賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(1)

(『月刊旅』1992年7月号 所収)

青春18きっぷ”で東北一周

 鈍行列車に乗り継いで温泉めぐりをするようになったきっかけは、“青春18きっぷ”を使っての「東北一周」。それは、月刊『旅』(JTB発行)の企画だったが、編集部の上野光一さんからその話を聞いたとき、

「えー、上野さん、“青春18きっぷ”って、ぼくでも使えるんですか?」

 と、真顔で聞いてしまった。

「いやだなー、カソリさん、知らないんですね。“青春18きっぷ”には、年齢制限はないのですよ」

 と、上野さんは笑顔で答えた。

 ぼくは列車は小さいころから大好きだったが、20代の一時期には、夢中になって鈍行列車の乗り継ぎをしたことがある。列車の旅で一番おもしろいのは、“鈍行乗り継ぎ”だと信じて疑わなかった。1ヵ月あまりをかけて、寝袋ひとつを持って駅泊しながら、本州内の各線を乗り継いだこともある。あのころはまだ、“青春18きっぷ”はなかった。

 30代になっても列車の旅はあいかわらず続けてはいたが、ひんぱんに新幹線に乗るようになり、特急列車や寝台車にも好んで乗るようになった。そうなると、“鈍行乗り継ぎ”の旅は、なかなかできなくなってしまうものだ。

 そのようないきさつがあったので、“青春18きっぷ”を使って東北を一周することになったとき、ぼくは心の中で「しめた!」と叫んだのだ。あれだけ夢中になった“鈍行乗り継ぎ”のおもしろさが、40代も半ばを過ぎたこの年になって、きっとまた、よみがえってくるに違いないと、大きな期待を抱いたのである。

青春18きっぷ”を使っての「東北一周」をよりおもしろいものにしようと、次のような“カソリ流5つのルール”をつくってみた。

1・列車は鈍行に限る。

2・旅の仕方は、鈍行列車と徒歩のみで、バス、タクシーは一切使わない。

3・毎朝、一番列車に乗って出発する。

4・宿泊は駅に近い温泉宿とする。

5・温泉宿はあらかじめ目星はつけても予約はしない。

 “カソリ流5つのルール”のうちの5だが、泊まる宿をあらかじめ決めてしまうと、どうしても行動が制限されてしまうからだ。旅は出たとこ勝負のほうが、はるかにおもしろくなるものだと思っている。

 このような“カソリ流5つのルール”を決めて、早春の東北を目指し、高崎線の一番列車、上野発5時13分の高崎行きに意気揚々とした気分で乗り込んだ。

 ところで“青春18きっぷ”だが、1冊が5枚つづりになっていて、料金は1万1300円ときわめて安い。1枚2260円でまる1日、JR全線の快速を含む普通列車に乗り放題で乗れる。ただし、一年中使えるというものではなく、使用期間が限られるという制限がある。

青春18きっぷ”以外の持ち物といえば、JTBの大型時刻表とやはりJTB刊の『全国温泉案内1800湯』、『温泉宿泊情報』のJTBトリオ。これらは“鈍行乗り継ぎ温泉めぐり”には絶対に欠かせない“三種の神器”なのである。

日本海、伝説の地の温泉

 東京・上野駅を出ると、高崎、水上で乗り換え、13時11分、新潟に到着。新潟からは、13時49分発の白新線経由羽越本線の村上行きに乗る。4両編成の電車。

 豊栄からは“女子高生風4人組”が乗り、通路をはさんでぼくとは反対側の4人掛けの座席に座った。さすがに越後美人の国だけあって、4人ともそろって美人。

“女子高生風4人組”は座席に座るなり、持ち寄ったチョコレートやクッキー、キャンディー、シュークリーム‥‥と、いやはやいやはや、よく食べること。口をモグモグさせながらにぎやかに、楽しそうに話す。どうも仲良し同士の高校卒業旅行のようで、村上に近い瀬波温泉に行くようだ。高校生最後の一番楽しい時期を友人たちと温泉で過ごすだなんて‥‥、なかなか、やるではないか。

