つ目の潟町着。日本海に面した鵜ノ浜温泉に行く。徒歩7分。ここには共同浴場(11時~16時30分)があるが、まだ開いていない。そこで隣りの「グランドホテルみかく」で入浴させてもらった。塩辛い、緑色がかった湯。泉質は含重曹食塩泉。リウマチや神経痛によく効くという。

 湯から上がると、日本海の砂浜を歩く。猛烈な北西の季節風が吹きつけ、日本海は大荒れに荒れ、大波が押し寄せていた。

 9時32分、柏崎着。土砂降りの雨。ズブ濡れになって30分以上も歩き、柏崎温泉へ。だが温泉宿を聞いてまわったが、どこも入浴はさせてもらえない。濡れネズミになって、惨めな気分で柏崎駅に戻った。温泉めぐりも楽ではない。

 11時31分、柏崎から4つ目の越後広田着。降りつづく雨の中を20分ほど歩き、広田温泉へ。湯治宿の「湯元館」で入浴させてもらった。肌にツルツルする湯で、泉質はさきほどの鵜ノ浜温泉と同じ含重曹食塩泉。近郷近在からやってくるおじいさん、おばあさんたちでにぎわっていた。このあたりは、信越本線直江津―長岡間でも一番の豪雪地帯だとのことで、温泉宿の建物や庭木の樹木は、長い冬に備えてしっかりと雪囲いされていた。

 越後広田発13時26分の長岡行きに乗り、2つ目の塚山で下車。徒歩5分の西谷温泉「中盛館」の湯に入る。ここも広田温泉と同じような湯治宿。広田温泉、西谷温泉はともにハデさはまったくなく、その土地にしみついたようなひなびた感じが漂い、ぼくの旅心をいたく刺激するのだった。

 越後路の最後の温泉は越後滝谷駅から徒歩20分の長岡かまぶろ温泉。無人駅に降り立つと、雨は雪に変わり、まるで吹雪の様相だ。横なぐりに吹きつけてくる雪のためカサもさせず、雪に降られっぱなしで長岡かまぶろ温泉まで歩いた(いや、走った)。

 入浴料700円を払い、すぐさま名物のかま風呂に入る。まわりの壁を土で塗りつけた大かまの中には、ゴザが敷いてある。木の枕をして、ゴザの上で体を横たえる蒸し風呂だ。汗が吹き出してきたところで湯船の湯につかり、また雪の中を越後滝谷駅へ戻るのだった。

 16時54分発の水上行に乗る。小千谷を過ぎると雪が多くなる。小出、浦佐、六日町と通り、越後湯沢を過ぎると、さらに雪が多くなる。それが清水トンネルを抜け、湯檜曽に下り、水上に着くころには雪は消えた!

 水上では共同浴場の湯に入った。湯谷温泉にはじまった温泉めぐりの第14湯目だ。残念ながら上越線の長岡~水上間の温泉には入れなかったが、また、次の機会に入ろう…。

 水上発19時45分発の高崎行きに乗り、途中、新前橋で上野行きに乗り換え、終着の上野到着は22時40分。乗った列車は全部で24本。使い慣れたオーダーメードの切符を改札口で出すのが、なんとも惜しい気がした。