日本列島岬めぐり:第50回 観音崎(かんのんざき・神奈川)
(共同通信配信 1990年)
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの雨がふる」
北原白秋の「城ヶ島の雨」の詩碑が建つ城ヶ島は、三浦半島南端の小島。
この城ヶ島と対岸の三崎漁港を見てまわったあと、三浦半島南東端の岬、剣崎に立った。灯台のある断崖上からは、目と鼻の先に横たわる房総半島を眺めた。
剣崎からいよいよ「岬めぐり」の最後になる観音崎へ。久里浜から浦賀にかけての一帯は、近代日本の夜明けとなった黒船来航の舞台。嘉永6年(1853年)6月3日、アメリカ東インド艦隊の司令長官ペリーは、4隻の黒船を率いてやってきた。
久里浜にはペリーの上陸記念碑が、浦賀には万延元年(1860年)、アメリカに向けて出航した咸臨丸の記念碑が建っている。
浦賀の造船所前を通り、海沿いの曲がりくねった道を走ると、三浦半島東端の観音崎に到着だ。岬周辺の台地はシイやタブ、トベラなどの照葉樹の濃い緑で覆われ、「観音崎公園」になっている。
駐車場にスズキ・ハスラーTS50を停め、海岸の遊歩道を歩いた。目の前は浦賀水道。東京湾に出入りする大小の船が列をなしている。
観音崎の灯台に登った。初点灯は明治2年1月1日。全国には2600余の灯台があるが、観音崎が最初の洋式灯台。その後、関東大震災などで2度倒壊し、現在の灯台は3代目になる。
対岸には「岬めぐり」第1番目の富津岬(千葉県)がよく見えている。
観音崎から富津岬までの距離はわずか7キロでしかない。2万キロもの距離を走って日本を一周し、また富津岬の見えるところまでやってきた。
胸がジーンとするような感慨に打たれるのだった。(了)
観音崎の灯台