 そんな“女子高生風4人組”の会話をさりげなく聞いて楽しんでいるうちに終点、村上に着いた。

 村上からは、15時31分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた4両の客車。車内は座席がほぼ埋まるくらいの混雑度だ。左手に日本海を眺めながら北へ。沖には粟島が浮かんでいる。電気機関車のピューッという鋭い警笛音に旅心が刺激される。

 ところで、村上から山形県境に向かっていくにつれ、車内はどんどんすいてくる。県境を越えるころにはガラガラだ。それが、山形県内に入ると、また乗客は増えてくる。これを称してぼくは「カソリの鈍行列車県境の法則」と呼んでいるが、この法則があてはまるのは、なにも羽越本線の新潟・山形の県境にかぎったことではなく、ほとんどの県境にあてはまることなのである。

 16時45分、三瀬着。無人駅で、降りたのはぼく一人。出羽を貫く海岸沿いの街道の宿場町だった三瀬の町並みを歩き、国道7号に出、今晩の宿泊地の由良温泉に向かう。

 ここだけは、どうしても泊まれないと困ってしまうので、前夜、東京から電話を入れておいたのだが、海辺の高台に建つ国民宿舎の「庄内浜由良荘」に行く。ぼくの部屋は4階で、窓いっぱいに夕暮れの日本海が広がっている。さっそく、2階の大浴場へ。湯につかりながら、湯気で曇った窓ガラス越しに、水平線上に灯りはじめた漁火を見る。

 湯から上がり、浴衣に着替えると、食堂での夕食。夕食のあとは、今度はゆっくりと湯を味わうかのように長湯した。漁火の火が一段と輝きを増していた。

 この国民宿舎近くの浜辺には、由良の由来を書いた案内板が立っていた。その説明が興味深い。

「古代蜂子皇子(羽黒山開山の祖)が丹後の由良から船で北上し、出羽の由良近くの八乙女ノ浦で、8人の乙女の舞いに魅せられて上陸した」とある。

 その伝説は、海上の道でつながった日本海文化圏を強く感じさせるものだし、修験道の親玉のような人物が庄内美人にコロリとまいってしまうというのも、なんとも人間くさくて心ひかれる話だ。

 そんな伝説の地の由良温泉は、国道7号のすぐわきにある。ぼくは今までに何度か国道7号をバイクで走っているが、このようなところがあったなんて‥‥、気がつかなかった。これも“鈍行乗り継ぎ”の旅のよさというものだ。

日本海美人地帯”を貫く羽越本線

 羽越本線の一番列車に乗るため、翌朝は4時半の起床。宿泊費は前の晩に払ってあるので、5時前に「庄内浜由良荘」を出る。玄関は閉まっているので、裏口の非常口からコッソリと出ていく。いくら一番列車に乗るためとはいえ、泥棒のようで、ちょっと気がひける。

 1時間かけて三瀬駅まで歩くと、駅舎には先客がいた。とれたての魚を売り歩く行商の“三瀬のオバチャンたち”。

「足が痛くてよー。困ったもんだのぉー。ピップ、はってんだども‥‥」

「それは困ったもんだのぉー」

「うんだ」

 と、そんな会話が聞こえてくるが、語尾の「のぉー」が耳に残る。

 三瀬発6時27分の酒田行きに乗ったのは、3人の“三瀬のオバチャンたち”とぼくの4人だけ。車内はガラガラだ。車窓には庄内平野が広がり、正面に鳥海山、右手に出羽三山がよく見える。3人の行商の“三瀬のオバチャンたち”は、鶴岡で降りた。

 酒田到着は7時38分。ここで7時58分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた3両の客車は満員。だが、「カソリの鈍行列車県境の法則」どおりに、秋田県境に近づくにつれて車内はガラガラになっていった。それが、秋田県内に入ると、あっというまに乗る人が多くなり、羽後本庄駅に着くころには満員だ。

 本庄ではゴソッと降り、また、ゴソッと乗った。乗客総入替えといった感じなのだ。ここでは、小さな子供を2人連れた“秋田美人の若いお母さん”と一緒に座る。子供用のお菓子をもらったりして‥‥。

