賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(50)大久野島(広島)

(『ジパングツーリング』2002年3月号 所収)

 尾道から国道2号で三原へ。三原港からも瀬戸内海の島々に船が出ている。

 三原からは海沿いの国道185号で竹原へ。その途中、忠海港から目の前に浮かぶ大久野島に渡った。この島は戦時中、毒ガス製造の一大拠点だった。

 1900年(明治33年)、軍港の呉を護る要塞地帯になって以来、大久野島は一般人の立ち入りの許されない島になった。そんな大久野島に1929年(昭和4年)、日本陸軍の毒ガスを製造する工場が建設された。最盛期には5000人もの工員がいたという大毒ガス製造工場となり、年間1200トンの各種毒ガスがつくられた。

 この毒ガス製造工場は終戦の1945年(昭和20年)にアメリカ軍によって爆破され、徹底的に壊滅された。しかし、その間に製造された膨大な量の毒ガスは主に中国大陸など海外で使われた。

「毒ガス資料館」(入館料100円)を見学する。

 展示されている工員たちの完全装備がものものしい。

 防毒マスク、防毒服、防毒靴…。このような完全装備をしても、毒ガスにやられた工員たちは、終戦後、後遺症にさんざん悩まされたという。

 そのほか陶磁製の毒ガス製造機器や何枚もの毒ガス製造工場の写真が興味深かった。

「毒ガス資料館」の見学を終えたところで、大久野島温泉「大久野島国民休暇村」(入浴料300円)の湯に入る。ガラス張りの大浴場の湯につかりながら波ひとつない瀬戸内海を眺めていると、明るい穏やかな風景と、毒ガスの島というあまりにも暗い過去のギャップの大きさに驚かされてしまうのだ。