四国八十八ヵ所めぐり(136)
2009年5月6日(徳島→京都・その3)
金剛峯寺から高野山東口の奥の院へと舞台を移す。アドレスに乗っての移動。いよいよ本番だ。
まずは参道入口の店「はちよう」で「ニシンそば」(750円)を食べ、腹ごしらえをしたところで参道を歩いていく。見上げるような杉木立。白装束のお遍路さんの姿も多く見られる。
企業や団体の墓地を見、その奥の大名たちの墓を見ながら歩き、一番奥の弘法大師御廟へ。ここを参るために、「四国八十八ヵ所めぐり」を終えたお遍路さんたちは、高野山にやってくる。
承和2年(835年)春、弘法大師はこの地で死んだ。行年62歳。しかし弘法大師は今だに生きつづけ、人々の生きざまを見つづけているという。
弘法大師御廟をひとまわりしたところで、納経所に入った。
「四国八十八ヵ所めぐり」の納経帳の最後のページに高野山のお墨書きをしてもらった。「あー、終った…」
その瞬間、「同行二人」の世界を見たとでもいおうか、弘法大師が急速に身近に感じられた。
それとともに四国88番の札所と高野山のお墨書の入った納経帳が自分の宝物のように思え、
「これからはきっと、お大師さんが自分を守ってくれる!」
といった気分になるのだった。
「はちよう」のニシンそば
奥の院の案内図
奥の院参拝のお遍路さん
奥の院参道の杉木立
入口近くの企業や団体の墓地
その奥は昔ながらの墓地
大名の墓も多い
この五輪塔は大名の墓
弘法大師御廟
弘法大師御廟に手を合わせるお遍路さん