 羽越本線最大の喜びは、なにしろ“日本海美人地帯”を縦貫する路線なので、こうして次から次へと車内で美人と出会えることだ。それともうひとつうれしいことは、“日本海美人地帯”の美人というのは、まわりにごくあたりまえに美人がいるせいなのだろう、自分が美人だという意識がうすく、あまりツンとしていないことだ。秋田美人のついでにいえば、その本場は横手、角館といわれている。

 羽越本線の終点、秋田には、9時59分に到着。“秋田美人の若いお母さん”と、すっかり仲良くなった2人の子供たちと分かれ、駅周辺を30分ほどプラプラと歩いた。

五能線で出会った津軽美人

 秋田駅で「わっぱ舞茸弁当」と「秋田魁新聞」を買って、奥羽本線の10時52分発東能代行きに乗り込む。日本各地の駅弁を食べること、地方紙をよむことは、“鈍行乗り継ぎ”の旅の大きな楽しみである。

 ところが、羽越本線以上の幹線の奥羽本線なのに、列車は1両の気動車。超満員の乗客なので、とてもではないが、駅弁をたべたり、新聞を読んだりすることはできなかった。

 東能代に着き、12時20分発の五能線深浦行き2両編成の気動車に乗ったところで、やっと「わっぱ舞茸弁当」を食べ、「秋田魁新聞」を読むことができた。

 左手の車窓いっぱいに広がる日本海を眺めながら走る五能線の旅は楽しい。白神山地の山並みが断崖となって日本海に落ち込む須郷岬を過ぎ、青森県に入るあたりの風景は、とくに見事だ。思わず窓ガラスに顔を押しつけて、流れていく風景に目をこらしてしまう。

 深浦では1時間以上の待ち合わせ。その間を利用して、漁港を歩き、日本海航路の北前船の資料を展示している歴史民俗資料館を見学する。深浦は上方と蝦夷を結ぶ北前船の寄港地として栄えたが、ここでも海路によって結びついた日本海文化圏というものを強く感じるのだった。

 15時30分発の深浦始発の弘前行きに乗る。2両の気動車。ぼくの乗った車両の乗客は5人だけ。深浦を発ってどのくらいたっただろうか、前の座席の女性が何かの拍子で立ち上がり、後を振り向いた。その瞬間、彼女とパッチリ目が合った。うそー。なんと、年のころは21、2といった絶世の津軽美人。細面の整った顔だち、まっ白な肌、長い黒髪‥‥。彼女と目があってからというもの、すっかり心がかき乱され、おちおち車窓の風景を楽しんではいられない。 

 鰺ヶ沢では16分の停車。すぐに駅待合室のキオスクに行き、アーモンドチョコを買い、車内に戻ると、「ひとつ、どうですか?」と声を掛ける。

 大成功! 

 そのおかげで同席することができた。彼女は弘前まで行くところだった。女子大生で、弘前で下宿しているという。

 ぼくは残念ながら五所川原で下車しなくてはならなかったが、“五能線津軽美人”と向かいあっていろいろと話した30分あまりは、舞い上がるような気分で、あっというまに過ぎ去ってしまった。彼女と握手して別れたが、五所川原駅のプラットフォームに降り立っても、いつまでもポーッとしていた。

 五所川原からは440円の運賃を払い、津軽鉄道で金木に向かう。五所川原津軽中里を結ぶ津軽鉄道はストーブ列車で知られているが、岩木川下流津軽平野をトコトコと、といった風情で走っていく。

 五所川原から25分の金木は、作家の太宰治の生まれた町。生家は「斜陽館」という旅館になっている。ぼくが今晩泊まる宿は、駅から徒歩5分の金木温泉の一軒宿「金木温泉旅館」。泊まり客はぼく一人。大広間にポツンと座り、夕食を食べていると、何とはなしにわびしさを感じてしまう。

