賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

子連れサハラ縦断(1)

(『月刊アフリカ』1978年11月号 所収)

20歳の旅立ち

 ぼくが初めてアフリカを旅したのは20歳の時のことだった。

 とにかく日本を飛び出し、広い世界を自由自在に駆けめぐりたかった。

 1968年4月から20ヵ月あまりをかけ、スズキの250ccバイク、TC250を走らせてアフリカ大陸を一周した。

 野宿したり、村々で泊めてもらったりという、宿泊費ゼロの超貧乏旅行。食費をギリギリまできりつめたので、いつも腹をすかせていた。泥水をすするということもたびたびで、何度も病に倒れた。そのたびに立ち上がれたのは、アフリカの人たちの温かな心づかいのおかげだった。

 この「アフリカ一周」ですっかりアフリカのとりこになってしまった。

 2度目のアフリカは「サハラ縦断」がメインだった。

 1971年8月から14ヵ月をかけ、スズキの250ccバイク、ハスラーTS250を走らせて「世界一周」。タイのバンコクを出発点にインドから西アジアアラビア半島を横断し、紅海を渡ってアフリカへ。砂漠の砂道や雨期直後の泥道との悪戦苦闘の末、アフリカ大陸横断を成し遂げ、西アフリカのギニア湾岸に出た。そして地中海を目指してサハラ砂漠を縦断したのだ。

 サハラは途方もなく大きかった。水も食物もとことん乏しい世界。強烈な太陽光線に焼きつくされ、ユラユラ揺れる逃げ水が砂漠一面に広がっている。蜃気楼の水面には荒れた岩山の影が映っている。

 そのような極限の世界でも、サハラの人たちは毎日の生活を営んでいた。ラクダやロバ、ヤギ、ヒツジとともに、わずかばかりの水と草を求めて広大なサハラを移動していた。

 3度目のアフリカでは、アフリカ大陸の国々、すべてに足を踏み入れようとした。

 1973年8月、タイのバンコクを出発点にし、アジア→オーストラリア→アフリカ→ヨーロッパ→北アメリカ→南アメリカと世界の6大陸をめぐったが、残念ながらアフリカではボツワナ赤道ギニア、ビニア・ビサウの3ヵ国には入れなかった…。

 このときは主にヒッチハイクで6大陸を駆けめぐった。

 アフリカのヒッチハイクは楽ではなかった。2日も3日も、1台の車も通らず、100キロ以上歩きつづけたこともある。日暮れが近づくと、村で止まり、

「ひと晩、泊めてもらえないでしょうか」

 と、身振り手振りを織り交ぜて頼み込む。このような時、まずこばまれることはなかった。それどころか、食事を出され、地酒を振舞われることがたびたびだった。

「砂漠・サバンナ・密林計画」

 ぼくの旅の仕方は向こうへ、その向こうへと、絶えず移り動いていくものだった。地図上に自分の足跡の赤線を引いていくような旅だった。そのような赤線が延びていくことで十分に満足だった。その赤線を延ばしていくためなら、どんな苦労もいとわなかった。

「あの国境を越えるのは無理だ」

「あの地域に入るのは不可能だ」

 といった話を聞くと、よけいに行ってみたくなり、そのような国境、地域を目指したものだ。

 だが3度のアフリカの旅で、アフリカの地図をほぼ自分の足跡の赤線で埋め尽くしてしまうと、何か、胸の中にポッカリと穴があいたような気分で、虚しさ、寂しさを感じるようになった。あれほど夢中で駆けめぐっていたアフリカはスーッと遠ざかっていくような気がした。

 そのようなときに、ぼくは以前から願っていたアフリカの旅をしたいと思うようになった。それはアフリカの地図上に線を引くような旅だけではなく、アフリカの地図上に針の先でつついたような1地点に滞在する旅を織り交ぜていく旅の仕方だ。そこに住む人たちの中に入り込み、通過していくだけでは見ることのできない、アフリカの人たちの生活ぶりを見てみたいと思うようになった。

 で、4度目のアフリカの旅はこのような旅にしようと決めた。アフリカの砂漠・サバンナ・密林の3地点に焦点を当てるのだ。

 名づけて「砂漠・サバンナ・密林計画」。

 アフリカを旅していく中で、この砂漠・サバンナ・密林の1地点づつに滞在し、アフリカの普通の人たちの生活ぶりを見てみようとしたのだ。

 アフリカの多くの人たちは、きわめて強く自然と結びついた生き方をしている。アフリカの代表的な自然といったら砂漠・サバンナ・密林だ。もちろん砂漠が突然サバンナに変わり、密林に変わるというものではない。

 乾燥度の違いにより、例えばサハラ砂漠を例にとると、その南には「サヘル」と呼ばれるステップ地帯が広がり、乾燥したサバンナから徐々に湿潤なサバンナに変わり、熱帯雨林地帯に入っていくという構図になっている。

 アフリカを旅していく中で、この砂漠・サバンナ・密林に住む人たちに目を向けようという試みだ。