 温泉旅館は公衆温泉浴場をも兼ねているが、こちらの方はよかった。地元の人たちと一緒の湯に入っていると、駅の待合室でそれぞれの土地の言葉を聞くのと同じで、津軽弁での会話が聞こえてくる。それだけでのことで、金木が、津軽の世界が、ぐっと身近なものに感じられるようになってくるのだった。

奥羽山脈の峠上の温泉

 翌朝は、夜明けとともに「金木温泉旅館」を出発。金木の町を歩き、太宰治の生家の旅館「斜陽館」を外から眺める。そして6時58分発の一番列車、五所川原行きに乗った。五所川原から五能線奥羽本線経由で青森に到着したのは、9時ちょうど。駅前食堂で朝食。本州の終着駅到着を祝って、一人で乾杯!

 朝っぱらのビールが腹にしみる。

 ビールを飲みおわったところで“すじこ定食”を食べた。

 青森からは9時47分発の盛岡行きに乗り、岩手県に入る。

 盛岡到着は13時50分。すぐさま13時53分発の田沢湖線の大曲行きに乗り換える。盛岡からはジグザグと何本かのルートで奥羽山脈を横断しながら南下していくのだが、田沢湖線がその“奥羽山脈横断線”の第1本目になる。

 奥羽山脈の県境の峠をトンネルで抜けて秋田県に入り、大曲へ。大曲からは、奥羽本線で横手へ。横手からは“奥羽山脈横断線”の第2本目の北上線に乗るのだ。 

 横手駅前の公衆電話で『温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら県境の峠、巣郷峠の真上にある巣郷温泉に電話したが、うれしいことに一発目の電話で「蘭寿苑」の宿泊がOKになった。今晩の宿も決まって、心豊かな気分で、17時30分発の北上行きに乗る。

 2両編成の気動車。新型車両なので、乗り心地が最高にいい。窓が広く、大きく、眺望も抜群だ。スピードが速いし、パワーもあって、ジーゼルのエンジン音も静か‥‥と、いいことずくめなのである。

 秋田県側の最後の駅、黒沢で下車。うれしいことに「蘭寿苑」のおかみさんが、乗用車でもって迎えにきてくれていた。このあたりが東北人のやさしさ。儲けにもならない一人ぽっちの客なのに‥‥。

「蘭寿苑」は木造2階建ての、新しい建物。プーンと漂う木の香がたまらない。すぐさま入った湯もいい湯で、湯船からはザーザー音をたてて湯が流れ出ている。湯量の豊富な温泉だ。おまけに、夜も昼も、1日24時間、入れるようになっている。

 湯から上がると、部屋に夕食を運んでくれた。なんと、刺し身、焼き魚、エビや山菜のてんぷら、煮物、酢の物、カニや鶏肉、野菜の入った鍋、茶碗蒸し‥‥などなど、全部で11品もの料理が出た。「蘭寿苑」の1泊2食の宿泊料金は7000円。とても7000円とは思えないような豪華な夕食に大満足。“温泉宿イコール高い”のイメージが定着してしまった昨今だが、探せばまだこのような温泉宿があちこちにあるのだ。

 翌朝は、目をさますなり、すぐに湯につかる。ぼくはこの目覚めの湯が大好き。温泉の朝湯ほど気持ちいいものもない。湯から上がったところで、朝早い時間なのにもかかわらず、宿のおかみさんには、黒沢駅まで車で送ってもらった。

 おかみさん、ほんとうにありがとう!

東鳴子温泉“駅前湯治宿”

 北上線の黒沢発7時05分の一番列車、北上行きに乗り、県境の巣郷峠を越えて岩手県に入る。峠を下ったところが「ほっとゆだ」駅。ここで途中下車。なにしろ、駅舎内に公衆温泉浴場のある駅なので、素通りすることはできない。

 入浴料120円を払って入った湯は、地元の常連客でにぎわっていた。絶好の社交場といった感じで、湯につかっていると、ポンポンと飛び交う地元ならではの話がぼくの耳に飛び込んでくる。さすがに駅舎内の温泉だけのことはあって、浴室内には信号灯がついている。列車の到着する45~30分前までは青、30~15分前までは黄、15分以内になると赤がつく。45分以上の時間があるときは無灯火だ。

 浴室内の信号が黄色から赤に変わったところで湯から上がり、売店で「岩手日報」を買い、8時36分発の北上行きに乗った。

 北上到着は9時18分。北上からは東北本線で一関へ。一関から大船渡線で太平洋岸の気仙沼に出、気仙沼線石巻線で小牛田へ。小牛田からが“奥羽山脈横断線”の第3本目、陸羽東線になる。

 15時16分発の鳴子行きに乗り、終点の鳴子へ。

 駅周辺には、鳴子温泉の高層温泉ホテルが建ち並んでいる。温泉街を歩き、東北では数少ない延喜式式内社になっている鳴子温泉神社に参拝。温泉地に“温泉神社”はつきものだが、東北では数の少ない延喜式内社の温泉神社があるということは、それだけで、鳴子温泉の歴史の古さを証明している。

 共同浴場「滝乃湯」に行く。すぐ近くの「高橋商店」で入浴券(150円)を買って湯に入る。常連のお年寄りたちと一緒の湯。熱めの湯と温めの湯の、2つの湯船がある。白濁した湯の色。打たせ湯もある。この「滝乃湯」は、駅前温泉の共同浴場としては最高の部類のもので、ぼくは鳴子温泉にくるたびに入っている。

 鳴子温泉の「滝乃湯」に満足したあと、鳴子からひと駅戻った東鳴子駅で下車し、東鳴子温泉の、ホームから見える駅前温泉旅館「初音」で泊まる。東鳴子温泉は大温泉地の鳴子とは違って、田園の中の温泉といった雰囲気。「初音」は湯治宿風。だが、春の彼岸も過ぎ、すでに湯治客は帰ったのだろう、宿はガランとしていた。湯治客用の炊事場も、きれいにかたづけられていた。

 さっそく、湯に入る。チョコレート色がかった茶褐色の湯の色。脱衣所は男女別々だか、中で一緒になる混浴の湯。ほかに入浴客もなく、自分一人で入る静かな湯だった。  

 夕食を終えると、今度はゆっくりと湯に入る。湯から上がると宿の近くを歩き、焼きいもを買って帰る。部屋の映りの悪いテレビを見ながらホカホカの焼きいもを食べていると、陸羽東線の最終列車が宿の窓ガラスを震わせて通り過ぎていった。

 翌日は「東北一周」の最終日。5枚つづりの“青春18きっぷ”だが、とうとう最後の5枚目の日になった。

 陸羽東線の東鳴子発7時00分の一番列車で新庄へ。新庄からは8時49分発の奥羽本線仙山線経由の仙台行き快速「仙山6号」に乗る。山形~仙台間が“奥羽山脈横断線”4本目の仙山線。「仙山6号」はその間はノンストップだった。

 仙台からは11時13分発の常磐線、平(1994年12月1日より「いわき」に駅名を変更)行きに乗り、平到着は13時58分。だが、そのまま常磐線で東京に帰るようなカソリではない。阿武隈山地を横断する磐越東線に乗り郡山へ。郡山からは水郡線に乗り水戸へ。

 水戸到着は20時25分。いよいよ“鈍行乗り継ぎ”の最後の列車、水戸発20時45分の上野行きに乗った。8両編成の電車。土浦で4両連結され、12両編成で走り、終着駅の上野到着は22時48分だった。

 高崎線の上野発高崎行きを最初に、水戸で乗車した常磐線の平発上野行きを最後に、「東北一周」では全部で32本の列車に乗った。

 1万1300円の“青春18きっぷ”でこれだけ夢中になって楽しめるなんて‥‥。

 まるまる5日間の、時刻表だけを見ていればいいという至福の時に、ぼくは心から感謝するのだった。そして上野駅の到着ホーム、11番線で、改めて思った。

「列車旅は、“鈍行乗り継ぎ”が一番だ!」

■今回入った温泉

1・由良温泉山形県

2・金木温泉(青森県

3・巣郷温泉(岩手県

4・川尻温泉(岩手県

5・鳴子温泉宮城県

6・東鳴子温泉宮城県